《73》
***
宙は、旅行に反感でも持っているかのように曇った空を睨みながら、果たして星空は拝めるのだろうかという不安を抱えて車を運転し、その内岬家に到着した。彼女にとって車で欧華の家まで来るのは二度目のことだった。
往年の日本の風情が残る瓦の破風屋根の家の正面では、欧華が立って宙を待ち構えていた。リュックサックを肩に掛けた欧華は、ダボッとしたオーバーサイズのTシャツに、スキニーのパンツという恰好で、帽子を被っていた。
彼女の視界に車が現れるが早いか、欧華はすぐさま察知し、合図を送るように近くを走る車に手を上げて見せた。
宙は家の隣の広場に、出入口を塞ぐ恰好で一時的に車を止め、エンジンを切って下車すると、玄関に向かった。
「おはよう」、と宙と欧華が挨拶し合うと、気まずいのか照れ臭いのか、彼女等ははにかむ感じの笑みを交わした。
「今日はあいにくの天気だけど」
宙が申し訳なさそうに言った。
「雨さえ降ってなければ平気よ」
欧華は励ますように、微笑んで返した。
二人が話していると、四枚建ての引き戸の玄関が開き、誰かが外に出てきた。欧華の祖母の和子だった。
宙はその姿を認めると、体の向きをその方に転じて、軽く頭を下げて彼女に挨拶した。
「いつもお世話になってます」、と宙。「今日は欧華と明日まで、ちょっと旅行に行ってきます」
「こちらこそ」、と和子。「宙ちゃんにはいつも欧華の相手してくれて、感謝したいくらい。よろしくね」
傍らの欧華は、何となくバツが悪そうに、真顔と笑顔の中間の表情でモジモジしている。
宙はいいところで和子との世間話に区切りを付けると、辞去して欧華を連れて広場まで戻った。
宙が運転席に、欧華が助手席に乗りこむと、それぞれシートベルトを締め、宙がエンジンを掛け、そばまで見送りに来ている和子に頭を下げると、車を転回させて元来た道の方に徐行しだした。
……。
車のダッシュボードに、スマホホルダーが設置されており、以前はなかったものだが、宙が運転するようになってから、彼女が買って設置したものだった。スマホが固定され、充電コードが車の電源ポートと接続されており、画面にはナビが表示され、中央に矢印が自車のマークとしてある。
往路に関しては、宙の行ったことのない方面へのドライブなので、ナビは必須であり、また、不安を抱いての運転で、同乗する欧華は、リュックサックを腿の上に置いて、宙の心情に当てられて、一抹の不安を覚えないではなかった。
車の揺れに合わせて、トランクに積み込まれた、決して少なくない、望遠鏡を始めとしたテントやアルミの食器などの道具の数々が動き、ガチャガチャと音が鳴る。
「欧華って、キャンプは平気なんだ」
ハンドルを握る宙が、半ば断言するように、半ば確認するように聞く。
「まぁ、平気っちゃ平気だけど、わたし、あんまりやったことないよ。学校での遠足の行事とかは除いて」
「あぁ、そう」、と宙は心なしかガッカリして相槌を打つ。「てっきり経験があるものとばかり思ってた」
ガチャガチャと鳴る道具のあるトランクの方を、バックミラー越しに見る。後続車がリアガラスの向こうに見える。
「経験はほとんど……いや、全然ないよ。今回は宙を当てにして来たんだけど」
疑るように顔を覗き込んでくる欧華の目線が感じられ、宙はムズムズするようだった。
「もしかして」、と欧華。「宙も、キャンプの経験がないとか?」
「ないよ」、と宙は開き直るようにあっさり答える。「全くないわけじゃないけど、欧華とおんなじくらい。学校の行事か、小さい頃に家族に連れられてやった以外のキャンプの経験はない」
「そっか」、と欧華は何か考えるように呟くと、宙より目を逸らして正面に向き直ると、目を伏せた。「まぁ、どうにかなるでしょ」
「そう願ってる」
宙は添えるようにして、欧華の独り言めかした言葉に言い足した。
車は山の方面に沿ったカーブの上り坂を走る。道はすでに辺境のものであり、交通量は疎らだった。さっきまで後ろに見えていた後続車はどこかで折れたらしく、すでにいない。
この曇天で、果たして星空の観察など出来るのか。
宙においてその望みは薄く、また欧華においても、疑義があるものの、気を遣ってあえて言及しない感じだった。
今回の旅行は確かに星空の観察が目的だったが、計画した宙にとっての重要事は旅そのものであり、他は二の次だった。
とはいえ、星空が見えなければ、何しに行くのかという当然の疑問が浮かび、宙は微かにイライラしていた。ただキャンプだけしに行くのか。もしも五十パーセントの確率の雨が降ればひどいものである。
だが、宙は雑念を振り切るようにギュッと瞑目して頭を振ると、目を開けた。空は相変わらずの曇り。山手の方で目に付くのは材木が荷台に満載の林業関係の車両が大半だ。曇天の平日、キャンプ道具を車に積んでドライブする者など、宙の他に誰かいるのだろうか。
他人に触発されて憧れてやってみた宙の旅の始まりは、どこか不穏な気配がするのだった。
***




