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71/102

《71》

***




 宙は旅の目的地の候補にしたダムに関して、パソコンで改めて調べてみたが、汪海町南方にあるという『志多賀(したか)ダム』は、汪海町の中心部より約七十キロメーター離れており、特別遠いわけではないが、決して近くはなかった。


 ダムは湖に建設されたもので、湖は楽器のサックスに似た形状で、一本の流れがうねっているようである。周縁はあまねく山地であり、通っている道路の線形は、山と湖の境界線をトレースして、明らかにドライバーを不安にさせる感じに乱れている。山道に慣れていない者は、きっと車酔いするだろう。


 近くに人里はないことはないが、ダムよりやや離れており、宿泊所は宙がインターネットで検索した限りでは、なさそうだった。従って、彼女が泊まりでダムに天体観測に旅行するとしたら、キャンプが無難だった。


 キャンプの経験がない宙は、陽子の提案に戸惑いはしたが、選択肢がそれしかないとなれば、考慮に入れざるを得ず、キャンプしてみようかという気になっていた。


 宙の他、欧華が頭数に入っていて、彼女の予定が定かでないが、二人での旅行がほぼ確定していた。


 欧華が五月、彼女の事情で海辺の駐車場でしようとしていた車中泊も、テントの使用に加えてアイデアの一つとしてカウントされていたが、天国家の軽ワゴン車のサイズでは、二人も収容すると窮屈に違いなく、絶対的に信頼出来るものではなかった。




 しかし、欧華は旅行への同行を快く受け入れてくれたが、果たしてキャンプまで受け入れてくれるだろうか? あるいは彼女は、テントでの寝泊まりや、屋外での食事や、お風呂の代わりにボディシートで体を拭くことなど、そういうアウトドアなレジャー活動は嫌いで、断るかも知れない。




 そういえば、と宙は思い返されることがあった。あまりいいものではないが、陽子といっしょにショッピングモールに行った時のことだ。宙がエスカレーター付近の柱に掲示された花火大会のポスターを眺めていると、往来に混じっていた女子高生のグループが足を止め、彼女の傍らで、彼女のようにポスターに目をやったのだった。


 その中に、欧華に勉強を教えて貰っているという一人がいて、宙は彼女と言葉を交わすことでその事実を知り、驚いたものだった。




 ……。




「遠路はるばるこの町まで教えに来てくれるんです」


 彼女が言う。


「へぇ、そうなんだ」


 宙が意味深に納得すると、彼女――加地結香は怪訝に思い、小首を傾げた。


「もしかしてお姉さん、先生のこと知ってるんですか?」


「うん。欧華は、わたしの友達」


「マジで?」


 結香は目を大きくしてびっくりして見せる。


「何か意外かも」


「意外?」


 よく意味が汲み取れず、宙はきょとんとする。


「欧華さん、友達いなさそうだし」


「友達は、いるよ」、と宙が眉をひそめて返す。「わたしがそうだし、他にも、海外にたくさん。聞かなかった?」


 いささかどぎまぎした宙は、結香の目に嘲りの色が浮かんでいるのが見えた気がし、彼女に害意でもあるように感じられた。


「聞いてないです。あんまりそういう話、しない方がいいかなって思って」


 彼女の周りにいる仲間たちは、どこか傍観者っぽい眼差しで突っ立っているだけだった。話されているのが宙と結香しか分からない事柄なので、仕方なかったが。


「気を遣って、ってこと?」


「はい。半分引き籠りみたいな人でしょ。欧華さん」


「……」


 宙は二の句が継げず、思わず俯いてしまった。


 結香は、欧華のことをそのように表現し、つまり彼女は、欧華に対して侮蔑の念を持っているに違いなかった。




 宙には疑問だった。果たして欧華は、家庭教師として、こういう敬意の欠けた生徒を相手に授業しているのだろうか。だとしたら、授業はうまく行っているのだろうか。宙には、あまりそうは思えなかった。敬意を持たない相手の授業を、生徒が真面目に受けるだろうか?




「いい先生とは思ってるんですよ」、と結香が、言い足りなかったことを言い足すように言う。


 宙は顔を上げる。すると、それまで見えていたように思われた、結香の瞳に宿る嘲りが、かなり弱まったか、または消えたようだった。


「英語を習ってるんですけど、教えるのがじょうずで、よく分かるんです。学校の小テストの点数が目に見えて上がって」


「そう」、とだけ宙は返す。


「けど、わたしには何で欧華さんがわたしの家庭教師なんかしてるのかさっぱりなんです。あの人なら、もっといい仕事が出来るでしょうに」


 その通りだ、と宙は同意し、「うん」、と頷いた。


「わたしもそう思うよ。欧華は頭がいいし、垢抜けてる。だから、欧華が今よりもっと活躍していてもおかしくないって、あなたの言う通り」


「結香です。加地結香」


「結香さん」、と宙は確認するように言う。


「結香さん。欧華にはやさしくしてあげてね。けっこう繊細なタチだから」


「そうですね。何となく分かります、あの人のこと」


「よろしく頼むね。じゃあわたし、いっしょに来てるお母さんと合流しないといけないから、これで」


 そう言って宙は手をあげて、辞去を告げようとする。


 すると結香と彼女の仲間たちも、同じように手をあげ、彼女等は和やかに別れた。


 宙は、一時は結香の口から、欧華に関してネガティブなことを聞かされるかも知れないとおそれたが、幸いそういう運びにならず、胸を撫で下ろした。


 だが、彼女等と別れた後、宙はしばらくの間、朗らかに笑うことが出来ないのだった。




***

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