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《67》

***




 家庭教師で働くようになった欧華は、たまたまなのか、彼女の素質なのか、生徒とその親の評判がよく、おおむね順調だった。欧華が失職中と知っている彼等は、素直に教職を勧めたし、欧華自身、初めて自分のそういった資質を自覚するようだった。




 欧華の二人目の担当となった生徒宅は隣町の住宅街にあった。近くに公園と水田があり、落ち着いた雰囲気のところの一軒だった。


 最寄り駅はJRのものがあり、家庭教師のための電車通勤は必ずしも不可能ではなかったが、電車の乗り継ぎがあり、また駅まで十分ほどかけて歩く必要があって面倒なので、欧華にとっては、車で行き来するのが気楽だった。彼女は基本的に憲一の車で生徒宅まで通い、時々車が使えない場合は、やむなく電車に乗った。


 隣町の生徒宅は、外壁がグレーのタイルの二階建てで、車寄せの縦格子の金属が特徴的だった。車は二台止められるが、欧華などの訪問者の車は、本来駐車場ではない玄関前の通路に停められた。LDKとなっている中の居間は、正面の小庭に出られる二枚立ての引き違い窓が二セットあり、日中に来ることはまずないが、部屋はきっと日光がよく差し込んで明るいに違いないと思われた。キッチンは二列型となっており、テーブルにはシェードランプが吊るされていた。


 汪海町の方の生徒はまじめで、そこそこ頭がよく、欧華にとって手がかからなかったが、隣町のこの家の女生徒は、あまり勉強が得意でないか、そもそも嫌いのようだった。高校一年生の彼女の長い髪は、親の黒々とした髪と違い、照明に当たると薄褐色に光り、高校の規則に触れない程度に脱色しているみたいだった。




「岬欧華です。よろしく」




 親を交えての生徒と初対面の際、欧華が名乗って頭を下げる。襟付きのシャツとジーパンという出で立ちに、リュックサックを肩にかけて持っている。


加地結香(かじ ゆうか)です」


 唇を一文字にし、渋々といった感じで生徒が名乗り返す。白のTシャツに黒のジャージのパンツ。


 初対面の相手に対してのものとしては、あまり礼儀正しいとは言えない彼女の態度だが、傍らにいる母親は困ったように苦笑を呈すだけで、欧華は直感的に手こずりそうだと予見され、彼女は微笑むが、いささか顔が引き攣ってしまうのだった。


 生徒本人に案内されて欧華は階段で二階に上がり、彼女の自室に向かった。二窓の引き違い窓がある五帖ほどの部屋で、あまり広いとは言えず、ベッド、タンス、勉強机など主要家具を置くと、ほとんど一杯だった。内装は、クマやウサギのぬいぐるみが散見される女の子らしい可愛さの散りばめられたものだった。


 入室後、結香が先に勉強机に付くのだが、付いてきた欧華がほったらかしで、彼女は気まずい気持ちになった。


「英語だっけ? 勉強したいのって」


 間が持てずに、欧華が尋ねる。


 結香は「うん」、と頷き、動作は緩慢だが、彼女は机上に勉強道具を用意しているようだった。


「どこに座らせて貰おう」


 欧華が加えて尋ねると、結香は「そこ」、と返し、彼女が指さす方には、折り畳みの椅子がある。木製で、座面にレザークッションが付いている。


 欧華はその椅子を開くと、結香がスペースをあけてくれたので、隣に置き、背負っているリュクサックを足元に下ろして、椅子に座った。


 ノート、教科書、電子辞書などが用意されたのはいいが、結香は腿に手を置いてじっと目を伏せていて、あまりやる気が感じられなかった。


「具合でも悪い?」、と欧華が気遣ってまた尋ねる。彼女が進んで呼びかけてやらないと、結香はずっと口を噤んでいそうだった。


「別に悪くない。やるよ、勉強。欧華先生……でいい?」


 上目遣いで遠慮がちに結香が確認する。


「単に欧華さんでも構わないよ」


「じゃあ、欧華さん」


 結香はくるりと体を彼女の方に転じて色を正して呼びかける。


「勉強の前にさ、欧華さんのこと、色々聞きたい。どういう人か分からないと、何か不安だし」


「いいよ。勿論。わたしも結香ちゃんに色々聞いてみたいし」


 和やかに言い合うと、二人は互いに親近感がわいて自然と口元が緩み、最初にあった緊張やぎこちなさが一定程度ほぐれてくるようだった。


 そのタイミングで結香の母親が、飲み物とお菓子の載ったトレーを持って来、勉強机の脇のワゴンに置いてくれる。


「まじめに勉強しなかったら叱ってやってくださいねぇ」、と母親。


「大丈夫ですよ。ね、結香ちゃん?」


「どうだろう?」


 結香は小首を傾げる。


「岬先生は、海外にいた経験があるって聞いたんですけど」と母親。


「父の都合で、昔、数年間いました」


「すごい。じゃあ英語はペラペラなのね」


 欧華が過去海外に長くいた話を耳にし、結香は感心したように頷く。


「どうでしょう」、と欧華。「日本に戻ってきて長いですから、ある程度さび付いてはきてると思います」


「いやいや、そこまでの経験があれば、英語の先生として頼もしいわ。ぜひみっちり結香に教えてやってほしい」


 三人で少し話した後、母親は頭を下げて「お願いします」、と言って退室した。




 時刻は夜の7時半。


 家庭教師の授業は、二時間後の九時半までの予定だった。




***

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