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52/102

《52》

***




「欧華ちゃん、帰ってきたんだ」


「うん」


 天国家の食卓に、宙と陽子が付いていた。晩御飯はお好み焼きだった。黒いソースと白いマヨネーズが交差するようにかけられており、二人は箸で小さく割いて食べていた。


 宙がスーパーで欧華と偶然再会したその夜のことだった。彼女は母に、そのことについて話した。


「旅を通じて得られるものがあったのならいいけどね」、と陽子。「わたしが五月にした旅行とはまた趣きが違うんでしょ?」


「少なくとも、抽選で当たった旅じゃない」


 テレビが付いており、グルメ番組がやっていて、地方の名物を特集しているようだ。


「勿体ないわよねぇ。欧華ちゃん。ずっと頭脳優秀でやってきて、エリート街道を突き進んでたのに、ふいにしちゃったんだもの」


「本人は別にしたくてふいにしたんじゃないよ。不可抗力っていうか」


「事情はあったんだろうけどね。親の立場で言えば、ちょっと残念って感じ。せっかく大学まで出たんだもの」


 陽子には、宙は欧華と父母の絶縁関係について耳に入れなかった。陽子は欧華のことが気に入り、彼女の身空をよく知りたがったが、言ってもいいことと言うべきでないことを宙は峻別した。欧華が祖父母の家に住んでいることが、陽子は腑に落ちなかったが、そういうこともあるかと納得し、しつこく追及しなかった。


「ねぇ、お母さん」


 宙がどこか物思いに耽るように、ぼんやりした目で呼びかける。


「わたしって、お母さんと喧嘩したことあったっけ?」


「喧嘩? 時々するじゃん。しょうもないことで」


「しょうもないことって、例えば?」


「アンタがテレビの音がうるさいって言った時とか、アンタが買っといて欲しいって言ったものをわたしが買い忘れた時とか」


 成るほど、と宙は納得した。確かに些末でしょうもないことが原因で、陽子とは何度か喧嘩したようだ。


 しかし陽子の回答は、宙の望んだものとは遠く、彼女は思い悩むようにううんと唸った。一方で陽子はせっせと箸で割いたお好み焼きを口に運ぶのだった。


「やっぱりないよね」、と宙。「わたしたちが、喧嘩は喧嘩でも口喧嘩じゃない、大喧嘩っていうくらい激しい喧嘩をやったことって。わたし、ぜんぜん覚えがないもん」


「わたしも覚えがない。けど、何で急に喧嘩のことなんか訊くの?」


 陽子の質問に、宙は何となく答えづらかった。


「何と言うか、自分のルーツが知りたいなぁ、なんて思ってさ」


「自分のルーツと親子喧嘩にどういう関係があるのよ?」


「親とよく喧嘩したら、子供は反抗的になるんじゃない?」


 宙が自説を言うと、陽子は目を瞑ってゆっくり首を左右に振った。


「子供が反抗的に育つとしたら、教育がダメってことね。反抗心が増長する前に、きちんと相手と折り合いを付けることを親が子供に学ばせないと。その点、アンタは比較的おとなしかったから、親としては割と楽だった気がする」


「お母さんの話は分かるけど、親が厳し過ぎたら、子供が折り合いを付けるのは難しいんじゃないかな」


「さぁね、よく知らないけど、厳しいところには、きっと厳しいなりの流儀があるんでしょ」


 陽子の言い方は、何だか投げ槍だった。彼女はそれきり、テレビをじっと見ていた。テレビに出てくる料理の品々が、美味しそうだという感じで。


 そうなると宙は遠慮されて、それ以上同じ話題を振ることが出来なかった。とはいえ、宙は親子関係のことについての話は、切り上げようと思っていたところだったのだが。


 宙の話の背景には欧華の存在があった。彼女が父母と絶縁したことを踏まえ、宙は話してみたのだった。自分のルーツなど、端からどうでもよかった。


 欧華と父母が絶縁するほどの不和の原因は、きっと欧華の退職と関係があるのだろうと宙には推測されるが、本人に確かめたわけではないので、はっきりしなかった。


 逸れてしまった欧華が自身の納得出来る道に戻るためには、まず親子関係をすっきりさせないといけないだろう。彼女が一人でやっていくのは無理だろうし、宙がサポートしたところで、限界は見えていた。やはり家庭が社会に向けての人の起点であり、家庭の問題が解消されなければ、うまく社会参加することは叶わないに違いない。


 宙は欧華と初め他人だったが、出会って知り合って仲良くなり、友達になった。そして彼女は友達として欧華との関係を大切にしていきたくて、そのためには、欧華の目下抱えている生活の悩みがなくなるようにことが運んで欲しかった。


 宙が考え込んでいると、ふと陽子が、「わたしは」、と言った。「欧華ちゃんは、だいじょうぶと思うけどね」


 宙は不意を衝かれてきょとんとした。陽子はテレビに目線を向けていたが、意識は娘の方に向いているようだった。


「だって欧華ちゃん、すごく垢抜けてるもん」


「垢抜けてるって……」


 宙は呆れて何だかがっかりするようだった。


「何かと思えば、見た目の話? お母さんってば……」


 宙がいささか怫然として詰問しかけると、陽子に「違う、違う」、と遮られた。


「欧華ちゃんの全部が、垢抜けてるってこと」


「全部?」


「うん。見た目も、中身も。だから、あの子はきっとやっていけるよ」


「……」


 何を根拠にそう言えるのか、宙にはよく分からなかった。恐らく陽子は、まだいいイメージでしか欧華を捉えておらず、だから希望的観測をサラッと口にしてのけたのだろうと思われた。


 だが陽子のその発言が、宙には嫌に安心出来るように聞こえた。まるで陽子の発言が、信ずるに足るものであるように。




***

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