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49/102

《49》

***




 うたた寝していた欧華が目覚めた時、辺りはすでに真っ暗で、夜になっていた。


 繰り返される深い呼吸に、欧華のお腹が上下する。お腹に置かれた手が、膨らむお腹に押されたり、戻ったりする。二本の脚は畳の上にまっすぐ伸びていて、欧華はちょっと体勢を変えて横向きになり、折り畳まれた布団に寄りかかると、腕を枕にして今一度目を瞑った。


 夢を見ていたようだが、夢というよりは、ただの追憶のようだった。父母との日々がめくるめく蘇って見え、欧華は懐かしいようで、又どこか寂しい思いがするのだった。


 吹き抜けの広いリビングの、アイランドカウンターのあるキッチンで、幼い欧華は立って待っていた。まだ彼女が十歳の少女の頃のことで、ノースリーブのワンピースを着ていた。


 ある夏の日曜日の夕べ、岬家は友人を呼び寄せてバーベキューを催した。室内はエアコンで涼しく、ウッドデッキの方も、夕方になって暑気が和らぎ、バーベキューなどするには好適だった。


 欧華が待っているのは、母及び家に招待された女性たちが仕込んでいるバーベキュー用の具材だった。肉や野菜や果物が、大勢が食する用に大量に購入されていた。


 外では男たちがコンロの木炭に火を着けていて、楽しい話でもしているのか、ゲラゲラ笑い声が室内まで聞こえていた。


「岬さんのお家ってホント、素敵ですよねぇ」、と賢二の後輩と思われる女性が言った。「こうやってバーベキューが出来るんですもの」


 礼華は「フフッ」、といささか得意げに笑った。


「あの人の希望でね、ハウスメーカーの営業さんに、ぜひウッドデッキが欲しいって話したの。お庭とは別にね」


 社交辞令のお追従に、満更でもない感じのうぬぼれた態度。女性たちの中身のない称揚と肥大化した矜持が、まるで彼女等の容貌のように、岬家の空気までけばけばしく変えるようだった。


 エプロンを着けた彼女等はキッチンに並び、あるいはシンクで洗い物をし、あるいはまな板の上で食材をカットしている。


 欧華は子供だったが、母に手伝いを言い付けられたし、家を訪れた一人一人に挨拶して回らねばならず、いつもこういう機会になると、彼女はひどく億劫で、出来れば風邪でも引いてしまえばと思うのだった。


 子供は必ずしも彼女だけとは限らず、招待された友人の息子や娘が親に伴われて来ることがあった。だが、欧華はあまりうまく打ち解けられなかった。女の子はなぜか欧華に嫉妬心を燃やして自慢話をしてきたし、男の子は可愛い欧華に気に入られようと下心丸出しで、欧華にはまるで受け付けられなかった。


 欧華はこういう時、最初は言い付け通りに、大人の思惑に従順に動くのだが、ある程度大人たちが子供そっちのけで興じる頃になると、トイレと偽ってさっさと自室に帰り、閉じ籠るのだった。自室でこっそり買ってはいけない漫画を読んだり、ゲームをしたりしているのが、彼女には楽しく快適だった。




「――欧華?」




 突然呼び声がし、襖が開いて真っ暗の部屋に明かりが差す。廊下の明かりだ。和子が気になって様子を見に来たようだった。


「……」


「欧華、いるんでしょ?」


「うん。いるよ」、と彼女はすげなく返す。


「電気も付けないで、一体どうしたっていうの?」


 和子の口調は、微かに刺を含んでいるようだった。旅行より帰宅した途端、真っ暗の部屋でボーッとしている孫娘に、不信感を抱いたのだろう。


「どうもしないよ。ただ寝てただけ。旅の疲れってやつかな」


 そう言って欧華は重たい体を強いて起こして立ち上がったが、同時に和子が部屋の襖の付近のスイッチを押し、天上の丸型の蛍光灯がパッと点灯した。


 欧華は思い切り伸びをすると、「ハァ」、とため息し、和子は彼女の所作をじっと見ていた。


「夜ご飯出来たけど、食欲はある?」


「あんまりないけど、食べるよ」、と欧華が振り向いて答える。


「おじいちゃんもいるから、ただいまって言って、旅先での話の一つでもしてあげなさい」


「うん。分かった」


 欧華が答えて正面に向き直ると、和子は襖を閉めて去っていった。


 寝起きの欧華はぼんやりその場に佇み、見るともなしに壁の時計の方に顔を向けて見てみた。夜の七時半。そしてまた正面に向き直ると、トボトボと窓際まで行き、引き違い窓を開けてみた。外は真っ暗で、雨は上がっていたが、まだ空気がジメッとしていた。


 追憶の中の視点は自分のものだったが、欧華には、家に来る大人たちに向ける自分の愛想笑いの顔がくっきり見える気がした。気遣いで一杯の情けない笑顔で、だけど大人たちは、その顔を向ければ欧華に対し、気前よく応じてくれるのだった。一度機嫌がよくない時、幼い欧華は賢二の友人の女性にムスッとした態度を取ったことがあったが、露骨に悪意と嫌悪を向けられ、慄いたことがあった。




 欧華は、窓枠に両手を付いて身を乗り出すようにして夜空を見上げてみるが、汪海町の夜空は、モンゴルの草原で見た澄んだ星空とは程遠い、透明度の低い空で、今更ながらガッカリするようだった。


 だが、彼女は記念として、気に入った星空の写真を何枚か撮ってきていた。その写真は、画像データとして旅に携行したデジタルカメラのメモリーに保存されている。その写真をまずは祖父の憲一に旅先の絶景として見せるつもりだったし、後日宙に会った時にも、同じようにするつもりだった。




***

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