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《48》

***




 岬欧華の出生地は日本だった。後に海外赴任となる父の都合で家族ごと日本より数年間離れることになるが、とにかく生まれた国は日本だった。


 父母共に勤め人で、父、岬賢二(みさき けんじ)は大手商船会社の総合職として海運事業に携わり、母、岬礼華(みさき れいか)は留学コーディネーターとして主に日本人学生相手に留学先の紹介や斡旋に従事していた。


 二人揃って頭脳明晰で、優れた成績で小中高、そして大学まで卒業した。高校も大学も名門で、履歴書の学歴の項目を見た企業の面接官は目を見張るくらいだった。


 彼等には夢という夢はなく、ただ自身の有能さを持て余していたが、社会的に成功したいという漠然とした思いだけははっきりしていた。彼等の明晰さはその思いを支えた。とりわけ賢二は、望ましいビジョンがあらかじめ定まっていた。


 賢二は、漁師という父、憲一の家業に対してあまり肯定的でなく、現業を希望しなかった。海自体好きだったが、漁業には興味がなかったし、お金を稼ぐ職種として、積極的に選択しようとは思わなかった。


 大学進学を申し出た段階で、賢二と憲一の不和が生じた。賢二はせっかく積み重ねて来た学業での成績を無駄にしたくなかったし、憲一においては、一人息子には家業を受け継いで欲しいという思いが強かった。


 二人の思いは平行線を辿り、進学を認めたくない憲一は、学費として出せる額はかなり低く絞り、結局賢二は奨学金を借りて進学することになった。和子は息子の思いに共鳴したし、一方では旦那に対しても同じだった。


 そういうわけで、賢二は苦学生として東京で暮らすようになり、学業にアルバイトに天手古舞いだったが、社会的成功の野望が常に動機付けを与えた。賢二は大学の商学部を卒業後、商船会社に入り、エリートの道を歩むことになった。最初は国内の海運のサポートに携わったが、後に当人の希望で海外営業に移り、海外赴任となり、その時にはすでに欧華は生まれていた。




 母、礼華はというと、彼女はもともと語学が得意で、なかんずく英語を学んだ。父母は米農家で語学を始めとして学問とは無縁だったが、礼華は洋画や洋楽に影響されて、海外に憧れがあった。高校を出た後は上京し、賢二と同じ大学に進学し、父母の家業の問題があったが、彼女には兄弟がおり、兄が跡取りになるようで、礼華は比較的自由に進路が選択出来た。


 彼女には兄に加えて弟がいたが、弟はあまり頭が働かず、ずっとぼんやりしていて、その緩慢さのために高校生活に適応できず、中退するほどだった。弟は父母の悩みの種であり、どうすればいいか始末が悪かったが、今は耕作に従事する兄の手伝いとして落ち着いているようだった。この状況に家族は納得しているが、礼華だけは生理的なまでに受け付けなかった。彼女は弟の顔を見たくないため、長い間実家に帰っていない。娘の欧華も、母方の祖父母には幼少期にしか対面しておらず、物心付いてからは、冠婚葬祭などの行事を除き、母が実家とのコンタクトを許可しなかった。




 大学在学中に賢二と礼華は出会い、知り合い、仲良くなり、そして結婚した。互いに同い年だった。


 子供に関して、彼等にあまり希望はなかった。世間体のために最低一人いさえすればいいいという考えで、そのため欧華は一人っ子だった。


 賢二は神奈川県のある住宅街に邸宅を構えた。吹き抜けのある二階建ての、ハウスメーカーに相談して建築された家だった。片流れの屋根に広いピカピカの窓。ガレージはシャッター付きで二台分あり、玄関までは短い階段が上っていて、外観は白っぽいコンクリートとダークブラウンの木材がうまく調和していた。裏にはウッドデッキがあり、仕事仲間などが呼ばれてホームパーティーのバーベキューがよく行われた。酔っぱらった大人たちがデッキで談笑し、欧華は親の言い付けで必ず参加して、大人たちに美少女だとチヤホヤされたが、酒飲みの場は決して楽しいものではなかった。


 広々として大きい家は住みよいものだが、子どもの欧華にとっては、すでに存在するものであり、その凄さや親の誇りが小さい頃はよく分からなかった。家が広ければ、確かに縦横無尽に走り回れるし、紙飛行機を作って飛ばしても、すぐに壁にぶつかることがない。


 食事はいつも豪華だったが、手作りのものよりは出来合いのものが出されることが多く、食事はとても美味しいけれど、欧華は幸福と思ったことがほとんどなかった。


 欧華には必要なものが全て揃っていたし、むしろ有り余っているくらいだった。だが、欧華の胸にはなぜか満たされない空隙があり、常にその隙間を通って冷たい風が流れていた。


 物質的な豊かさは確かに人を満足させるし、幸福感をもたらしもするが、それだけが人生の全てをカバーしてくれるわけではなかった。


 何か足りないものがある気が欧華にはしたし、ぜひともそれを得たかった。


 胸を通る冷たい風は、父母にもあるようで、だが、彼等は知らぬ顔を決め込んでいた。強がっているのだと幼い欧華は確信と共に思ったし、邸宅を構えられるほど蓄財し、とりあえず社会的成功という宿願を実現したと言っていいところまで来たにも関わらず、何か重大な見落としがあるかも知れないというおそれを抱えているようだった。


 そして、あくまで見落とされているかも知れないと思われる何かに対し、無視、軽視の態度を貫こうとしている彼等の姿が、幼い娘の目には、どこか哀れに映るのだった。




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