《41》
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開かれた茶封筒の中より出てきたのは、ルーズリーフを二枚折りにしたもの一枚と、L判の写真一枚、その二種類だった。
宙はまず写真を手に持って見てみた。
写真は縦長に撮影されたもので、ある風景をバックにして欧華が映っている。嘘のように青く澄み渡った空と、白い筋雲。どこまでも広がる草原には、草を食んでいる馬がポツポツ見える。欧華は、どこかチャイナドレスっぽい、青みがかった黄緑色の民族衣装と思しき見慣れない襟付きの衣服を着、腰の後ろで手を組んで、微かに背を逸らして、青空を見上げている。その顔には微笑みが浮かび、悠然とリラックスした佇まいでいる。
写真の彼女の姿は、宙にとってどこか好ましいもののようで、というのはまず、音信不通だった彼女の近況を知らせる便りが不意にやってきたという喜びが宙にはあったし、それに、欧華の姿には何か惹かれる要素があった。夢見の記憶というのは忘失されやすい儚いものであり、すでに宙は、欧華と邂逅する前に見た夜の夢を忘れてしまっているのであるが、その夢で宙は、欧華によく似た人物を浜辺において目にした。そしてその時、彼女は胸のときめきを感じた。――その時の感じと、異国の地の欧華の写真を見ることで得た感じは、ほとんど同一だった。
「何?」、と宙の向かい側に座る陽子が、首をちょっと伸ばして物見高く写真を覗き込む素振りを見せる。「何が映ってるの?」
「欧華の写真。欧華が映ってる」
「ホント? 見せて見せて」
陽子がウキウキしてせがんでくる。いささか鬱陶しく思わないではないが、宙は手に持っている写真を卓上に置いてスッと陽子の方にスライドさせ、互いが見えるようにする。
陽子は卓上に腕組みし、九十度回転している写真を首をひねって見ると、嬉しそうににっこりする。
「あら、欧華ちゃんじゃない」
「今そう言ったじゃん」
陽子の対面で同じようにして写真を見下ろす宙が、憮然としてツッコみを入れる。
「何か変わった服着てるわね」
「外国にいるっていうから、きっと民族衣装なんじゃない?」
「でも、一体どこの国なんだろう?」
「さぁ……?」
自分も分からないという感じで首を傾げて応じると、宙は卓上で組む腕を解き、傍らに置いておいたルーズリーフを取って見てみた。文章がページを覆うほど書かれており、手紙のようだった。覆うといっても、段落ごと?に間隔が空いており、みっちりという感じではない。裏は白紙だった。
「お久しぶりです。岬欧華です」
宙は呟くように小声で手紙を読み出したが、ひょっとすると後にまずい内容が書かれているかも知れないというおそれをふと感じ、そこまででひとまず読むのを中断し、居間を引き上げて自室に向かうことにした。
「あ、ちょっと」
陽子が呆然としてどこに行くのかという風に引き留める仕草を見せるが、宙は構わずに居間を後にし、廊下より階段を上がって自室に移った。
真っ暗の自室で扉を後ろ手に閉めると、宙は壁のスイッチで室内灯を付けた。暗かったのがパッと明るくなる。陽子は追ってはこないが、宙は何となく安堵した。
宙は扉に背を持たせ、ズルズル引きずるようにしてその場に座り込むと、改めて手紙を読んでみた。
【お久しぶりです。岬欧華です。】
宙は今度は目で字面を追っていった。じかに会えばフランクにタメ口で話せるようになったのだが、手紙の文面は総じて敬語だった。だが、決して堅苦しい感じではなく、書面ということで、多少形式張っているに過ぎなかった。
【しばらくご無沙汰ですが、わたしは今外国にいます。写真を一枚添付しましたが。ここがどこか分かりますか?】
写真は居間にあって、宙は置いてきてしまった。まだくっきりとその写真の画像は見覚えがあり、着脱が簡易の東洋風の民族衣装に、草を食む馬と、ヒントとして捉えられるシンボルがあったが、結局宙には、どこか分かりそうになかった。
【わたしが写真の中で着てるチャイナドレス似た見た目の服は、現地の民族衣装です。ここはどこなのか明かしてしまうと、日本より西方にある、モンゴルです。】
その国名を目にして宙は意外の念に打たれた。モンゴルというのは、彼女にはあまり馴染みのない国であり、その国柄はまるで知らないが、写真の風景を見る限りでは、いい国のイメージであった。
【モンゴルの首都を少し離れれば、辺りは一面、草原です。首都はもちろん近代化されてインフラの整ったビル街なのですが、その周りは太古の暮しが根強く残っており、わたしが映っているこの場所も、ただの草原で、モンゴル人は馬に乗って移動式のテントと共に遊牧生活を送っています。】
宙はその後集中して最後まで読み進めていった。
【わたしの友人のひとりがモンゴル人の女性で、今帰国しているとのことでその家に寄せて貰っています。彼女の生家は街中にあるのですが、この草原には彼女にガイドを頼んで気晴らしで来ています。
わたしは決して遊ぶために海を越えてモンゴルまで来たわけではなく、ちょっと違う空気を吸いに来た感じです。ちょっと前までは悩みが募って、正直、生きた心地がしませんでした。
宙は知ってると思いますけど、わたしは両親に絶縁を予告され、わたしは受け入れる腹を決めました。
しかしわたしはその後、みずからの意志で絶縁を受容したにも関わらず、ショックを受け、自覚されない形で、精神的に参っていたようです。宙には言ってませんでしたが、わたしは汪海町の病院の精神科に通ってたことがあり、ずっと睡眠導入剤を飲んで過ごしていました。両親とのいざこざの後は、眠れない夜が再訪し、睡眠導入剤は余っていましたが、意地で飲まないようにしていました……】
とりあえずそこまで、宙は読んだ。
手紙はまだ続くが、モンゴルにいるという欧華の近況、とりわけその精神の状態が、文面より推量され、宙はいたたまれない気持ちになった。
沙汰なしだった欧華からの空谷の跫音と言うべき便りの内容は、畢竟、陽子を目の前にして揚々と読んで聞かせるには不向きのものだった。
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