《34》
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夜が明けて日曜日となった。宙と欧華がいっしょに出かけようと約束した日だ。しかし絶交の行楽日和という感じではなく、昨日の晴天は曇天に変わってしまっていた。雨まで降っていれば宙たちは興覚めしただろうが、曇りで留まっているのがせめてもの救いだった。
それぞれ別の部屋で夜を明かした宙と欧華は、ほとんど同時に起き出して、二階の廊下で対面した。二人共髪が長いせいか、寝癖が付いていた。
「おはよう」、と宙が挨拶すると、欧華も同じく「おはよう」、と返した。
宙が灰色のパジャマであるのに対し、欧華のパジャマは淡いピンク色だった。
「よく眠れた?」、と宙が訊く。
「うん」、と欧華。「昨夜はお酒を飲んだし、そのお陰もあって、布団に入ったらすぐ寝ちゃった」
「そっか」
宙はカジュアルにそう返すと、階段を下りていき、欧華は彼女の後に付いていった。
居間でカーテンが開かれるが、曇天の朝日は今一つ明るさに乏しい。
時刻は八時を回ったところ。
宙は朝食を用意するため、キッチンに行き、欧華はその間洗面所で洗顔し、身だしなみを整えた。
朝食はトーストとハムエッグと、インスタントのオニオンスープだった。
手間要らずのメニューで、宙はサッと用意してしまうとテーブルに並べ、欧華の後に洗面所に顔を洗いに行った。
……。
パーカーを着た宙と、トレーナーを着た欧華が昨夜と同じように、テーブルで対座して朝食をとっている。
テレビの朝の報道番組を見るともなしに見てパンを齧る欧華の、すっかりリラックスした感じの挙止が、宙の目には不思議に映り、彼女はしばらく食事の手を止め、じっと目を注いでいた。
「欧華さ」、と宙。「昨日と比べると、この家に結構なじんだ感じだよね」
言われた欧華はきょとんとして宙を見返す。
「そう?」
「いい意味で遠慮がなくなったっていうか」
「本当?」
欧華はにわかに不安そうになる。
「もしわたしが、なれなれしかったり無礼だったりしたらゴメン」
「大丈夫。思う様リラックスしてくれればいいよ」
宙は鷹揚にそう言うと、カップに入ったオニオンスープに口を付けた。
「何かさ」、と欧華。
「わたし自身不思議なんだけど、宙の家ってすごく落ち着く。わたしが居候してるおじいちゃんとおばあちゃんの家より、多分、落ち着ける」
欧華のそのセリフに、宙はスープを口に含んだ状態で微かに噴き出しそうになり、カップを慌てて卓上に戻すと、拳を口にあてがってゲホゲホと咳き込んだ。
「まさか?」、と宙は咳による涙目で欧華を見、疑ってかかるが、彼女の面持ちは至って真剣であり、宙は呆気に取られるのだった。
……。
朝食がサッと済まされ、宙と欧華は食後、コーヒーを飲んでいた。インスタントコーヒーに、乳飲料と砂糖を加えたものだった。
八時半過ぎ。
「今日はドライブだね」、と宙。「どこに行く予定?」
「うん」、と欧華は頷くと、口に含んだコーヒーを飲み下した。「とりあえず海沿いを走って、後は遠くまで行きたい。なるべく遠くまで」
欧華の計画は、結構アバウトだった。はっきりした目的地はなく、ただ海沿いを走るということのほかは、具体性がない。付き添う宙は、一抹の不安を覚えないではなかった。
だが、きっと欧華は――宙は考えた。
きっと欧華は、父母より出来る限り遠ざかりたいのだろう。今、彼女の両親は遠方より汪海町くんだりまで来ている。そして彼女は父母を避けるために家を出、天国家に逗留している。
欧華のスマホには、電話の着信があったり、メールの受信があったりしているに違いない。彼女は何もない素振りでいるが、電源を切るなどして通じないようにしているのだろう。
今回のドライブに関して、宙は楽しいレジャーと思って胸を膨らませていたが、実際には、欧華のドライブには、彼女の逃避行の意味合いが絡んでおり、この約束が交わされた時に予期された楽しさは、今では減退していた。宙においては、今回の欧華のドライブが父母の来訪に起因する突発的な逃避行なのか、あるいはそれ以前に企てられた、元は純粋なレジャーだったものなのか、判別が付かなかった。
コーヒーを飲み終えた宙は、「準備してくる」、と言い残して欧華より先に席を立ち、キッチンにカップを運んでシンクに置くと、自室に向かった。パーカーを着た宙は着替えるつもりはなく、財布やハンカチなど、いくつか必要となるアイテムを集め、仕事用のものより一回りくらい小さいリュックに収めて背負えば、準備完了だった。
同じく準備を終えた欧華といっしょに宙は家を出、近くのコインパーキングにとめてある欧華の車に向かった。
宙が料金を支払うつもりだったが、欧華が拒み、争うほどの金額ではなかったので、今回は宙は退くことにした。
車の運転席に欧華が、助手席に宙が乗り込み、欧華のトートバッグと宙のリュックサックは無人の後部座席に置かれた。欧華も変わらずトレーナーで来ており、社交の場に赴く恰好ではまるでなく、本当にドライブするだけという感じだった。
シートベルトが締められ、車のエンジンがオンになる。
「じゃあ、出るよ」
そう言って欧華が、左手でシフトノブを動かすと、車はスーッと動き出す。
宙は車の動きに合わせて変わるフロントガラスの景色をしばらく眺めると、瞳を上にやり、空を見てみた。明るい灰色の雲が空一面を覆い尽くしており、完全に曇りではなく、うっすらと青みがかっていて、何とも言いにくい空模様だった。
欧華の顔をチラ見すると、彼女は澄ました顔で乗っており、ドライブを楽しむつもりでいるのか、あるいはどうすればうまく父母との距離を稼げるか考えているのか、宙は釈然としないのだった。
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