《3》
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昨今、世界の各地域では紛争が起こり、難民や環境汚染などの被害が出ている。日本は幸い平和で、宙にとって、テレビなどで報道されるそういうニュースは、対岸の火事という感じがするのだけど、もしも自分が渦中の国に生まれていたらと思うと、彼女においては、どこか他人事ではないという気もするのであった。
時折ある、各国の首脳陣が参加する国際会議には、コーディネーターという調整役がいるということを、宙はテレビ番組の特集で偶然知った。コーディネーターは、会議の企画と準備と進行を担う。勿論、国際会議に直接関わる以上、英語を主とする外国語に長けていることが厳しく要求される。言語能力はコミュニケーション能力と深く繋がっている。
番組の特集に出ていたのはひとりの女性だった。二四歳と若く、また明眸皓歯のシュッとした女性であり、宙は画面を見ながら、彼女に対し、羨望と劣等感を覚えるようだった。
彼女は自身が国際会議のコーディネーターになったいきさつを話した。画面の中の彼女は、実際に国際会議の場にいて、背景にはきっと首脳陣が座るだろう円卓と椅子が見えている。
曰く、彼女は留学を経て大学を卒業後、一般企業に就職したという。だがある日、留学していた頃の海外の女性の友人が、政情の安定しない地域に住んでいて、当地の女性蔑視の政治によって、自由に生きる権利が剥奪されそうだとシビアな困苦を伝えた。だが、企業勤めの従業員に過ぎない彼女には、どうしてあげることも出来ず、同情と無力感に苛まれた。その悩ましい経験が切っ掛けとなり、世界各地の問題が活発に議論され、周知され、切実に解決が求められるようになるように、彼女は希望し、国際会議のコーディネーターに志願したのだった。
――ただついているだけのことが多い天国家のテレビの内容に、宙はあまり強い関心を払うことがなかったし、この国際会議コーディネーターの女性のことも、特別関心を持たなかった。ふうん、そういう職業があるのかという程度の感想しか宙にはなかった。
伸びたラーメンをダラダラ食べている陽子を横目に、宙はすでに完食して、食休みのため、見るともなしにテレビを観覧しているのだった。テーブルの長手方向に、テレビはあった。木の台にのった、五十インチの大型テレビ。
次の日も勤務日であり、宙は食事の後片付けをし、お風呂をわかして入浴すると、自室に移り、勉強することにした。まだ新人である彼女には、勉強すべきことがたくさんあった。プラネタリウムで勤務する上では、天文学の知識が須要なのである。元々宇宙とか星が好きだった宙は、星座の種類や位置など、すでにそれなりに知識を身に付けてはいたけど、満足に仕事するにはまだ足りなかった。とはいえ、宙は別に学者になるわけではなく、ただ科学館の運営のために必要となる程度だけとりあえずマスターすればいいのだった。
やがて寝る時間となり、宙は寝入ったが、夢を見た。
――宙は星空を見上げていた。星空は広大で、宙は個別に指差し、どれが何座でどれが何座だと観客に聞かせるように、しっぽりと呟いていたが、そこがプラネタリウムでないと気付くと、目線を下げ、指も下げた。
波音が近い。潮風も吹いている。海辺のようだった。夜空に、まるで星々の王様であるかの如き貫禄のある満月が堂々と輝いていた。
宙の履く白いサンダルが、柔らかい砂浜に、半ば埋まっている。
そこがプラネタリウムでないと知って、何だか索然としてくるようだったが、プラネタリウムより、やはり生の星空の方が、雄大で、ずっとくっきりと見える気がした。それもその筈、プラネタリウムは、あくまで模造品であり、宙が今まさに見上げている星空は、生きて、動いているのである。
海辺は、ずいぶん快い環境であった。熱さも冷たさもない潮風は、やさしい肌ざわりを半袖のTシャツと短パンという出で立ちの宙に伝えるだけで、彼女をうっとりさせた。
今わたしは、この海辺を、そしてこの星空を、独り占めにしているのだと、そのように、いくぶん嫌らしい満足感を覚えて、宙は胸いっぱい辺りの澄んだ夜気を吸い込んだのだが、ふと、他人の気配がして、ハッとした。
その人は、だが、ずっとそこにいたようで、宙が他のことにかまけて気付かなかっただけのようだ。
宙は首を曲げて横を向いた。すると、二メートルくらい離れたそばに、ひとりの少女が、砂浜に膝を抱いて座っている。マリンブルーの、長い髪の少女。オレンジ色の球状のピアスを耳に下げている。上は、ノースリーブの花柄のブラウスで、下は紺色のパンツ。
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宙は彼女と目が合ったが、彼女は何事もなかったかのようにプイと逸らし、正面に向き直る。
宙は彼女の大きい瞳、どこか不機嫌そうに一文字に結ばれた口、高い鼻を見て、やさしい潮風のように、うっとりとした。
少女は美人だった。テレビ番組で見たあのコーディネーターの女性も綺麗だったが、宙にはこの隣にいる青い髪の少女の方が、より好ましかった。
彼女は何を見ているのだろう、と宙は不思議に思い、見つめた。
やさしい潮風に、青い長い髪がユルユルとなびき、耳のオレンジ色のピアスが振り子のように振れる。
ふと少女の口が、目は海原を眺めた状態で、何か言い出すように、小さく開けられるのだが、何も言わない。
その様を眺めていると、何だか心が洗われるという、そういう感覚のする少女だったが、夢のステージには、やがて暗幕が下ろされた。
見えていた夜空の星々が、彼方へと遠ざかっていき、やがて真っ暗闇が訪れ、宙は明るい朝まで深く熟睡したのだった。
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