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星空のスパークル  作者: Yuki_Mar12
四月
17/48

《17》

***




 ~年三月 ~大学 外国語学部 国際文化学科卒業

 

 同年四月 ~株式会社 就職


 翌年三月 同社 一身上の都合により退職




 市販されているごくありふれた履歴書において、岬欧華の経歴はそういう風になっている。


「すごい高学歴だし、就職先も立派だね」


 副店長の男が、しげしげと履歴書を眺めて賛嘆する。彼はスーパーのアルバイトの採用担当なのだった。賛嘆してはいるけれど、その顔には訝る感じが濃厚に出ているし、言葉には皮肉の響きがあった。


 予定されていた欧華の面接の日だった。


 スーパーの店舗にある狭い個室。細長いテーブルを隔てて、欧華と副店長は向かい合って椅子に座っている。副店長は白のワイシャツに黒のスラックス。欧華は緑のネルシャツに紺のジーンズという恰好だった。


 自分の来歴が書かれた履歴書をなめ回すようにじっくり見られ、両方の拳を膝に置く欧華は、居心地悪そうに眉をひそめている。


「あなたほどの人が、何でまたスーパーのアルバイトなんかに?」


 副店長が首を傾げる。


 履歴書の志望動機の欄に、生活費のためと書かれているが、それでは彼の納得が行かないようだった。


「正直、自分でもよく分かってません」、と欧華。「わたしは就職先をやめました。今は空白期間中です。ずっとブラブラしてるつもりは毛頭ありませんが、考える期間中の生活費が必要なので、今回応募しました」


「成るほどねぇ……」


 副店長は人差し指でこめかみの辺を掻いて、その言葉とは裏腹に、腑に落ちずにいささか戸惑うか、どこか苛立っているようである。


 目蓋が重ったるく下がっているこの男は、目付きが悪く、決して悪い人ではないようだが、欧華の彼に対する印象はいいものではなかった。


「いや」、と副店長は、欧華の不安を察してか、こめかみの辺を掻くのをやめ、安堵させるように手のひらを上げて言う。「うちとしては、ぜんぜん歓迎するけどね。ただ、履歴書を見る限りでは、とても優秀そうなのでね、スーパーのアルバイトにしておくには勿体ないなぁと思って」


 欧華はゆっくりと頷くだけで、特に明確にリアクションしなかった。面接で話されるべきことは、すでに全部話された。欧華は早く帰りたかったし、副店長は、冷やかしに来たと思いかねないほどの才媛の来訪に困惑しきりだった。


 採否は追って連絡すると副店長は言うと、面接が終了した。欧華はそそくさと暇乞いを告げて去り、乗ってきた駐輪場の自転車に跨って颯爽と帰路についた。




 春の暮れなずむ夕日が、空を紅に染めていた。やや冷たい風が海の方より吹いて来、小さい夕日が、水平線に近いところに浮かんでいる。




 向かい風を浴びて自転車のペダルを漕ぎながら、欧華は不意にいっしょに働いていた仲間たちが懐かしくなった。汪海町では夕焼けが綺麗に見えている。仲間たちはそれぞれの居場所でどういう夕べを過ごしているのだろう。その夕べに、紅色に染まる太陽は浮かんでいるだろうか。陰そのものになったように真っ黒の雲が流れているだろうか。仕事を終えて家でご飯を食べ、安らかに眠れているだろうか。


 ――欧華はフラッと、家に帰る道順より逸れ、汪海湾の方へと向きを転じた。常に見えている夕焼けに引き寄せられるように、彼女は自転車を漕いだ。後に用事はないので、寄り道して悪いことはなかった。


 彼女はコンクリートの堤防に自転車をとめ、歩いて階段を砂浜まで下りていく。白いコンクリートも砂浜も、夕焼けに照らされて同じ色になっている。


 海辺の夕べの冷たい風が、やや強く、欧華の長い青い髪が煽られて高々となびき、風に舞い散る砂粒で彼女の目が痛んだ。


 欧華の他にも、堤防に自転車をとめて砂浜に来ている者がいた。コンビニかどこかで買ったおやつを、堤防より足を下ろして座って食べている高校生たち。犬にリードを着けて散歩させている年配者。ひと気のないところで釣竿を投げている釣り人。


 すでに夕日が水平線に接しようとしている。日没までそう長くなかろう。


 財布など必要最低限のものだけ入った小さいショルダーバッグを肩よりかけた欧華は、堤防に近いところの砂浜の、ひと気のないところを選んで腰を下ろし、膝を抱いて座った。


 浜辺に打ち寄せる白く泡立つ波。海原は夜の陰翳をところどころに滲ませている。淡い残照の夕陽に向かって、褪めた青空が広がり、冷たい灰色の細切れの雲が、無作為に並んでいる。


 花火大会――。


 欧華はふと、先日ショッピングモールで見たポスターの花火を思い出した。


 会場は汪海町ではない隣の市街地の海だった。ここから見えるかも知れないなんて想像したが、果たしてどうだろうか。欧華は今見えている夕焼けに、遠い花火を思い描いてみた。そのイメージは、どこか寂しいものだった。


 遠く小さい、音のほとんど聞こえない花火が放射状に散る――星屑のように夜空に散らばる。花火の残光の残っているところに、別の花火が打ち上げられ、星雲のようにぼんやり広がる。


 思い返される小雨の日のプラネタリウムでのビジョン。宙との出会い。


 目を細めてぼんやりと空想や回想に耽溺していた欧華は、不意に吹いた強い冷風にその身を震わせて我に返る。彼女はそろそろ帰ろうと思い、立ち上がる。おやつを食べていた学ラン姿の高校生たちはすでにおらず、口を開けてベロを突き出すという喜びの表情だった犬を連れた年配者も見えない。釣り人もまた失せている。


 欧華はお尻に付いた砂を手で払い、踵を返して、階段を上っていき、堤防にとめてある自転車のそばまでくると、サイドスタンドを払い、ハンドルを持って、跨る前に振り向いて、もう一度夕焼けを眺めてみた。




 夕日は最早水平線に隠れてしまい、雲は総じて陰となり、空の青は濃さを増して紺色に近くなっている。




***

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