《14》
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欧華の関心の的だった海に浮かぶ船舶型科学館、スターシップMINATOについて、彼女はある日、祖母の和子に聞いてみた。和子は足を運んだことがないのであまり詳しくなかったが、漁師として海辺の事情に通じる憲一の話などで、ある程度知っていた。曰く、施設は元々使われていた船舶を改造して出来たものであり、町興しの一環として、地元の企業と自治体が協力して企画し、造り上げたとのことだった。その効果のほどは定かではないが、決して資源や税金の乱費ではないみたいだった。
欧華は後日、スターシップMINATOに一人で行ってみた。その日は小雨が降っていたので、路線バスを利用した。下りるべき停留所は、あらかじめスマホで地元のバス会社のページにアクセスして確認済みだった。
当日、欧華は傘を携行してバスのシートに座り、車窓より暗色の海原を、見るともなしに見ていた。科学館に行くに当たり、彼女はプラネタリウムが目当てだったが、頭の中は、相も変わらず日頃の悩みが巡っていた。父母とのすっきりしない関係性や、これから向かうべき進路や、これまでしてきた甘苦の経験、等々。
だが結局のところ、思い悩むという行為がもたらしてくれるものは、信じられないほどわずかであり、欧華においてはしばしば、後で冷静に振り返り、いたずらに時間が費えてしまったと反省することが多かった。容易に陥ってしまう悲観を楽観に転じたいという思いが強かったが、いかんせん傷心の彼女には、明るい展望が欠けていた。
やがてバスがスターシップMINATOの最寄りの停留所に到着する。欧華は小銭を運賃箱に入れて降車すると、閉じていた傘を開いて岸を歩いていき、階段を上り、傘を閉じて入館した。
小雨の日の科学館は、言うまでもないが、ひと気が乏しかった。平日の午前中という時間帯も、施設の閑寂さに拍車をかけており、受付の職員があまりのヒマさで眠そうにうつらうつらしているところに姿を見せるのは、欧華にとっていささか気遣わしいことだった。
入館料を支払う時、プラネタリウム観覧希望の旨を欧華は伝えたが、おおよそ三十分後に投影が始まるらしく、プラネタリウムを観るということで言えば、グッドタイミングで来られたようだ。
投影の始まる時間まで、欧華は施設の中を好きに巡った。科学館は多層になっており、企業の事業紹介のフロアや、汪海町の文化紹介のフロアなどがあった。他には、スターシップMINATOが現役で航行していた頃の内装が、海や船にまつわるアイテムと共に展示されていたりした。
どこに行こうがひと気がなく、全部好きに見放題だったが、欧華は寂しさの印象が強いばかりで、まるで嬉しくないのだった。彼女が顔を合わせる者といえば、ほぼ施設の職員であり、皆、親近感を持つには年が離れすぎていた。
がしかし、三十分というのは大して長くはなく、館内を巡っている内に時間は過ぎていき、やがてプラネタリウムの投影に近くなった。
欧華は投影室のあるフロアまで階段を使って移動し、重々しい二枚扉まで案内されると、扉を開いて入室した。
投影室の中は、どこか映画館に似ていて、円状の空間において、一人用の座席が段状に並んでおり、極少の客数のため、座席は自由に選ぶことが出来た。座席が段状にあると言っても、段数は少なく、投影室に高低の差はほぼなく、平坦に近かった。投影室が映画館と違うのは、まずスクリーンが壁際ではなく天井にあり、四角形ではなくドーム型であること。そして中央に、スクリーンに映写するための球形の投影機が設置されていることだった。
扉より入ってすぐのところで、欧華は投影室の作りに感心して立ち止まったが、ふと視線を感じて辺りを見回してみると、目が合う者があった。
欧華と同じくらいの背格好の少女が、彼女をじっと見ている。驚いたように目を見開いた顔で、凝視している。
少女は客席とは違う、一風変わったスペースにおり、テーブルにモニターなどの機材が用意されているそこは、きっとオペレーターのためのスペースに違いなかった。
はて、どこかで会っただろうか、などと欧華が怪訝に思い、何となく見返していると、少女はプイと目を逸らした。欧華においても、思い当たるところがなかったので、特に拘泥せず、座席に向かった。
他に客がいたが、指折り数えられる程度の少人数であり、欧華が座席に座って、所定の時間になると、照明がじわじわ弱まっていって消え、プラネタリウムの投影が始まった。
真っ暗になってしばらくすると、パッと映写が始まり、一面を覆う雲が、激しい動きでうねったり逆巻いたりし、やがて小さくなって消失し、その後に、無数の星々の散らばりに埋め尽くされた、黒に近い濃紺の夜空が見えるようになった。
星々は、普通そうであるより遥かにスピーディーに空を巡り、映写が進んで、夜空を広く覆う虹色の天の川が現れると、そのぼんやり淡い色彩の只中を、真っ白の細い流れ星が、幾筋も次々に横切って、はかない尾をひいていった。
欧華は、ダイナミックに動く星々と美しい夜空のビジョンに目を奪われた。映写と共に、女性の落ち着いた声の解説があったが、欧華は目でプラネタリウムを観賞すると同時に、さっき視線を交えた少女の顔を脳裡に回想していた。それぞれ水平の眉に、厚みのある黒髪。物憂げでありながら、星影のようにキラリと煌めく瞳。彼女は一見すると、暗く陰鬱だが、その一方でどこか親しみの持てる明るさを隠し持っているようであった。
投影が終了し、少ない客たちが退室する中、欧華は座席を立ち上がると、あのオペレーターのスペースまで足を運び、そこで一仕事を終えてホッとした様子の少女に、ほくほくした気持ちで感想を述べてみた。緊張があまりなかったのは、年代が近しく見えたことの親近感のせいだろうか。
「とても綺麗でした」
決しておべんちゃらではない、本音の感想だった。
欧華は、話しかけられてどぎまぎしている少女を目前にし、イマイチ釈然としなかった。自分は果たして、率直に感想が述べたくて述べに来ているのか。あるいはこの少女の印象に惹かれ、彼女と話したいがために感想を述べるという口実を無意識にでっち上げて来ているのか。
少女は、天国宙という名だった。
欧華は宙に関して、この場限りの関係であっさり終わらせるには惜しい相手のように思えた。宙のことが知りたい、宙とまた会う機会があれば嬉しい、そういった望みが、この頃ずっと陰々滅々と思い悩んでいた欧華の心に、春を待ち侘びていた草花の如く、喜びを帯びて健気に芽ぐみ、彼女の先に、ほの明るい展望を開いてくれるようであった。
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