《102》
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宙たちが結香の家に集まったのは、花火大会の観覧場所の確保を見越してのことだった。すでに春頃からポスターの掲示や、マスメディアなどでの発信で広く宣伝されている花火大会が、混雑しないわけがなく、毎年観に行くという結香たちはそのことを熟知していたし、また、今まで行ったことのない宙も欧華も、混雑するに違いないといった予測は容易に出来た。
従って混雑回避が望ましいのだが、加地家にはとっておきの隠れスポットがあるらしく、要するに宙たちは、そのご相伴に預かろうということで、結香の口添えもあり、今回の運びになったというわけである。
しばし家の前で好き好きにしゃべっていた宙たちは、出発の時間となって、車に乗り込んだ。宙、陽子、和子は、乗ってきた欧華の運転する車に。結香は、父の運転する車に。結香の方は、友人複数と父母がいる大所帯だが、車が大きいミニバンだったので、全員ギリギリ収容出来るのだった。
加地家前を発ち、田んぼを隔てて農道と並ぶ舗装路を二台の車が前後に並んで行き(勿論、先頭は結香の父の車である)、その後、山沿いの離合の厳しい細い道路を低速で進んだ。花火は海で打ち上げられるのだが、車は海の方には向かわず、しばらく海岸線と平行に走った。
「この道で合ってるんだよね?」、と宙が不安になって欧華に訊く。
「と思う」、と欧華。「最終的には海辺まで行くって聞いてるから、多分この道は、抜け道なんじゃないかな」
彼女の言葉を聞いても、道順を知らない宙は半信半疑だったが、とりあえず納得することにした。
木々の冷気がひんやりとしたエリアを車が走っていると、宙と欧華はエアコンが要らないと気付き、エアコンを消して窓を開けたが、風に木々の葉が擦れ合う音に混じって、そこに生息するヒグラシのカナカナという鳴き声が聞こえた。
ヒグラシの鳴き声と、流れていく涼風の夏の終わりの情緒が、またしても欧華を襲ったが、欧華のみならず、宙も、陽子も、和子も合わせて襲い、皆して、その情緒に起因する回想のイメージに、しみじみ浸っているようだった。
厳しい暑気と激しい光輝で燃えるようだった夏の終わりに際し、彼女等は、ようやくじき過ごしよくなるとホッとしてくるとの期待が持てる一方で、エネルギーに満ち溢れた季節との別れに、寂しい思いがないではなかった。
カーラジオが付いていて、アナウンサーが天気予報を伝えていたが、台風が接近しているようで、明日から天気が崩れるとのことだった。
「ギリギリセーフね」、と陽子。「後一日花火大会が遅かったら、台風で中止になってたかも」
陽子の言に、宙、欧華、和子の三人は同意して頷いた。
やがてほとんど暗くなった頃――七時少し過ぎ――先行する結香たちの乗る車が、速度を二十キロくらいまで落とし、ウィンカーを出して曲がっていったが、そこはただの道端だった。道路より外れた単なる空きスペースで、隣が中断して打ち捨てられた工事現場の跡なのか、金属のポールが茶色く錆びたガードフェンスが数台、無残に倒れている。
そのスペースにはちょうど二台が治まり、駐車すると、皆車より出てきた。
街路灯が少なくて辺りはほとんど真っ暗に近いが、駐禁の標識は見当たらなかったので、ここに止めていても、警察に取り締まられることはなさそうだった。車のとまっているスペースの、古びたガードフェンスが倒れているその反対側には、車止めの低いまるい石柱が並んでおり、その先は歩道となっていた。
「ここだよ」、と結香が言って宙たちに紹介してくれたが、そこは、浜辺だった。植えられた低木を挟んで、歩道と接している。
「けっこう会場から遠く離れてるようだけど」、と欧華が疑義を持ったように呟く。
結香はフフッ、と笑い、「もうすぐ分かるよ」、と楽しげに予言した。
そして一同は水際まで移動したが、自然と互いに近しい間柄で固まり、結香は友人たち及び父母たちと、宙は欧華と陽子と和子といっしょになった。
砂浜を歩く時、陽子を始めとした浴衣の面々は、砂に埋まってしまうので、下駄を脱いで指に引っかけて持ち、裸足で歩いたが、これだけひと気の絶えたところに来てしまっては、せっかくの晴れ着の意味はあまりなさそうだった。とはいえ、本人たちは、着ているだけで満足のようだった。
一同、砂浜に並んで座って待っていた。開催時刻は七時半で、それまで十分となかった。
少ない街路灯の白っぽい光が微かに砂浜まで届き、波は穏やかに浜辺に打ち寄せ、涼しい潮風は、撫でるように柔らかだった。
やがて彼方の水平線より、光の筋が夜空に向かって上がり、結香たちが嬉しそうに騒ぎ出したが、すぐに沈黙し、光の筋は虚空に消えると、パッと弾け、赤、青、緑……多色の粒子となって筋を曳いて散っていった。
一色だったり、多色だったり色々の花火が打ち上げられては弾け散り……それは本当に、花火というべきもので、ある種の花々がたくさんの花弁を放射状に付けるように、花火の光は、ある点を中心として、美しい円状に広がっていくのだった。
距離がある分、迫力はさほどなかったが、くっきりと花火の光跡はこの浜辺においても見え、宙たちはあっという間にその虜となり、最初はうるさいほど騒いでいた女子高生たちも、その華美さと儚さに無言になり、皆、恍惚として夢見るように、花火を観ていた。
綺麗だね、という感嘆の言葉が聞こえたかと思うと、宙は我に返ったようにハッとして夜空より目線を下ろしたが、欧華と目が合い、だが、すぐに彼女は花火の方に目を遣って、宙はその横顔を見つめる形となった。
すると、宙は急に胸が苦しくなって、今自分が見ている欧華の横顔に、何かがオーバーラップして見えてくる気がし、そういえば、と宙に思い出されることになるのは、春、彼女と出会う前に夢に見たイメージだった。
――青い髪の少女が、宙の少し離れた隣に、彼女と同じように、膝を抱えて座っている。その目は海原と星空の方に向けられて、じっと遠くを見つめ、口は何か呟こうとするように小さく開くのだが、結局何も言わないで終わる。耳には夕焼け空と同じオレンジ色のピアスが、潮風に微かに揺れている。
「欧華……」、と宙はほとんど吐息でしかない声で呟いた。
夢の中で、宙はその名を呼ばなかった。彼女が何という名なのか知らなかったからだ。だが、今は違う。今は夢ではなく、現実だ。あの時見た夢は、予知夢だったのだろうか? あの時見た彼女は、欧華その人だったのだろうか? 宙にはよく分からなかった。
よく分からなかったけど……『欧華』という宙の呼び声は、今ある現実においてもそうだし、また過日見た、今はおぼろげになった夢の跡の記憶においても、同じように懐かしく、慕わしく、また頼もしく響いた。
「欧華」、と宙が再び、今度は気持ち大きめの声で呼びかけ、欧華が振り向くが早いか、宙は欧華の方に体を傾け、互いの肩が接するようになった。
欧華は密着する宙の、汗などの体臭とシャンプーの混ざったどこか安心させるにおいを鼻に嗅ぎ、流し目で宙の横顔をチラッと見ると、くつろいだやさしい気持ちになって、いっしょに遠くの花火を眺めた。
そういう風にして二人の夏は、溢れんばかりの友情の温かみと、一抹の寂しさと共に過ぎていった。
その夜、宙と欧華がいっしょになって眺めたいくつもの夢のように美しい星空の煌きは、いつまでも彼女等の胸の中に、尊い宝石として、仕舞われ続けたのであった。
(終)




