黒岩平原I セイリクたち
ユール歴2953年晩夏――
イクセルン城下から北東へ数十リーグ離れた高原地帯――タルノリ領 ノルヴァレン高原。
その中央に位置する、歴史ある要塞、
『カストル城』。
黒岩と呼ばれる巨大な一枚岩を削り出して造られた、
古くからある城塞都市である。
城全体は黒く染まっている。
切り立つ高壁のため内部から外はほとんど見えない。
内部は螺旋状の大通路から細い狭路、
地下洞窟、
巨大ホールに至るまで迷路のように張り巡らされ、
要所に見張り塔や隠し通路が仕込まれている。
城の第二層・中央セクター、刻印番号L2-C-R12。
ここに、セイリク・ハルナードの家族は暮らしている。
ここ最近カーシュ侯国と緊張関係にあったカストルには、兵役義務があった。
16歳から2年間。明日はついにセイリク達の入隊式である。
「明日は早いんだから。今日は早く帰って、早く寝なさいね」
セイリクの母親リアナが優しく声をかける。
「はいはーい、いってきまぁす」
セイリクは肩越しに適当臭い返事を投げ、薄暗い通路へと駆け出していく。
城内の小径を抜け、彼が辿り着いたのは『暮霧亭』。
第二層中央セクターの一角、石の柱に揺れるランタンが柔らかな灯りを落とす小さな酒場だ。
同年代の友人たちはすでに集まっていた。
「セイリク、おせーぞー」
エリンコがにやりと笑いながら手招きする。
鍛冶屋の息子らしい無骨な声だ。
ミランナはひらりとマントを揺らし、涼やかな眼差しで促す。
シオンは静かに頷くだけだ。
酒場の一隅、曲がりくねった木製の一枚板に並んで腰を下ろす。
エリンコは胸が高鳴るのを感じた――明日はついに入隊式。
二年間の兵役が、彼らをさらに遠くへ連れ去る。
暗がりに溶け込む石壁の息づかいを背に、エリンコが大杯を掲げる。
「さぁさぁ、いよいよ明日だな。カンパーイ!」
「カンパーイ!」
グラスを合わせる音が、ひときわ大きく響いた。エリンコ以外は、途切れそうな笑顔を必死に繋ぎ止めていた。
エリンコは、この中で唯一、明日を待ち望んでいる。元々そういう性格だった。
お調子者で、頭もあまりよくない。
しかしリーダーシップはあるし、いざとなると強く出られる。
将来成功するのはこういう奴なんだろうとつくづく思う。
「お前ら、希望の配属は決めたか?」
「俺は弓兵かな。敵に近づきたくないし。」
シオンが答える。
シオンは孤児院育ちだ。
エリンコとは対照的な性格で、
ガツガツしていないが頭はキレる。
静かだが意見ははっきりしているタイプだ。
ミランナはエリンコのいとこだ。
女子だから、兵役はなかった。
エリンコの家の血筋なのだろうか、彼女は気が強かった。
エリンコと違うのは、頭が良い点。自己中で、強調性のかけらもないが、彼女のやることは大抵うまくいく。
「セイリクは?行きたいとこないの?」
ミランナが聞いた。
セイリクは困ったように眉を寄せる。
「んー、決まってないんだよなぁー」
みんな、ニヤリとした。顔に『だろうな』と書いてある。
セイリクは優柔不断。皆が知っている。
明日からの日々に対する不安感はしだいに薄れてゆき、
その夜4人は昔話に花を咲かせた。
小さい頃エリンコの起こした数々の事件、
城内のかくれんぼ、
気まぐれに城壁へ忍び込んだ冒険――
くだらない話に笑い声が絶えない。
4人の時間なんていつでもとれるものだと思っていた。
でも、明日からは違う。
その晩は本当に楽しかった。
やがて、時刻は深く。
4人は名残惜しそうに席を立った。
「また会おう」
みんないつも通りの挨拶をして別れた。
城の闇はひときわ深まる。
内心、明日なんて来てほしくない。
しかし今更どうしようもない。
セイリクはあの長い螺旋道を駆け上がった。
―そして未だ複雑な気持ちのままで、
セイリクは、深くも浅くもない眠りに浸る。
明くる朝、セイリクはいつもより早く目を覚ました。
辺りはひっそりと静かで、心なしか街のざわめきも遠い。
胸に重くのしかかる不安を抱えながら、彼はダイニングへと向かう。
母はいつものように、黙々と朝食を用意していた。
今日は珍しく家族3人で朝食をとった。
若干朝食が豪華な気がする。
母親の、さりげない応援の気持ちだろうか。
隣国カーシュ侯国と緊張状態にあることもあり、
最近のカストルの軍隊はかなり厳しいという噂だった。
上下関係は激しく、訓練は生き地獄だと。
平気で死者が出るらしい。
思い出すたびに、胸の奥から「行きたくない」という声が大きくなる。
心の声に抗いつつ、入隊式用の正装鎧を身につける。鎧は重い。
「大丈夫。なんだかんだ、お前はうまくやる。そういう奴だろ、昔からな。」
「私たちはずっと応援してる。大丈夫。2年後にまた会えるよ。」
家を出る前、両親には激励の言葉を貰った。
言葉に嘘はなく、胸がじんわりと温かくなる。
素直に嬉しかった。
自分は恵まれているなと思う。
「じゃあね。」
セイリクはいつも通りの言葉を口にし、少し寂しそうに、家を出る。
入隊式は「黒翼ホール」と呼ばれるカストル城内中央の大広間にて行われる。
セイリクの同期およそ120人は、ホールの門前に集められる。
セイリクは真っ直ぐ黒翼ホール前の門に向かった。
セイリクがホールの門前に着いた時には、既に70人ほど来ていた。
そのほとんどが暗い表情をしている。
やはり皆、似たような気持ちのようだ。
兵士らしき男が2人、門の前に立っている。見た目がいかつい。雑談でもすれば殺されそうだ。
遠くにはシオンがいた。ピクリともせず立っている。側に行きたかったが、距離的に近づけなそうだ。見る限り、エリンコはまだ来ていないらしかった。
「只今より、点呼を始める。隊員番号と名前が呼ばれたら、大きな返事をすること!」
門の前に立っていた男の内の1人が叫んだ。
―― 「4701 。エリオン・カルン!」
「はいっ!!」
大きな声をあげて手をあげながら前へ出てきたのは、
あのカルン家の長男坊、エリオン。
01で終わる番号だから、おそらく新兵代表だろう。
カルン家は領主に次ぐ格式を誇り、
何代にもわたって政治・軍事の重職を務めてきた名門である。
エリオンの父親ギリオンはタルノリ領大評議会議員を務め、
カストル城および領地防衛の全般を取り仕切る。
カストル城内ではかなりの大物である。
ところでカルン家は、貴族にしては珍しく評判が良かった。
実際、ギリオンの活躍ぶりは度々噂になるほどだ。
そんなカルン家の長男、エリオン。顔を実際に見るのは初めてだった。
いかにも貴族らしい整った身なりをしている。かっこいい。洗練された感じがする。
おそらく小さい頃から父親に叩き込まれたのだろう。
―― 「4702。ブレン・タルマー!」
「はい!」
次に呼ばれたのはタルマー家の次男坊、ブレン。
タルマー家もまた貴族だが、家自体にカルン家ほどの知名度はない。
タルマー家が有名なのは、ブレンの兄、すなわちタルマー家の長男アドラニルの存在故である。
アドラニル・タルマーは、狼のような鋭い感覚と一度獲物を逃さない執念深さから『鉄の狼』という異名を持つ。
彼がまず有名になったのは2950年晩夏。
盗賊団壊滅作戦での出来事だった。
当時、タルノリ領東方の山岳地帯で横行していた山賊を殲滅するという作戦が実行された。
当時のアドラニルはまだ一兵士に過ぎなかったが、
作戦を無視して1人相手の陣地を突き止め、
片手刀と狼牙のような刃 “裂狼刃” を駆使してあっさりと首領以下百余名を討ち取ってしまったのである。
このたった一晩の出来事によりアドラニルの名は瞬く間に広まった。
アドラニルはその後みるみる昇格していった。作戦を無視したにも関わらず昇格したというのは異例の出来事であった。それほど彼の腕は立っていたのである。
しかし彼の戦い方は卑怯かつ残虐で、敵対勢力のみならず味方部隊内にも恐怖を植え付けた。
これらが、彼が『鉄の狼』と呼ばれ出した理由だ。
そんな兄を持つおかげで、ブレンは初めから有名人だったのである。
鋭い目つきで真っ直ぐ前を向いている。『鉄の狼』の弟、というのがしっくりくるような顔立ちだった。呼ばれた後、彼はエリオンの後ろに並んだ。
―― 「4703。レオニル・ヴァルデン!」
―― 「4704。…」
その後も貴族の者が呼ばれ続け、しばらくするとそうでない者も呼ばれ出した。
―そしてついに、その時は来た。
「4782。セイリク・ハルナード!」
「はい!」
可能な限り大きな声で返事をし、前に出る。この場にいる全員が同じことをやるのだが、何気に緊張する。セイリクはぎこちない足取りで、前に呼ばれた者の後ろについた。
点呼は続く。緊張のピークが収まったセイリクは、何か忘れている気がした。
「4798。エリンコ・エレストラ !」
そうだった…!エリンコの姿が見えない。
あれほど今日を待ち望んでいた彼だ。
来ていないのには、余程の理由があるに違いなかった。
ピリついた静寂が走る。
門の前の兵士はピクリともしない。
「4799。ロサン・マールト!」
次に移ってしまった。
エリンコは何をしているんだ!
セイリクは不安でいっぱいになった。
しかし何事もなかったかのように点呼は続いた。
「4818。シオン・ヴァレ!」
「はい!!」
シオンの番がきた。
普段は割と静かなシオンが想像以上に大きな声だったので驚いた。
シオンは最後の方で呼ばれた。孤児は最後。そういう慣例だ。
こうして4821まで、121名の点呼は終わり、ついにエリンコは姿を現さなかった。
一同は可能な限りピシッと並んでいる。誰も、音一つ立てない。
〈バシッ!〉
突然背後で大きな音がした。
「列が乱れているだろうが!!」
後ろの方で誰かが怒られている。鞭で叩かれたらしい。こわいこわい。セイリクは余計動けなくなった。
そろそろ門が開く。入隊式の始まりだ。いや、これは地獄の始まりなのかもしれない。
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