偽首姫
昔のお話でございます。
江戸の市中に反物を扱う大店がございました。
そこの末娘は大層気の強い、お転婆でしたが、親は目に入れても痛くない可愛がりよう。利かん気なのは目上ばかりで、下のものには辛く当たることもなくお店の者たちにも愛されておりました。
近在でも評判の娘御でした。
ところが、です。
ある夜中、かなきり声をあげて自分の首を切りつけて倒れているのを発見されました。
ひどい血溜まりに忍んできた盗賊と出遇して返り討ちにでもしたのでは、と日頃の強気から思われたりもしましたが、その時を境に娘がおかしなことを言い出すようになって、ついには人の目には触れぬよう店の奥に押し込められるようになってしまいました。
どこにでもいる噂雀たちがチュンチュンと鳴き交わして巡り巡らせた話に寄りますと、なんでも娘は自分の首が偽物だ、と言い出したらしいのです。
鏡台や水に映る自分の姿を見るたびに、これは自分の首じゃない、本物の自分の首ではない、と狂気にかられたように叫びだすのだとか。
決まっていた縁談もどこへやら。自分の家族の者すら本物の首なのかと疑いの目を向け、油断すれば刃物を持ち出して自分の首を切り落とそうとまでするので、とうとう両手をつながれて座敷牢で暮らすようになったのだそうです。
可愛がっていた末娘のこと、親は殊更に憐れんで、珍しい菓子を取り寄せたり頻々《ひんぴん》と新しい着物を仕立てて着道楽させたりしていたが、ある日、まるで煙のように娘がどろんと座敷牢から消えてしまって大騒ぎ。
店の者総出で捜索に当たります。
手代の者が発見するに、娘はなんとお侍に向かって自分の首を切り落としてくれとすがりついているではありませんか。
それはもう肝を冷やしてお嬢様を取り押さえ応援を呼んで、なにとぞなにとぞ御容赦をと平謝り。
なんとか店に連れ戻そうといたします。
男三人がかりでも、芝居衣裳のような豪奢な着物に包まれた細った体が嘘と思えるほど頑強に抵抗され、気を抜けば押し返されてしまうほどです。
抵抗の最中にも、右の手では自分の首を絞めようとし、左逃す手でそれを押さえるような仕草もあって、ああお嬢様は本当におかしくなってしまわれたと胸を痛める有様だったそうな。
そしてなんと橋の上で揉み合ってる最中。
すぽーん。
お嬢様の首が引っこ抜けてしまったのです。
そしてぱしゃんと水に落ちると、きゃははきゃははと嘲りの表情で笑いながら下流に流されていったそうな。
腰を抜かした男たちだが、追い討ちをかけるように首の無くなったお嬢様の体が倒れもせずふらふらと歩きだし、これには肝を潰すも致し方なしいうもの。それでも一人が、このままではお店の評判と体裁が、と首のない体に筵を被せた。
そしてそのまま、豪奢な着物の首のない体がゆらゆらと、粗末な筵に包まれ自分で歩いて家に帰り着いたそうな。
気を揉んで帰りを待っていた女中はすぐさま出迎えて大事なお嬢様に汚い筵を被せるなんてお菰でもあるまいに、と怒りと共に筵を取っ払い──大音声の悲鳴をあげてパタンと卒倒。
並みの男より男気のある奥様が駆けつけて憐れな姿の娘を見るに、気絶しないのはさすがだったというものの、色を失った顔で凍りつく。
その奥様に向かって首のない体がひらひらと何か言いたげに右手を伸ばしたそうな。
奥様が気丈に近づき、首のない娘の手が母親の手をガシッと掴むと腹に当てた。腹は孕んだように膨れて動いて、着物ごとパカリ、と割けたかと思うと、そこからドロリとした液体と共に転がりでたのは半ば溶けかかった、けれど確かにお嬢様の面差しを残した、首。
奥様はその首が、はっきり母親を見つめ返し自分こそ本物の娘なのだと呼びかけた、はっきり聞こえた、と。
ただその事ばかり口走って今度は自身が気を病んだそうですよ。
はあて、さて。
溶けかけた首は言葉を喋りませんし、そも首のない体が歩くものか。
縁談は伝のある人が結んだ家格の高い家とのもので、娘は反発していた。娘に別の想い人があり、腹ぼてになったのを隠そうなんざよくある話、と陰険に言う方もおりましたねえ。
最初の刃傷沙汰は駆け落ち話でも拗れたんだろ、と。
人はあることないこと口差がないもんですからね。
どれが本当にあったことだか、なかったことか。どれがヒレやら尾ひれやら。
その札の貼った黒い箱の中身は魚かと?
騒いでおりますものなあ。
はは、先程の話の首を釣り上げたのでございますよ。
迷うて狂うて自分の顔を忘れ、他人の顔を欲しがってしまったのですかね。
寺に納めに参るところです。
可哀想だが、悪さをするようでは干上がらせてしまうしかない。