白い結婚?
光の差さない真っ暗な空間。儀式用のお香の強いにおい。隣にはトリスタン。
司祭と公爵が入ってくると、廊下からわずかな光がもれた。公爵はトリスタンに耳打ちして、外に連れ出す。
いきなり暗い部屋から出ると、廊下は目が眩むほどまぶしかった。公爵は弟に背を向けて、中庭を苛立たしげに見つめている。
「話ってなんです」
トリスタンが、あのメランコリックな調子でたずねた。恋愛劇の主人公のような、甘く切ない表情。
「今夜、王女に何をするかわかっているな」
公爵が振り向いて言った。
「彼女が嫌がることはしたくない。プリシラはただでさえ不安なんだ。兄さんだって彼女がどれだけ怯えているか、知ってるでしょう?」
トリスタンが反論する。
「手足をしばって誘拐してきたお前が言うのか?いいか、トリスタン、お前は理想の女と結婚できるんだ。地位や財産のために気に沿わない相手と結婚する男も多い。だが、お前は違う。その結婚をみすみす逃すのか?女も一度抱いてしまえば、他の男のものになりはしない。もしプリシラが逃げ出しても、彼女はここに帰ってくるよりほかないんだ」
花婿は兄の説得を、沈んだ、やけに真剣な目つきをして聞いていた。たしかに彼はプリシラを一生しばりつけてしまいたかったのだ。それほど激しい恋をしていた。彼女をうしないたくない。そんなの考えたくもないことだ。
プリシラの白い肌や、優しい瞳、たおやかに流れる長い髪……
「兄さん、僕は大人だ。何をすべきかはわかっている」
トリスタンはひっそりとそう言うと、暗闇の部屋へと戻った。
ベッドには花びらが散らしてあった。ニーナが散らしたのかもしれない。
そう言えば、婚礼にはわずかな人間しか立ち会わなかった。司祭に公爵、ニーナとトリスタンの悪友のイーサン。
「ワインは飲む?」
トリスタンが重い沈黙を破る。
「いいえ」
プリシラがかたい声で言った。ワインは飲み慣れていないのだ。
トリスタンは乾いた音を立てて、自分のためにワインを注いだ。
花嫁はトリスタンを盗み見ると、意味もなく顔を赤らめる。彼の胸がリネンの部屋着から、はだけて見えた。
「やっぱり欲しいわ。私も妻になったんですもの」
プリシラはなんだか泣きそうになった。この部屋の静寂には耐えられない!トリスタンはハンサムで、丁寧で、優しくて、それなのに、ニーナが言ってたことを望んでいるのだ。
「プリシラ、君のことが好きだ。でも、嫌がることを無理強いなんかしない」
トリスタンが静かに言った。
「本当に?私を家族から引き離して誘拐してきたのに?ニーナがあなたは若いから我慢できないって言ってたわ」
プリシラは惨めなほど怖がって、体を震わせている。
「プリシラ、落ち着いて。僕は君を愛してるんだ。だから待つことだってできる。君を傷つけたくない。誘拐したのは強引で残酷なことだった。でも、僕の愛を疑わないでくれ」
トリスタンはそう言いながらも、プリシラに恐ろしいほど惹かれるのだった。彼女は泣きぬれて、ハッとするほど美しい。もし今、彼女を押し倒したら……。
体の中で、獣がうごめいていた。悪魔が彼女を好きにしてしまえ、と囁いている。
「家に帰りたいわ。でも、帰る家もない。なんて皮肉な運命なのかしら。あなたや公爵に守ってもらわないといけないなんて!」
「僕が君を守るし、幸せにする。でも、兄のために僕たち夫婦で口裏を合わせるんだ」
「どういうことかしら」
プリシラが子鹿のような瞳でトリスタンを見る。
トリスタンは暖炉の奥から皮袋を取り出すと、中身をベッドの上にまいた。白いシーツの上に、赤いしみ。
「あら」
プリシラは思わず笑ってしまった。