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妻の純潔

 プリシラはドトー卿の堅固な要塞にそろそろ退屈し始めていた。誰も女王の意見や気持ちになど興味がないらしい。パトリックもその部下もプリシラを客人として丁重にもてなすだけで、後は無視していたのだ。



 薄寒い部屋の暖炉の近くで、暖をとっていると、黒いドレスを着た女がそろりと部屋に入ってきた。


「あらマーガレットさん」

 プリシラが反射的に微笑んで言う。


 マーガレットもキッパリとした笑みを浮かべた。

「プリシラ、そんな改まったふうにしないでちょうだい。ぜひ義姉あねと呼んでくださいな」


「まあお義姉ねえさま、優しい方ですのね。気遣ってくださって」

 プリシラがにこやかに、いかにも嬉しそうに言う。


 けれどプリシラには、この女性との交際も気が重いものだった。マーガレットは一瞬で弟のパトリックとその婚約者のプリシラが互いに愛し合っていないのを見抜いてしまったのだ。プリシラはパトリックという人間そのものに興味がないらしいし、パトリックはパトリックで、単なる嫌がらせか、それとも未来の妻を支配せんとしてか、プリシラに冷酷な態度を取っている。

 王女も(ドトー卿の領地では、プリシラは王女と呼ばれていた。女王ではなく)、パトリックの非情な態度にさすがに傷ついていた。


「パトリックはあなたとの結婚を望んでいるのよ」

 マーガレットはちょっとしなを作り、プリシラの手を両手で包んで言う。


「あら」

 プリシラはどう答えたものかわからなかった。


 だって婚約はパトリックが申し出たものなのだ。マーガレットの発言は、言葉足らずだった。その言い方じゃまるでパトリックが嫌々結婚するみたい。姉のマーガレットが直々にそう認めたみたいだ……


「私もです。ドトー卿は素晴らしい方ですわ。でもお義姉さま、私たち婚約していますのよ」

 プリシラが困り顔で言う。


「もちろんそうだわ」

 マーガレットはカラカラと笑いながら言った。


 下品な笑い方だ。彼女の笑い方はきらい。大口を開けて……

 それに、どうしてこの人は毎日全身を黒に装っているのだろう?黒いサテンのドレスに手袋、黒い真珠の耳飾り。カラスみたいだ。


「私の言いたかったことはねプリシラ、弟はもっと早くあなたと結婚したいということよ」

 マーガレットはにっこり、と言うよりもニンマリと笑って言った。なんて大きな口だろう。なんだか海の深海魚みたい。


「まあどうしてですの?信じられませんわ!信じられませんわ……」

 率直すぎるくらいのセリフを吐いてしまう。


「あなたって本当に世間知らずね。パトリックはあなたをとっても好いてるんですよ。それにこんな世の中でしょう?いつ戦争が起こって離れ離れになるのかわかりませんもの」



 プリシラは柳の木の上に登って待っていた。昼食もとらず、唇を噛みしめながら。

 春先とはいえ、強い風が寒い。


「ドトー卿」


 パトリックはひらりと上から舞い降りてきた婚約者に面食らって、まともにプリシラを眺めた。ほっそりとした腰に優雅に揺れる長い髪。悲しそうな、厳しい瞳。まるで妖精みたいだ。


「お話があるんです。お伝えしないといけないことが……」

 プリシラが頬を上気させて言った。


「なんですか。周りに人もいませんよ。どうか話してください」


 パトリックは驚いてプリシラに冷たい態度をとるのも忘れている。

 プリシラは少しだけモジモジして、パトリックの横に並んだ。二人は蒼いなだらかな丘をゆっくりと歩き始めた。


「実は、私もう結婚してるんです。それでお互いに離縁もしていません」

 プリシラがかすれた声で切り出す。

「舞踏会の夜、私はトリスタン・カールセンに誘拐されました。トリスタンは私を故郷のダーチャにまで連れていきました。そこでカールセン公爵の考えで、私とトリスタンは極秘の結婚をしたんです」


「でもそれは無効ですよ」

 ドトー卿はキッパリと言った。


 プリシラがうるんだ目で婚約者を見つめる。心臓がバクバクした。口を開けど、言葉が喉につまって出てこない。


「どうしてそう思うんですの?」

 やっとのことでそう言った。


「だって極秘だったんでしょう?結婚は、王侯貴族の結婚は公なものでなくては。私たちの結婚に離婚も何も必要ありません。そもそもトリスタン・カールセンとあなたは結婚してないんですから」

 パトリックが理路整然と言う。


「でも、あなたに純潔は保証できないのですよ。ええ、そうなんですよ……」

 プリシラはそこまで言うと、パトリックの問うような視線に頬を真っ赤にした。

「私、妊娠してるんです」


「なるほど」

 パトリックが皮肉な笑みを浮かべる。

「なるほど。たしかにこれは慎重を要する婚姻ですね」

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