交渉
弓矢が構えられ、剣をぬく鋭い音が草原に響いた。ドトーとピーターは睨み合い、兵士たちは王女と騎士を取り囲んでいる。一触即発の状況だ。誰かがほんの少し指先を動かすだけで、誰かが死ぬ。辺りはたちまち惨憺たる流血の場となるだろう。
「ドトー卿」
凛とした声が場の空気を変えた。
プリシラがピーターの背後から出てきて、パトリック・ドトーの乗る馬の前に立つ。
もう少女ではない。女王の風格だ。ピーターは驚いてそう考えた。彼の知る無邪気な王女は、もうそこにはいなかったのだ。
「姫君」
パトリックはプリシラの凛々しい美貌に感じ入ったような顔をした。
「パトリック殿、他の者を交えずに二人だけでお話しましょう」
卿は馬から降りると、プリシラと共に木陰へいった。
「父君はあなたを私に任せるおつもりだった」
パトリックが口を切る。
「ええ、そのようでした」
プリシラはそう言って何かを言いあぐねたかのように口をつぐんだ。
「姫君、ピーター・ドールにはあなたをお守りをする兵力も権利もありません。あの裏切り者の大公殿がどれだけの武器や兵士を持っているのか、姫君はご存知ないでしょう。ドールにはとても太刀打ちできないのです。ですが、私にはあなたをお守りするだけの力があります。あなたを誠心誠意守ると誓います」
ドトーの語りは、その演説はまるで完璧だった。卑屈でもない、嫌味っぽくもない。気高く王女に演説してみせたのだ。見た目にも彼は魅力的だった。王女の結婚相手としては少々としを取りすぎてはいるが……
プリシラは冷静だった。この場でドトーの助けを断るのは賢明ではない。だが容易に結婚を承諾すれば、これからドトーの言いなりの人生を送るだけになってしまう。何よりもこの男と結婚したくなかった。奇妙な表現だが、プリシラには自分がドトーと結婚する運命にないことがわかっていたのだ。彼や彼女の意思とは関係ない。ドトーは女王の夫や、プリシラの恋人になるような男ではなかった。
「ドトー卿、私はあなたとの婚約を破棄するつもりはありません。大公を止めるためにはあなたの助けが必要ですから。でも、結婚したとして私はあなたの所有物にはなりません。今は実の叔父から逃げる身であっても、王女に、女王となるべき者として生まれついた私ですもの」
ドトーの目が冷たく光った。油断のならない男。心の中では恐ろしいほど冷徹に、ものを考えている……
「いいでしょう、姫君」
プリシラは彼の沈黙の中に残酷な怒りを感じ取った。
「あの卑怯者の大公を玉座から引きずりおろした後、あなたと私は共同でこの地を統治しましょう。私たちの次にこの国を治めるのはあなたの種。ドトーの一族には永遠の富と名誉と栄光とが与えられることでしょう。もし、血統者の剣を取り戻せたなら……」
ドトーもピーターもカールセン公爵も大公も、そしてプリシラさえも、血統者の剣の伝説を本気では信じていなかった。昔の王が考え出したこじつけだろう、と。それでも一部の貴族や多くの国民にとっては大いに意味のあることなのだ。剣を持つ者、それはすなわち神に選ばれた王だと。
プリシラはピーターに別れを告げた。ドトーの信頼を得るために、ピーターを無謀な行為から守るために、必要なことだった。二人が行動を共にすれば、すぐに衝突して、どちらかが討ち死するはめになるだろう。
「ピーター、私はドトー卿と一緒に彼の領地へ行くわ。あなたは故郷の十字の島へ行って、私のために兵を集めてちょうだい。そして必ず私をドトー卿から取り戻して……」
ピーターはその通りにすると熱烈に誓った。
馬の背の上、プリシラは婚約者の腰に手を回して、無念の表情を浮かべるピーターを何度も振り返った。彼は少しずつ少しずつ遠ざかってゆく。足元には齧りかけのしわくちゃになったりんごが転がっていた……