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95.関東ピアノコンクール個人部門、その2

 

 ホテルを出て、会場へ向かう僕。

 まずは、まっすぐ、会場に併設されている、練習室へ。

 遠方からの演奏参加者に配慮するためか、いくつか練習室が設けられている。


 昨日から予約していた、その中の一つへ向かう。

 最後の調整の時間。


「うん、うん、いけそうだ。」

「そうだね。橋本君はもともと安定感もあったし、今回も抜群。井野さんの息もピッタリだね。」

 茂木と岩島先生。ニコニコ笑って頷いている。

 茂木の方は何だろうか、よりニヤニヤと笑っている、と言った方が近いのかもしれない。


「輝、やっぱりすごい。」

 加奈子はドキドキしながら、僕を見つめている。

 原田先生、吉岡先生も、うんうん、と頷く。


「やっぱり、お前はすごいよ!!緊張しているだろうが、腕は確かだ!!」

 原田先生は僕の肩に手を乗せる。


 時間がまだまだあるので、もう一通り弾く。そして。


「橋本輝君ですね。お時間ですので、舞台袖にご移動願います。」

 練習室をノックされ、スタッフが駆けつける。

 そのスタッフはどうやら、淡々としているが、瞳の奥では、複雑な表情を浮かべている。

 この表情は果たして、業務として、淡々とこなしているか、それとも・・・。


 僕は考えずにいた。

 練習室の皆の顔を見合わせる。


「大丈夫だ、少年。」

「ああ、きっと君なら出来るよ!!」


 原田先生と吉岡先生はにこにこと笑っている。


「橋本君、君にお礼を言いたい。ここまで頑張ってくれてありがとう!!」

 茂木は僕に頭を下げる。

「行ってらっしゃい。橋本君。」

 岩島先生もニコニコ笑っている。


「はい。行ってきます。」

 僕は大きく頷き。

 全員で、練習室をあとにする。


 スタッフに案内され、舞台袖の入口へ。


「そうしましたら、橋本君と譜めくりの方のみがここから先は立ち入りが可能です。皆様はこちらまでです。」


 スタッフの言葉に、全員で頷き。


「おい、少年、昨日渡した、あれ、持ってるか?」

 原田先生の言葉に僕はポケットから、昨日、二台ピアノ・連弾部門に出る際に渡された、原田先生と吉岡先生のネックレスを見せる。


 返そうとしたのだが、個人部門が終わるまでもっていろ、そして、個人部門でも着けていけと言われたので、僕は二人のネックレスをずっと持っていた。

 それは二人の大切なものらしいから。


「ヨシッ、それがあれば大丈夫だ。信じてるぞ!!」

 原田先生は笑っている。


「今回は僕は言うことないかな。でも、ヒロが言うなら問題ないさ。昨日もそうだったように。」

 吉岡先生はさりげなく頷いているが、視線は遠くを見るかのように、僕の掌にある、ネックレスを見つめていた。


「そしたら、今日はヒロの方のネックレスを首に付けて、僕のネックレスはシャツのポケットにしまった方がいいかな。ヒロのネックレスはこっちだよ。」

 吉岡先生は原田先生のネックレスを教えてくれた。

 同じように、先端は小さな入れ物のような形だが、微妙に色が違う。

 僅かな色の違いを見極める吉岡先生。改めて、こんな大事なお守りをくれた二人に感謝しなければならない。


 僕は吉岡先生の言葉に頷き、吉岡先生のいう通り、原田先生が普段身に着けているネックレスを首にかけ、その上からシャツのボタンで覆った。

 そして、吉岡先生のネックレスは、胸のポケットにしまったのだった。


「うん。完璧だよ。大丈夫。見守っているからね。」

 吉岡先生は大きく頷く。


「いいか。二人とも、演奏が終わったら、まっすぐここに戻ってくるんだぞ!!」

 茂木は僕と加奈子の目をそれぞれ、真剣なまなざしで覗いて行った。

 最後の念を押すかのように。


「「はいっ!!」」

 僕と加奈子は声が揃う。


「よし、さすがは真面目で良い返事だ。」

 茂木はうんうんと頷いた。


「それじゃあ、行ってこい、少年!!」

 原田先生が最後に喝を入れてくれ、背中をバシッと叩いたのだった。


 そうして、見送られながら、スタッフに案内され、舞台袖に向かう、僕と加奈子。


 いつも通りの場所。僕と加奈子の二人にとっては。

 だが、用心深く、舞台袖で待機している。


 すでに、安久尾はこの会場のどこかに居るのかもしれない。

 だが、僕はこの時間まで、ただただ、前しか見ておらず、安久尾の『ア』の字も、眼中に無かった。

 それほど集中していた。

 それに、皆が最大の配慮をしていた。ここで、負けるわけにはいかなかった。


「輝・・・・。」

 僕の目を見つめる加奈子。

 加奈子は、僕が、鬼のような表情をしているように見えていたらしい。

 原田達と別れて、舞台袖に移動してから、ずっと。


「大丈夫、集中していただけ。遭遇しても、無視、まあ、シカトして他人の振りをしようと・・・・・。」

 僕は正直に話す。


「うん。それがいいと思うよ。でも、本番は楽しい時間にしたいな。輝の一番楽しい時間。リラックスして。」

 加奈子は僕の肩に手を乗せてくれた。

 もう片方の手には、相変わらず、大事そうに譜面を抱えてくれている。


「ありがとう。ごめん。」

「うん。」

 加奈子のおかげだろうか、すぐに持ち直すことができる。加奈子の譜めくり作戦を提案してくれた茂木に改めて感謝だ。


 一人、また一人と、自分の前の演奏者の発表が終わる。

 終わるたびに深呼吸する僕。


 そして。

 直前の、僕の一つ前の演奏者の演奏が全て終了した。


 譜めくり用の椅子が用意され、ピアノの鍵盤がスタッフによって手入れされる。


「続きまして、十七番、橋本輝君。課題曲、ショパン『マズルカニ長調、作品33-2』、『ワルツ、華麗なる大円舞曲、作品18』、自由曲は、ショパン『作品53、英雄ポロネーズ』。」

 司会のアナウンス。


「どうぞ。」

 スタッフに案内される。

 舞台上へ。ピアノへ向かう僕。


 さあ、集中。ここで負けてたまるか!!


 僕は客席に礼をして、ピアノの椅子に座る。

 同時に加奈子も隣の椅子に座る。


「うん。」

 加奈子は頷いていた。

 ―いつでもいいよ!!―

 加奈子のバレエのコンクールの時もそうだった。

 舞台上に、加奈子が居る。


 まるで、加奈子のバレエの演奏をしているかのように。


 一気に緊張がほぐれ、最初の音を鳴らす。

 本当に、いつも通りに、課題曲の演奏を始めることができた。


 課題曲一つ目、マズルカの演奏。

 十分頭に叩き込んでいるし、指の動きもそして、加奈子のバレエの動きも忘れていない。

 しかし、不安ではある。

 だけど。譜めくりに加奈子が居るだけで、落ち着くことができた。


 マズルカを弾き終え二曲目。


 ここから、曲のボリュームが上がってくる。

 加奈子の譜めくりの回数も上がってくるのだった。


『華麗なる大円舞曲』

 一曲目の勢いのまま、冒頭。

 ターン、タタターン、タタタン、タタタン、タタタンターン、と演奏を奏でていく。


「輝、ナイス!!」

 加奈子はじっと僕の手元を見ている。


 その様子を視界ギリギリに感じる僕。

 その力に引っ張られて、不安と、緊張はもうなかった。


「すごい、輝君。」

 会場から見ている葉月。


「ふふふっ、二人とも、ものすごく楽しそうにしてるわね。」

「はい。それも、ハッシーの賜物で。」

 史奈と結花は舞台上の僕たちを見て、ほっこりしている。


 勿論、それは落ち着いている証拠でもあるので、それを見て安心しているという見方もある。


「ひかるん、やっぱ最高!!ずっと、小学生の時から、変わらないじゃん!!」

 やっとここに来ることが出来たマユ。小さい時を思い出しながら。聞いている。

「ひかるんは、小さいときはよく泣き虫だったけなぁ~。でも、すごく可愛かったり・・・・。」

 マユは頷く。


「輝君。頑張れ!!」

 早織は、客席から緊張した表情をしている。


「部長!!いいっすよ、最高です。」

 それに気づいた義信、早織に親指を立てて。

「部長は大丈夫っすよ!!」

 と早織にアピール。

 早織は頷き、どこか、安心している。


「輝君!!」

「橋本君!!」

 心音、風歌は演奏が進むにつれて、少し前のめりになりながら、ドキドキしつつ、引き込まれつつステージの上の僕を見ていたという。


 その他、藤代さんや、大人たちも、同じように、頷き、前のめりになりながら、僕の演奏を集中して聞いていた。


「ここまで、申し分ない出来だ。自由曲まで、集中力と勢いは持つか・・・。いい意味で、周りを気にせずこのままいって欲しいが。」

 茂木は少し心配する。


「大丈夫。そのための加奈子ちゃんですよ。」

 原田先生はニコニコ笑う。


 そう、原田先生の思った通りだった。


 僕の集中力は維持されたまま、課題曲二つを終えた。


 残りは自由曲『英雄ポロネーズ』。


 今、僕が弾ける曲の中でも、いちばん難しい曲の一つ。

 そして、どこに居るかわからないが、おそらくどこかで演奏を聞いている安久尾の前での演奏は二度目・・・。


 一度目の演奏は・・・。中学三年生の時の同じ場所。

 これまでの集大成で、難曲を仕上げてきたが、安久尾と買収された審査員で、ことごとく、県大会で門前払いを食らっていた。


 久しぶりに、『英雄ポロネーズ』を弾いたのは、加奈子のバレエのコンクールの時。

 保護者向けの発表会で、無心で弾きたくなった。

 本当にあの時は不思議な力だった。バレエ教室の皆の声、アットホームな感じのバレエスタジオ。

 そのすべての力が本当にすごかったから。みんながひたむきに頑張っていたから・・・。

 あの時、力を出すことができた。


 だが、ここは原田のバレエスタジオではなく、コンクールだった。

 バレエスタジオではなく、ピアノコンクールの会場。


 インターバルを長く取る僕。

 まずい。何かが、トラウマが・・・。

 僕の心の中に、何か大きな闇が襲ってきた。ここに来て。めちゃくちゃに緊張している。


 安久尾が、買収された審査員が、聞いている。

 そんな奴らの前での、『英雄ポロネーズ』、二度目の演奏。二度目も、突き返されてしまう・・・。


「輝・・・。」

 加奈子が、こちらを見てきた。


 そして、見えないところで、僕の太ももに、手を乗せてくれる。


「大丈夫。私がいるから。それに・・・。私も踊っているよ。心の中で。ねっ。」

 加奈子が耳元で囁いてくれる。


 そして。

「・・・輝君!!」

「・・・絶対大丈夫。『英雄ポロネーズ』私も大好き!!」

「・・・いちばん頑張ってるの知ってる。」


「・・・・・っ!!?」

 この感覚。それは昨日とまったく同じ感覚。

 明らかに加奈子の声ではない。どこからともなく知らない声。


 何だろうか。勇気をもらった。僕の心が勇気をもらっている。一歩踏み出せそうな。そんな感覚。

 いま、僕の心を支配しているのは不安や緊張ではない。それが、一気にその支配が、緊張が解かれていく。


 気づけば、『英雄ポロネーズ』の最初の部分を弾いている僕が居た。

 勢いよく、フォルテッシモで。

 最初の音が大きすぎた?テンポ走りすぎていないか?


 それは、昨日の『春の声』にも起こった。

 大丈夫。昨日と同じ感覚。


 確かに走りすぎて、荒削りな部分もあった。だが、全体的には。表現、勇敢さ。それが見事に演出された、自分でも納得いくような、演奏に変わって行った。


 加奈子も一生懸命譜めくりをサポートしてくれている。


 加奈子の手元を見と、時々、ピシッと指を伸ばしたり、膝を少し動かしたりしている。

 ああ、バレエで、踊っている。


 そうして、僕の勇気あふれる演奏は終わった。


 客席に一礼を済ませる僕。

 拍手の音。

 この音は納得。たとえ、この場に、安久尾や買収された審査員が居ても、観客は僕の演奏をしっかり聞いてくれた。


「やったね、輝。」

 加奈子がニコニコ笑っている。


「うん。本当に、ありがとう!!」

 僕の目には涙があふれた。


「・・・やったね。輝君!!これからも頑張ってね。」

 どこからともなく声がした。

 二日間、どこからともなく、不思議な声に助けられた。


 誰かはわからないが、心のどこかで、その声の主にも、感謝をしたのだった。


 舞台袖に戻って行く、僕と加奈子。

 緊張はほぐれて、ホッとしたが。まだ終わっていない。


 とにかく、まっすぐ戻らないと・・・。


 舞台袖で、観客が見えない位置まで行くと。


「お疲れさまでした。戻ってOKなので。」

 スタッフの声に案内され、一目散にロビーへ向かう僕たち。


「輝っ。」

 加奈子はぎゅっと、僕の手を握る。

 ドキッとしたが。


「うん。ありがとう!!」

 僕は加奈子の瞳を見つめ、お互いに頷きあう。


 そうして、手をギュッとつないだまま、長い廊下を歩いた。本当に長い廊下だった。長い道のりだった。


 だが、長い道のりと感じても、そんなものは杞憂に終わる。

 長い道のりの先、原田先生と吉岡先生が僕の視界に入る。


 僕たちを見たのか、二人は大きく手を振ってくれた。


「少年!!よくやった。最高だった!!」

「とても素晴らしかったよ!!輝君!!」

 原田先生と吉岡先生は、僕の頭を思いっきり撫でる。


「輝。ありがとう。最高だった。」

 それを見た加奈子は、思いっきり両腕を僕の背中に回した。


「お礼を言わなきゃいけないのは僕の方だよ!!加奈子、本当にありがとう!!」

「うん。うん。」

 僕と加奈子はお互いにもらい泣きしている。

 もうすべてやり遂げたかのように。


 そして、ここで、何もなかったことのように、安心する僕たちがいた。


「あの、これ、ありがとうございました。」

 少し落ち着き、僕は原田先生と吉岡先生にもらった、お守りのネックレスを返却した。


「おお、これも役に立って、本当に良かった。」

「ああ、そうだな。一人、これで救うことができて本当に良かった。」

 原田先生と吉岡先生はニコニコ笑いながら、そして、どこかホッとする表情を見ながら、ネックレスをそれぞれの首もとに着け直したのだった。


 そうして、僕たちは、ホテルへと戻って行った。


 これで、本当に終わった。無事でよかったことに感謝した。







今回もご覧いただき、ありがとうございました。

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