81.茂木からの提案
「輝、お疲れ、どうだった?」
バレエスタジオにやってきた加奈子は、明るい表情でこちらを見る。
相変わらず、原田の前や小さいころからずっと通っていたこの場所では普段よりもとても元気がいい。
高校にいるときはその元気さは葉月の方が上だ。
「まあ、進んではいるよ。みんなにこの間の出来事を共有した感じかな。」
僕は正直にありのままを加奈子に伝える。
「そうなんだね。かなり重要な問題だから、私たちのことは大丈夫だよ。」
そうは言っても僕だって、生徒会の一員だ。二学期には、この花園学園、一年を通しての最大のイベント、文化祭、体育祭だってあるのに申し訳なく思う。
「あの、ごめん、文化祭や体育祭の準備で忙しい二学期なのに。」
僕は加奈子に言うと。
「大丈夫、大丈夫。輝は普段から生徒会活動にも顔を出してもらっているし。今は構想段階だから。輝のコンクールが終わって、中間試験が終わってから本格的に準備に入ればいいし。」
加奈子はそう言いながら首を横に振りつつ応える。
しかし、そうは言ってもすまなそうな表情になる僕が居た。
「さてさて、仲良しさんが、そろったようだね。」
茂木が僕たちの様子を見ながら頷く。
「す、すみません。」
「ご、ごめんなさい。つい話し込んじゃって。」
「・・・・・・はいっ。」
僕、加奈子、そして、風歌は緊張した面持ちで、茂木の表情を見た。
「緊張しなくても大丈夫。みんなは何も悪いことはしていないのだから。」
茂木の言葉に、僕たちは頷く。
頷いたのは、一緒にいた、原田先生、吉岡先生、そして、藤田先生、岩島先生も同じだった。
原田先生も、加奈子がここに来たと同時に、別のクラスのレッスンを終えて戻ってきたのだ。
「さて、ここに居るメンバーと一緒に、この間の、コーラス部のコンクールでの出来事、そして、今後のことを話し合っていたよ。」
茂木はそう言って、加奈子と風歌に伝える。
「結論から言うと、橋本君の今後はとても厳しい。あの安久尾がいる限り、上位の大会に進めても、何かしらの妨害が起こるかもしれない。そして、橋本君にさらなる緊張と、トラウマを与えてしまうかもしれない・・・・。」
茂木の言葉に加奈子と風歌は下を向く。
「そこで何だが。今後の対策として・・・。二人に橋本君のコンクールのサポートをお願いしたい。」
茂木の言葉に加奈子と風歌は驚いたような顔をする。
「井野さんには、思い切って、今度、つまり、来月に出場する、橋本君のピアノコンクールの譜めくりのサポートをお願いしたい。」
「えっ?」
茂木の言葉に加奈子が呆然と驚く。
「大丈夫。披露する曲は三曲。だけど、三曲とも井野さんがよく知っている曲。課題曲の二曲は『レ・シルフィード』の中にある曲だ。『Op.18「華麗なる大円舞曲」』、『Op.33-2「マズルカ」』だよ。自由曲は君が先のコンクールで、無理やり変更した『Op.42「大円舞曲」』だ。」
茂木の言葉に加奈子はホッと、胸をなでおろす。
加奈子のよく知っている曲が茂木の口から語られ、安堵する。
だが、すぐに加奈子は表情を不安な顔に戻し。
「あの、私、曲は知っていても、楽譜が・・・。」
「失敗しても大丈夫。最大の狙いは、彼の緊張をほぐすため。井野さんが舞台で躍っているように見せかけるんだ。」
茂木は頷きさらに続ける。
「そしてもう一つ、橋本君を妨害に合わせないようにするため。コンクールの間中、控室や舞台袖で、彼を一人にさせないためだ。譜めくりというサポートなら、一緒に行ける。」
茂木の意図を理解したのだろうか。
加奈子はアッと表情を変え、少し頷く。流石は成績優秀な加奈子だ。
「今度のコンクールの規定には、楽譜は暗譜しろとは一言も書いていないし、必要があれば譜めくりのサポートも依頼できる。ただし、上位の大会に進んだ、関東のコンクールでは、自由曲は、県の大会で演奏した曲以外に変更しなければならない決まりがあって。これは『英雄ポロネーズ』だ。おそらく、井野さんは聞いたことはあるけれど、全部は知らないと思うので、これは、少し遅らせて関東のコンクールの時に仕上げようか。」
茂木の言葉に少しまた緊張してきたが。
今回のコンクール対策を理解したうえで、自分の存在がとても重要になると思った加奈子。
「大丈夫だ。『英雄ポロネーズ』も聞いたことがあるぞ、この前、皆の発表会の時に、少年がアンコールで披露してくれた、アレだ。格好良かっただろう?」
原田は加奈子に向かってウィンクする。そして、さらに続ける。
「ちなみに、加奈子ちゃんさえよければ、『英雄ポロネーズ』はクリスマスコンサートで披露してもらう。コンクール上位入賞者の特別ステージでな。雅ちゃんは『金平糖の踊』で『くるみ割り人形』の中でやる予定だけれど、加奈子ちゃんの方のステージでやる曲は決まっていなかったしな。」
原田の言葉に、加奈子の表情は少し和らぐ。
「どうだろうか、井野さん、私たちもサポートする、譜めくりのサポートをやってもらえないだろうか。」
茂木は頭を下げる。
つられて、僕も頭を下げる。
怖かった。あの、関東の合唱コンクールの時のように、安久尾が出てきたらと思うと。とても怖かった。
しかし、なぜだろうか、バレエのコンクールの楽しさがあるのだろうか。
加奈子が居れば安心できる。
「わ、わかりました。それに、あの時、輝と約束しました。困ったことがあったらいつでも言ってねって。」
加奈子は勇気を出して頷いた。
「あ、ありがとう。加奈子!!」
僕は涙ながらに加奈子にお礼を言った。
「う、うん。こちらこそだよ!!」
加奈子も僕のもとに駆け寄り、抱きしめる。
これで少しは前に進めるのだろうか。
「おお、いいねぇ、青春だね。」
原田先生は僕と加奈子を見てにこにこと笑う。
「よし。これで橋本君をコンクールの間中、一人にさせないという作戦が出来た。いいかい?コンクールの間中は誰かと一緒に居るんだよ。」
茂木の言葉に僕は頷く。
「わかりました。」と。
「だがしかし・・・。」
この雰囲気を壊すかのように、茂木がポンポンと手を打ってきた。
だがしかし・・・。
「これでやっても、橋本君の緊張が少しでも解けるための緩和策で、根本的な解決策にはなってない。むしろ、関東の大会で、安久尾建設の賄賂をもらっている審査員が居れば、それでも厳しくなる。」
確かにそうだ。すべて自分の都合で解決し、そのためならば、金をいくらつぎ込んでも構わない連中だ。
「そこで。緑風歌さん。君にも来てもらった理由だよ。君の出番だ。」
茂木の言葉に風歌の身体はピクッと震える。
「えっ・・・。は、はいっ。」
風歌は緊張しながらも大きな声で返事をする。
「私はここに来て長いからね。いろいろな音楽のコンクールで審査員をしている。当然、緑さん、君のことも知っている。小学校からとても素敵な演奏ができることをね。」
茂木は緊張している風歌に優しく声をかける。
「は、はい。ありがとうございます。」
風歌は頭を下げる。
「今回の橋本君の出場するコンクールはピアノ個人部門の他にピアノ連弾・二台部門というのがある。二台ピアノかもしくは連弾で出場するのだけれど。どうだろうか?橋本君の曲はもう既に、完成している。緑さんさえよければ、二人で一緒に連弾・二台部門に出場してみてはどうだろうか?もしくは、一緒に個人部門に出場してみてはいかがだろうか?」
茂木は風歌に提案してみる。
風歌は、顔を赤くする。
「は、はいっ!!」
大きな二つ返事が返ってきた。
「おお、そうか、出てくれるか?」
「は、はい。そのコンクールの個人部門の方にはもともと出る予定でしたし。私も、すでに弾ける曲から曲を選んでますので。連弾の曲の完成まで、一気に行けると思います。私のピアノの先生とも相談してみます。」
風歌は恥ずかしそうだったが、元気よく答えていた。
「あ、ありがとう。風歌。」
僕は風歌にお礼を言う。
「う、ううん、ひ、輝君と一緒に出れて嬉しい。よ、よろしく。」
風歌は握手を求めてきた。僕はそれに応じる。
風歌は嬉しそうに、手をブルンブルン振った。
こうして、僕のピアノコンクールに向けた準備が始まった。
「さてと、そしたら、連弾・二台ピアノ部門の曲、つまり二人の曲を決めないとな。課題曲は、モーツァルトの『二台ピアノのためのソナタ』。数年前に有名なドラマとアニメにも使われたやつだな。第一楽章から第三楽章の中から好きな曲を選べるけれど、出だし勝負で第一楽章にしよう。大丈夫かな?」
僕は頷く。というより。
「問題ないです。むしろ風歌に合わせます。」
僕は風歌の顔を見る。
風歌は口を開く。
「私も、平気です。」
風歌は元気そうに言った。
「よしよし。では自由曲だけど。こちらは二台ピアノでも、連弾でも、何でも良くて・・・。何か候補は・・・。」
茂木が考えた瞬間。
バーンッ。
イキナリ吉岡先生が机を叩いて立ち上がった。
その瞬間、ここに居る全員が吉岡先生の顔を見る。
「・・・・・・・の声。」
吉岡先生はぶつぶつと口を動かす。
「どうした?吉岡君。」
茂木は吉岡先生の顔を見て、吉岡先生に尋ねる。
「『春の声』。シュトラウスの。」
吉岡先生はそう言う。
「「「・・・・・っ。」」」
吉岡先生の『春の声』というワードを聞いた、その瞬間、バレエ教室にいた大人たちの顔が一瞬引きつった。
「ヨッシー、ほ、本当に良いのか?」
「よ、吉岡君、君の意見は尊重するが・・・・・・。」
原田先生と茂木は吉岡の顔を見る。
藤田先生、岩島先生も、固唾をのんでその場を見守る。
「ああ。俺は平気さ。むしろ、決めるのはこの子たちだろう?俺は決心がついたよ。俺も一緒に闘いたい。橋本君の、輝君の勇気に感動したよ。頑張ろうとする君を見てやっと、やっとな。」
吉岡先生は深く、深く頷く。
「それに、ヒロ、彼もバレエ教室の一員じゃなかったか?一緒に橋本君と闘うのはお前たちだって同じだろう?そう、お前たちだって。」
吉岡先生はそう言って、原田先生と茂木、そして、藤田先生と岩島先生の顔を見た。
大人たちは、目に熱いものを浮かべて、うん。と深く頷いた。
何か、そうだな。そうだな。というように。
「輝君、緑さん、どうだろう。自由曲はヨハン=シュトラウスの『春の声』でどうかな?」
吉岡先生は僕たちに歩み寄った。
「は、はいっ。」
吉岡先生の勢いに完全に負けた風歌。頷く風歌はすぐに僕の顔を見る。
「は、はい。良いですが、いきなりどうしたのですか?」
僕は、吉岡先生に聞く。
「あ、ああ。いきなり、ごめん。実は。そうだな。僕も君と同じ境遇で歩んだんだよ。」
吉岡先生はそう言って僕の肩をポンポンとたたく。
「『春の声』は俺がバレエコンクールの自由曲でよくチョイスした曲だ。でもな。俺も安久尾建設のようなとんでもない奴らの賄賂のせいで、僕も、長期間入賞できない悔しい思いが続いてね。その時の自由曲『春の声』が凄くトラウマみたいになっちゃってさ~。」
吉岡先生はハハハッ。と笑いながら話す。
「大丈夫。いつか、君にも今のつらい時期を俺みたいに笑い話にするときがあるさ。だからさ、僕だと思って、僕からのプレゼントだと思って、受け取ってよ。」
吉岡先生はそう言って、親指を立てる。
僕は大きく頷く。
「はい、ありがとうございます。」
何だろうか、吉岡先生の言葉に涙が出てくる。
「ははは、泣くのはまだ早いぞ。輝君。」
「そうだぞ、少年、あの時のヨッシーはかなり辛そうにしてたが、今はこうして元気なんだ。お前も、頑張れるさ。」
原田先生はそう言いながら、僕の肩を、そして、吉岡先生の肩をポンポンと叩いたのだった。
こうして、風歌とともに出場する、連弾・二台ピアノ部門の自由曲は『春の声』となった。
「さてと、打ち合わせはここまでだな。練習はバレエスタジオを使いなさい。仲間と練習して、回数を重ねることが必要だからね。時々、藤田先生と、岩島先生もここに来てくれるそうだから。」
茂木はそう言って、今日の打ち合わせをまとめた。
「そして、連弾・二台ピアノ部門の方は、急ピッチの仕上げになるが、大丈夫。地元の県大会は、例年出場者が少なくて、その場で賞を渡して、関東大会へ進出できるから、日程的に余裕がある、関東大会を視野に入れて頑張ってみよう。」
茂木は僕と風歌ににこにこと笑いながら言った。
僕と風歌はお互いに頷く。
「そして、例の映像だが。私と、そちらのお嬢さんと運転手で預かってもいいかね。」
茂木は、今日の打ち合わせの冒頭に見せた、安久尾が僕への暴行映像の件に話題を変えた。
「はい。」
「もちろんです。」
史奈と瀬戸運送の運転手は頷く。
「辛いかもしれないが、決して、SNSにアップしないことだな。今アップすれば、奴らは言い訳を並べて逃げてしまうか。一番良くて、強制的に示談にさせることになるだろう。もっと、いい方法が出るまで、記録として残しておこう。僕の予想だと、すぐにその方法が出てきそうだよ。」
茂木はそう言って、笑顔を見せ、場を和ませた。
これには史奈と運転手も同じだった。
こうして、打ち合わせは終了し、二学期の最初の目標、僕のピアノコンクールに向けて準備が始まった。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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