53.合宿の初日
原田先生のバレエ教室一行を乗せた、【瀬戸運送バス】は高速道路を走る。
途中、サービスエリアで休憩を取るが。
「輝、大丈夫?何か、買ってこようか?」
隣に座っている加奈子の声で目が覚める。
途中までは、加奈子と話していたのだが、昨日からの疲れもあったのだろう。
高速道路で、道が単調になったとこから寝始めてしまったようだ。
「ごめん、加奈子、寝てた。」
僕はそう言って、加奈子に謝る。
「気にしなくて、いいよ。飲み物とか買ってくるね。ああ、輝もトイレとか行く?まだまだ結構かかるから。」
「ああ。そういうことなら・・・。」
僕は加奈子の言葉に甘えて、トイレに行くことにした。
バスを降りると、外は少し涼しい。
「ああ、大丈夫か?少年。」
雲雀川の市街地よりは少し涼しい。だが、ここは同じ県内なのだという。
「まあ、雲雀川市が県の南の端で、これから行くところは県の北の端のようなところだからな。順調に行っても三時間以上はかかるかな。高速で一時間、さらにそこから一般道で二時間というところかな。」
原田はそう言いながら笑っている。
「ここからは景色もいいぞ、少年。眠気覚ましにはぴったりだ。」
原田先生の声に、少し希望が湧く。
そうして、僕たちは休憩を済ませ、再びバスに乗り、休憩を取ったサービスエリアの直後のインターで降りて、ここから一般道へ向かう。
川沿いの道だった。
「この辺りは、温泉街もまばらにあって、渓流を見ながら、温泉や釣りとかで、とても綺麗なんだ。故に、毎回ここは渋滞でハマるのだけど、今回は楽勝だな。」
車の流れがスムーズである。夏休みだが、平日というところと、お盆よりは少し前ということが功を奏したのだろう。
バスは、渓谷の奥へ、奥へと入っていく。
本当に綺麗な渓流の景色だった。
やがて、一緒に走っていた、渓流とも別れを告げ、バスはさらに山の中へ。
だんだんと標高が上がっていく。
白樺の木が、ポツン、ポツンと増えてくる。
「これから行くところは二千メートルを超える場所だ。この山も奇麗だよな!!」
原田の説明に、僕も、加奈子も頷く。
そして。
一つのホテルに到着する。
そのホテルの目の前にはスキー場なのだろうか、だが、夏場のこの時期は、スキー場になる予定の芝生が広がる。
「ここら辺は、スキー場がたくさんあるんだ。周辺のスキー場、スキー客専用のホテルがいくつもあるが、夏場はスキー客なんていないからな。県の支援事業で、夏場は、こういう団体が合宿で使えるように、特別割引で支援しているわけ。この周辺のホテルにも、いろいろな団体が合宿で利用しているよ。ほら。」
原田先生の指さす方向には、確かに、先ほどまで乗ってきたバスとは異なる塗装のバスが、何台か停車している。
受付を済ませ、荷物を置き、大広間のような場所に案内される。
そこは、綺麗な床が広がっていて、鏡張りの壁が敷き詰められている、場所でもあった。
ほかにもそういう部屋がいくつもあり、明らかに、ここだけ増築された部分だった。
おそらく、原田先生が言っていた、県のスポーツや部活の支援事業で、そういう補助金をたくさんもらっているのだろう。
「ヨシッ。みんな、そろったな。これより合宿を始める。冬のクリスマスコンサートまで、気合入れていくぞ!!」
「「「「オーッ!!」」」」
原田の掛け声に生徒たちが大きな声をあげる。
そうして、先ずはスタッフの紹介をする、このバレエ教室には原田先生の他にも、何人かの先生がいるようで、原田先生は、その先生方を紹介し。その後で。
「さあ、お待ちかね、スタッフの一人として、最強の助っ人が来てくれたぞ!!加奈子ちゃんのバレエをピアノでエスコートした、橋本輝君だ。」
原田先生はそう言って、僕の方を指さし、僕は礼をする。
「みんなのリクエストに応えて、練習で、ピアノを弾いてくれることになったぞ。そして、昨日本番を終えたばかりなのに、来てくれた、感謝の拍手をしよう!!」
原田先生の言葉に僕は頷く。
「わーい。」
「やったー!!」
「お兄ちゃん、ありがとう!!」
バレエスタジオに通う生徒たちが、心から喜んでくれた。
そして。今日ここは、バレエスタジオに通う、生徒たちがほぼ全員集まる機会。おそらく、社会人や学生は除いて、幼稚園生から高校生までが一気に集っている。
ということなので、今年の四月から新しく入った生徒の自己紹介が行われた。
そうして、新しく入ってきた生徒たちが前に出てくるのだが。その中の大半が、まだまだ小さい子ばかり、頑張って、大きな声を出しながら、頑張って自己紹介をしていた。
新しく入った仲間たちを拍手で迎え入れ、初日の練習に入った。
まずは柔軟運動、ということで。早速リズムに合わせて、行うことになった。
「少年、行けるか?」
原田の声。
そう、柔軟運動にもピアノ演奏がある。
渡された楽譜を開いて、ピアノを弾く、それに合わせて、元気よく動く、生徒たち。その中には加奈子も藤代さんもいる。
「ヨシッ、いいぞ。みんなもっとお兄ちゃんのピアノを聞こうか。折角ここに来てくれたんだし。もったいないぞ。バレエにとって、音楽に合わせることは、基本中の基本だ。」
原田先生は皆の柔軟運動を見ながらアドバイスをする。
そして、おそらく、ここには原田先生が担当していない生徒もいるのだろうか。その生徒にも動きの補助をしている。生徒たちの、身体を支えたり、前や後ろに押したりしているようだ。
「折角みんな集まっているので、小学生の皆、中学生、高校生の人達の動きを見て見ようか。」
続いて原田先生からはこんな指示が飛ぶ。再び原田先生に合図されて、ピアノの鍵盤を弾いていく僕。
小学生の生徒は、動きを止めて、高校生たちの動きをじっと見ている。
やはり、加奈子と藤代さんを含む中学生、高校生の動きはやはり僕でも一目瞭然でわかる。
「良いか、これが目標だからな。頑張ろう!!」
原田先生や普段小学生の生徒を教えている他の先生方は、ニコニコ笑っていた。
そうして、十分にアップをしたら、クラス毎に分かれての練習になった。
最初に僕が担当するクラスは、第二部のステージ。小学五年生以上、中学生、高校生からなる、コンクールの選抜メンバーで行う、『レ・シルフィード』だった。
僕のピアノコンクール練習も想定して、曲調のテンポも、僕が弾くテンポに合わせて、振付しなおしてくれるという。
「すみません。気を遣わせてしまって。」
僕は原田先生に頭を下げるが。
「いいの、いいの。加奈子ちゃんを含め、皆、少年のピアノでやりたいといっているから。そして、私もだ。」
原田先生はウィンクしながら言った。
全体の準備が整い、改めて、僕がピアノを弾いていく。
加奈子は僕のピアノの動きに対応できている。テンポ、間の取り方もピッタリだ。それにピッタリマークするように付いてくる、藤代さんの姿。
他のメンバーは少し、コンクールのテンポとは大きく違い、少し戸惑っているような気がする。
だが、始めこそ戸惑ったものの、みるみるうちに、僕のピアノのテンポについて行けるようになってきている人物がもう一人いた。
その人物は、一緒に踊っている男性の先生だった。
彼は、加奈子と藤代さん同様、僕のピアノに機敏についてくる。
いや、正確には。原田先生から僕のテンポを聞かされていたのだろう。少し早めのテンポということを想定して、出だしはしっかり聞いて合わせていたようだ。
流石は、バレエ講師だ。
しかし、加奈子、藤代さん、そして男性のバレエ講師以外のメンバーは、やはり、速いテンポで行くためには少し慣れが必要かもしれなかった。
隣に座る史奈は僕の指示で、譜めくりを手伝ってくれている。
瀬戸運送の社長令嬢であった史奈、ここまで、僕たちを乗せた、自分の会社のバスで一緒に付いてきてくれていた。
やはり運動部出身のようで、楽譜の内容はわからなそうだが、僕が合図をすると、すぐに動いてくれた。
原田先生は、僕のピアノ、そして、バレエの動きを見ながら、それぞれに、指示を出している。
一つ一つ、曲を止めつつ、動きの確認をする生徒たちがそこにあった。
やがて、このクラスの練習が終わる。踊っているメンバーは少し疲れている様子だ。
そう言う僕も、少し集中していたためか、一気に汗が、そして、眠気、疲れが襲ってくる。
「ありがとうな。少年。ひょっとすると、『ワルツの70』、『マズルカ』と『華麗なる大円舞曲』以外は、テンポ、少し落としてもらうかもしれない。この三曲は、加奈子ちゃんと雅ちゃんがメインにやってもらう予定になっているから、問題ないけど。」
原田先生はそう言いながら、今日の手ごたえを伝える。
「ええ。問題ないですよ。むしろすみません、僕の方に合わせていただいて。」
「いいってことさ。全国や海外に目を向けると、実際に少年のピアノのテンポでやっているバレエ団もあるからな。」
原田先生は笑いながら言っていた。
原田先生は続いて、バレエのメンバーにもいくつか指摘を言って、改めて、この練習を終わらせた。
そうして、僕の所に寄ってくる、加奈子と藤代さん。
「輝、お疲れ様。ありがとう。」
加奈子がニコニコ笑う、本当にうれしそうな表情。
「私からも、ありがとうございます。橋本さん、伴奏していただいて。そして、合宿にも来ていただいて。」
藤代さんは丁寧に頭を下げる。その動作一つ一つも、所作があって、気品が漂う。
バレエのコンクールの時から、そう言った動作が本当に見受けられる彼女。
どこか、良いところで育って、誰かに厳しく躾けられたのだろうか。そんな感じだ。
僕は二人に首を横に振り。
「こちらこそだよ。なんか、本当に夏休みを満喫しているという感じがする。」
僕はニコニコ笑う。
そのやり取りの中、もう一人、僕に近づいてきた。
「おおっ、噂の王子様との初対面だな。初めまして。」
先ほど、加奈子たちと踊っていた、男性のバレエ講師が声をかけてくれる。
「初めまして、橋本輝です。」
「はははっ。そんなに緊張しなくても良いよ。輝君のことはヒロ、えっと、原田先生から聞いているよ。僕は【吉岡】。よろしく。」
吉岡先生は僕に手を差し出し握手をしてくる。
「驚いたかな。男性のバレエダンサーに。」
ニコニコ笑いながら、しかし、瞳の奥には、どこか暗い不安な目をした吉岡先生。
「バレエは男性でもやる人が居るよ。まあ、それでも、圧倒的に女の子の方が多いから、講師の僕が、こうして、ヘルプで入るのだけど・・・。」
だが、不安な目をした吉岡先生は一瞬のこと。表情を変えて、説明する。
やはり、体のラインが綺麗で整った容姿をしている。
僕は、首を横に振る。
一応、少しではあるが、ピアノ、音楽が好きな僕も、写真や動画で見たことはある。
「いえいえ、男性のバレエダンサーもいらっしゃると、お聞きしています。」
僕は頭を下げる。
「そうか。そうか。そういってくれて感謝だよ。」
吉岡先生は原田先生の方を見て、さらに続けた。
「ヒロ、えっと、原田先生とは幼馴染でね。不思議だな、僕と君は似ている気がする。」
吉岡はそう言いながら何か、懐かしい目を見るように笑っていた。
そう言えば、吉岡先生も原田先生と同じようなネックレスを首にかけている。小さいころからのお揃いなのだろう。仲の良さがそれだけでも伺える。
僕は頷く。
「そうなんですね。ありがとうございます。僕もなんかいろいろと、吉岡先生も、原田先生も、親近感と言いますか。そんな感じがあります。ところで、ヒロというと。」
「ああ。【はらだ ひろこ】と言うんだ。だから。ヒロね。」
ああ、なるほど。そういえば、そうだったな。確か、バレエ教室のエントランスで、何度か目にするトロフィーや賞状。特に海外のコンクールの賞状で、【HIROKO HARADA】と書かれていたな。
「そしたら、気にせず、僕の前でも、ヒロで良いですよ。僕は原田先生と呼びますが。」
「はははっ。そうかい。それならお言葉に甘えて。お心遣い、ありがとう。」
吉岡先生はにこにこと笑っている。そして、表情を変えて。
「ちょっと、動きの確認をしたいんだけど、いいかな。なんせ、僕はバレエの講師でもあるけれど、かつ、ダンサーとして、いろいろな所に出かけるから、都合で、練習に入れる機会が少ないんだ。」
吉岡先生は最初こそ真剣な表情をしたが、最後はそう笑いながら、お願いしてくる。
僕は頷き、練習後の休憩時間ではあるが、吉岡先生はもう一度、僕のピアノに合わせて、細かく踊っていった。
その輪の中に、加奈子と藤代さんも協力して、適度に休憩をしつつ入っていた。
そうして、一通りの確認を終える吉岡先生。
「うん。ありがとう。やっぱり、君は素晴らしいね。その才能、大事にするんだよ。」
吉岡先生は、僕に笑って頷いてくれた。そして、両手をさしだして、握手をした。
「はい。」
と、なぜだろう、懐かしさのあまり、涙が少し出そうになる僕が居た。
そんな形で、最初の練習を終える。
この後は夕食の時間だった。
加奈子と藤代さんそして、原田先生とテーブルを囲んだ。
色々な食事が並ぶ。ハンバーグやサラダなどの色とりどりの食事。その中には、餃子があった。
「どうだ?少年。お前の地元はこの県じゃないんだろう。どうだ?北関東の名産品の一つ。餃子の味は。」
原田先生に聞かれる。
「は、はい。とても美味しいです。」
「そうか、そうか。それなら、もう一個食べようか。」
原田先生はニコニコ笑いながら、自分の分の餃子を一つ差し出す。
同じような感じで。
「どうだ?美味いか?加奈子ちゃんと、雅ちゃんは。」
同じように頷く、加奈子と藤代さんを見て。
「それなら二人にも餃子もう一つずつあげよう。体力をつけておかないとな。」
そうして自分の分の餃子を全て誰かにあげた原田先生。
「ご、ごめんね輝。いつものことだから。無理に食べなくても大丈夫だよ。」
「は、はい。すみません、橋本さん。」
加奈子と藤代さんは僕にすまなそうに言っている。
「はははっ。バレてしまったか。ニンニクの香りがきつくてな。ここの餃子は。えっと、本当に、いくら、ここら辺の名産品でも、作る店によって、味が違うんだよな。餃子ってな。勿論、餃子は、ニンニク抜きで、普通に作るよ!!ハハハッ。」
原田先生は笑いながら僕に言った。
なるほど。そういうことなら遠慮なくいただく。
「大丈夫です、ありがとうございます。」
「おおっ、そうか。流石は男の子だな。」
そんな感じの夕食の時。
そして、夕食後にもう一クラスのステージ練習のピアノ伴奏を担当し、入浴と自由時間を経て、就寝の時間となるのだった。
練習後、原田先生に部屋に案内される。どうやらこの建物の二階部分に僕の部屋があるようだ。
「どうぞ、少年、ここを使ってくれ。」
広々とした洋室が目の前に広がった。
「カギはここだ。」
そう言って、原田先生は靴箱の上にカギを置いてくれる。
「それじゃ、わからないところがあれば、その都度、聞いてくれよ。ユニットバスだが、部屋の風呂も使えるし、下の大浴場も使えるからな。よろしな。」
そして、原田先生は部屋を出て行こうとするが。
「あの・・・。他には?吉岡先生とか・・・。一緒の部屋なのでは?」
僕は原田に問いかけるが。
「何を言っている?君は協力してくれるスタッフの一人だ。一人で使ってくれよ。隣は私の部屋。そして、隣の隣は吉岡先生の部屋だ。あ~くれぐれも、ここより上の、四階、五階のフロアには行かないでくれよ!!女の子の生徒さんが大半なので、女子部屋の階だからな。」
原田先生は笑いながら言っている。
「あ、あの、ありがとうございます。わかりました。」
うん。流石に女子生徒の部屋に行くといろいろと問題になりそうなので。うん。この部屋は広いし、ここで休むとしよう。
僕はそう言って、部屋を出て行く原田先生に頭を下げ。部屋の椅子に腰かけ、ゆっくりすることにした。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
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