42.結花、真の課題に挑む
史奈と二人で過ごした、バレーボール部の試合後の一夜。
言うまでもないが、彼女の名前が書かれた小箱から、いくつかの小袋を開けては使い、そうして夜が明けたのだった。
史奈はこの離屋で一夜を過ごし、共に学校へ向かうのだった。
確かにそうだ。期末試験やここに来たときは毎回そうなのだが、女性一人で、伯父の家の周辺の道を夜間に歩かすのは流石にどうかと思う。
特に、史奈は、ここから駅まで行って、電車に乗って帰路に就く。そう考えると、ここで一夜を過ごす方が、良いのかもしれない。
月曜の朝、共に学校に向かい、お互いにお礼を言い、別々の教室に向かったのだった。
そして、今週の土曜日も登校日だ。
この土曜日は勿論、校内合唱コンクールが行われる。
結花も何度も指揮の練習をこなすうち、本当に慣れてきたようだし、精度ももちろん上がっている。
「うんうん。コンディションは上々ね。これでクラス全体が一つになれればいい所まで行けるね。」
音楽の藤田先生は、合唱コンクール前、最後の授業で僕たちにそう語り掛け、笑顔で送り出してくれた。
「ハッシー、どうもありがとう。」
結花は泣くようにお礼を言う。
「はははっ。でも、本番までに涙は取っておいてね。」
僕は結花にそう語り掛けると‥‥‥‥‥‥。
「うん。」
結花は元気よく頷く。
そして、あっという間に週末。土曜日、校内合唱コンクール当日を迎えた。
生徒会メンバーとして、一応準備を手伝うが、本番の司会進行は放送部のメンバーと、音楽の藤田先生に任せているので、生徒会メンバーはクラスの輪に集まった。
まずは、生徒会長である加奈子の挨拶があり、本番が幕を開ける。
「皆さん、今年初めての行事です。初めてクラス対抗で取り組むということもあり、クラス全体が一つになる瞬間を期待しています。」
そんな加奈子の挨拶で幕が上がった。
司会の放送部のメンバーによるアナウンスで、審査員の先生が紹介される。
音楽の藤田先生をはじめ、高校時代や大学時代に音楽の部活に居た花園学園の教師、そして、スペシャルゲスト審査員として。
「茂木博一先生です。拍手でお迎えください。」
なんと、今年のゲスト審査員として呼ばれたのは茂木だった。
この間の僕との面談の際、理事長が依頼したのだそうだ。
茂木は一礼をして、僕の方を見て少し口元を緩める。
今年から共学され、一年生のクラスのみ、男子が一人ずつという配置なので、僕の存在は彼にとって目立っていたのだろう。
茂木を見て、僕は少し緊張するが、さらに緊張した結花の表情が僕の隣にあった。
「ど、どうしよう、ハッシー。」
結花の手は少し震える。
「初めて指揮を振るもんな。大丈夫。僕がいるから。」
そう言って、僕は結花の手に僕の手を重ねるが。
僕も少し緊張する。僕も本番前のこういう雰囲気は少し苦手だ。
「これが、本当の課題だね。」
僕はそう言いながら、結花に言う。
結花はうんうん、と頷く。
「まあ、これに関しては慣れだよ。僕だって、加奈子だって、この場面の緊張は少し苦手だ。」
「そうなんだね。」
大丈夫。絶対大丈夫だから。
とにかく、結花と一緒なら。今回も大丈夫そうだ。頑張って彼女をサポートしよう。
本番の緊張、という最大の課題に挑む結花。
手を重ねて、何とか彼女の呼吸を落ち着かせる。
一年生のクラスから発表となる。
最初のクラスが発表し、会場は拍手で包まれる。
次は義信のクラス、E組だ。
一人だけガタイのいい義信は一番後ろに並ぶ。
校歌。そして、自由曲『旅立ちの日に』を一生懸命歌う義信の姿がそこにはある。
男性が裏声で、女性の声に合わせるのは特に難しい。
「一生懸命だね。義信。」
結花は義信の一生懸命の表情で、少し緊張がほぐれた。
確かに、彼を最初から最後までじっと見ていると、思わず笑ってしまうかもしれないが、本人は頑張っているのだろう。そんな表情が伝わってくる。
「有名な自由曲だし、尚更プレッシャーだよね。」
僕は頷きながら、結花に話す。
「そうだね。」
結花の表情はますますほぐれる。
やがて、E組が歌い終えて、拍手が鳴り終わると、ステージから退場して、こちらに向かってくる。
僕たちの客席の前をE組メンバーが通過した際に義信が笑顔で、そしてドヤ顔で僕たちの方を見る。
「どうっすか、うまく歌えましたでしょ。」
義信がニヤニヤしながら笑っていた。彼の声は聞こえなかったが、そんな表情だ。
「ああ、なかなか良かったよ。」
僕は小さく親指を立てる。
結花も同じように小さくピースサインをする。
E組の次のクラスの発表が終わり、いよいよ、僕たちのクラスの順番になった。
舞台袖に移動して、入場する僕と結花。
先ほどの義信の発表で一瞬ほぐれた結花の表情は少し硬くなっている。
「大丈夫。大丈夫だから。」
僕は結花の方を見つめる。
僕の方を振り向いてくれ、うんうん。と頷く結花。
司会のアナウンスが終わり、クラスの紹介が終わり、いよいよ。僕たちのクラスの発表だ。
指揮の結花、そして、伴奏の僕が客席に向かって一礼をする。
ピアノの椅子に座って目を閉じる僕。
僕も深呼吸する、そして、結花の深呼吸が終わるのを待つ。
出来るだけ、笑顔で結花を見つめる。
ここは少し時間がかかってもいいところ。むしろ、時間を出来るだけ多く費やして、整えて欲しい。初めてなら、尚更。
だが、何時間でも費やしていいわけではない。
深呼吸して、覚悟を決めた結花がそこにいた。
―もう、どうにでもなっちゃえ!!―
そんな感じだろうか。
勢いよく腕を振り下ろして、僕に指示をくれる。
それを力に変えて、思いっきり前奏を弾く僕。
最初は課題曲である、校歌を演奏するが。これは少し元気があっていいような曲調だ。
前奏を思いっきり弾いて、少しピアノのボリュームを下げる。
結花の合図で、クラス全員が、校歌を歌いあげる。
皆、僕の前奏に引っ張られたのか、緊張することなく、歌うことができている。
勿論、結花の指揮も、勢いよく、振っていて、何かに身を任せるように、結花は全身で表現している。
いいぞ、いいぞ、結花。おそらく、今までのクラスの演奏を聞いていたが、僕たちのクラスの演奏が今のところ一番いい。勿論、結花の指揮もだ。
課題曲の校歌、元気よく歌うことが出来たところで、課題曲の演奏が終わる。
僕は親指を立てて、頷き、結花に向かって笑顔でいる。
―よかったよ。さあ、落ち着いて入ろう。―
結花も自信をつけたのか、いい表情をしている。
少し深呼吸する。
先ほどの腕の振りを少し押さえて、僕に合図を送る結花があった。
自由曲。『瑠璃色の地球』。
校歌と比べて、少しゆっくりめで、最初は弱く入る。
大丈夫。よくやれている。練習の成果もよく出てきている。
『夜明けの来ない夜はないさ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。』
結花もここで、大きな一歩を踏み出した。
さあ、曲の盛り上がるところまで、僕と結花で引っ張っていこう。
そう思って、伴奏を一生懸命やった。
そして。
僕も。そして、結花もやり切った。
大きな拍手を浴びる結花。
少し自信がついたのだろう。
僕と結花は再び一礼をして、退場する。
舞台袖から、席に移動して。僕と結花は大きく、握手をした。
「ありがとう、ハッシー。」
結花は満面の笑顔だった。
「よかった、本当に良かったよ。ナイス。」
僕もそれに応えた。
本当に、結花のおかげで、また一つ舞台を乗り越えることができた。ありがとう。
感謝しかなかった。
こうして、一年生の演奏が全クラス終了したところで、他の学年のクラスの演奏に移る。
やはり学年が上がると、校歌も、そして、自由曲もクラス全体が一つになって歌えるようだ。
そんな中で。
二年C組。葉月と加奈子のクラスの演奏になった。
指揮をするのはコーラス部のエースと聞いている。
堂々と、きりっとした表情で、青いリボンでポニーテールの髪型を作っている生徒が指揮者のポジションに。
そして、それとは対照的に、ツインテールで、おしとやかさがある生徒がピアノ伴奏をするようだ。
だが。おしとやかさもここまで。ツインテールの生徒は、はっきりとしたピアノ伴奏で、バシッとピアノを弾く。
ポニーテールの生徒も、指揮を振るのがとてもうまく、はっきりと音を魅せている。
そして、その二人の指揮と伴奏に声を一つにする二年C組のクラスメイト。
その中には、葉月と加奈子もいる。
今日いちばんの大きな拍手が沸き起こり、二年C組の演奏は終了した。
退場する際にも、僕のクラスの目の前を通る、二年C組一同。
「ねっ。すごいでしょ。輝君。」
そんな表情で僕の方を見る、葉月の姿があった。
正直、結花のこともあるので、賞に関しては二の次、三の次とも思っていたが、これは負けたかもしれないとそう思った。
そうして、歌で楽しい雰囲気の中、全クラスの合唱の発表が終わった。
あとは、合唱コンクールということで、表彰がある。
そして、運命の瞬間を迎える。
その前に、藤田先生の講評がある。
「えー。皆さんお疲れさまでした。どのクラスも本当に良かったと思います。」
藤田先生はそのように導入しながら、良かった点、これからの点を説明した。
どうやら、例年、最高の賞である、金賞、さらにその他の賞も、二年生のクラスが入りやすいのだという。
一年生は入学したばかり、そして、三年生は、受験ということから、音楽の授業時間の少なさ、そして、週末の土曜ということもあり、運動部で今日が試合で不在というメンバーが多く居ることから、物理的に不利なのだそうだ。
「それでは、発表します。金賞一クラス。銀賞二クラス。銅賞三クラスです。」
司会が藤田先生にかわり、発表していった。
「銅賞一クラス目は‥‥。」
やはり二年生のクラスが、発表される。
「このクラスに関しては‥‥‥‥‥‥。」
そういいながら、よかった点をアナウンスした。
喜びをあらわにする、該当クラス。
だが、二年次で金賞を狙える確率が一番高い、ことを知っている生徒も何人か居たからだろうか。喜んでいる人と、そうでない人の差がみられる。
銅賞、銀賞と発表される。
ここまでで二年生、三年生のクラスが入る。
そして。金賞。
「金賞は、二年C組に決定しました。おめでとうございます!!」
そういいながら藤田先生がアナウンスした。
喜びをあらわにする、二年C組一同。その中には葉月と加奈子も含まれていた。
「本当に満場一致で、このクラスに金賞が決まりました。声のまとまり、そして一つになっていたことが一番の要因です。賞状を受け取りに壇上に上がってください!!」
藤田先生はそう言いながら、金賞クラスの代表者を迎える。
それを見る僕と結花。
「うっ。うっ。ハッシーッ。ぐやじい。」
結花は涙であふれている。
やはり賞が発表されるとそうなるよな。
「そうだね。でも、本当によく頑張ったよ。」
僕の手は結花の手に自然と重なる。
「うん。うん。そうだよね。」
そして、僕のクラス、一年B組にも落胆の雰囲気が漂う。
それでも、金賞のクラスに賞状が渡される時は心からおめでとうの拍手を贈った。
「えーっ、皆さん、お疲れさまでした。今回は一年生からの入賞クラスはありませんでしたが、課題曲は校歌ということで、やはり歌いなれない中で、一年生の皆さんはよく頑張ったと思います。これから校歌を歌う機会、沢山ありますし、来年もこの合唱コンクールの課題曲、校歌ですので。一年生の皆さん、来年に向けて、頑張ってください。」
藤田先生はそう言って、挨拶を締めようとしたが。
「と、本来ならここで終わるはずなのですが。おそらく合唱コンクール始まって以来初となること、前代未聞の出来事が、一年生の中で起きています。」
客席がざわざわとする。
前代未聞‥‥。
金賞の発表はもう済んだし。一体‥‥。
「最優秀伴奏者賞。一年B組、橋本輝君!!」
藤田先生は深呼吸して僕の名前を読み上げた。
「すごい。すごい。おめでとう!!ハッシー!!」
結花の涙はいつの間にか止んでいる。
結花はハイタッチを求めてくる。
「さあ。さあ。行って。行って。」
結花の声に後押しされ、僕は壇上へ向かう。
「えー。今年から共学になったということで、一年生、各クラスのそれぞれの男子生徒は本当に苦労したと思います。そんな中でも、伴奏という難しい役、一人で緊張する役を堂々とをこなし、クラスの合唱、そして、指揮者のサポートを完璧にこなした、橋本君に最優秀伴奏者賞を贈ります。この賞こそ、二年生、三年生が例年受賞している賞で、一年生の受賞は橋本君が初めてです。大きな拍手をお送りください!!」
藤田先生の司会に大きな拍手が再び沸き起こる。
壇上に上がり、理事長の慎一と向かい合い、礼をする。
「表彰状、最優秀伴奏者賞。一年B組橋本輝。右は校内合唱コンクールに置いて、優秀な成績を収めたので、これを称します。花園学園理事長、花園慎一。」
そういって、賞状を手渡してくれた。
「おめでとう。良かったよ!!」
と、慎一は小さく握手をした。
「大変よくできました。」
隣にいたゲスト審査員として招かれていた茂木からも、握手を求められ、僕は頭を下げた。
そうして僕は、クラスの席に戻る。
先ほどの賞が取れなかった悔しさはどこへ行ったのだろうか。ものすごく大きな拍手で迎えてくれた。まるで、自分たちのクラスが賞を取ったかのようだった。
「そして、最後に、最優秀指揮者賞。二年C組、桐生心音さんです。」
なるほど、伴奏者賞もあれば、指揮者賞もあるんだ。この結果はやっぱりそうだよなと思う。
金賞を受賞した葉月と同じクラスの指揮者、桐生心音という、青いリボンをした、ポニーテールの生徒は堂々と壇上へ向かうが。
何だろう、彼女は一瞬どこか浮かない顔をしていた。
だが、賞状を受け取り席に戻るときには笑顔に戻っていた。
自分のクラスが金賞を取ったからなのだろう。
「以上もちまして、本年度の合唱コンクールを終了いたします。また来年も期待しています。お疲れさまでした!!」
司会が、藤田先生から放送部の生徒にかわり、終了の挨拶を述べた。
最優秀伴奏者賞。
結花を含むクラスメイト全員が、まるで自分のことのように喜んでくれていた。
今回もご覧いただき、ありがとうございました。
少しでも続きが気になりましたら、下の☆マークから高評価とブックマーク登録を是非、よろしくお願いいたします。




