170.一歩(春のキングオブパスタ、その3)~Side早織~
私、八木原早織の心は真っ白になっていた。そして、次に涙がぽろぽろと止まらなかった。
秋の大雨の日。私は一人だった。
今、目の前の得体のしれない酔っ払い客が突然、私の出生を暴露された。
一瞬、耳を疑った。だって、私の父親は、生まれる前に交通事故で亡くなったと聞かされていたから。
そして、私の本当の父親は、私の大好きな、本当に大好きな、橋本輝君を闇の中に、深い悲しみの中に葬った張本人だった。
「マ、ママ。本当なの?」
早織は震える小さな口調で言った。
そして、ママは全て本当の事だと話した。
その時に思った。ああ。私はもうダメなんだ。輝君たちに離れられて、全てが終わってしまう。
そうして、私は雨の中を勢いよく飛び出した。
すべて消えてしまいたかった。すべて。
私がたどり着いた場所は、雲雀川の橋の上、しかも、地元の知る人ぞ、知る、木で出来た橋の上だった。
「ここなら、輝君も来ないよね。だって、輝君は地元の人じゃないんだから。きっと知らないよね。」
私は深呼吸する。今からこの橋の上から飛び降りて、私は消える。
だが、不思議と緊張していた。足元が震える私が居た。飛び降りるだけ、飛び降りるだけでいいのに・・・・。
どこか、痛い思いをするのが怖かった。
それなら、いっそ待っていよう。こういう雨の日だ。この橋は強い雨と、鉄砲水に流されるのが常だ。
今日も大雨と聞いているし、流される可能性が上がるだろう。このまま、橋が流されるまで待って、自分も流されてしまおう。そう思いながら、私は下を向き、川の流れを見つめていた。
すると。
「早織っ!!」
輝君の叫び声が聞こえる。どうしてここがわかったのだろう。
ああ。これで終わり。私は橋が流されるのを待たずに、飛び降りてしまおう。輝君に見届けてもらえるのなら本望かな。
そうして、輝君と少し話をした。それでも、私の決意は変わらなかった。
飛び降りて、ここから消えてしまおう。例の得体のしれない酔っ払い客からも言われたし。居なくなった方が良かったって。
「ばいばい。輝君。」
私はそう言った後、無我夢中で、橋の欄干に足をかけた。
しかし。グッと強い力で押さえつけられる。
輝君にこんな強い力があったなんて。どうにか、放すように抵抗したが、さらに力が強まるばかり。
そうこうしているうちに、生徒会長のバレエの先生と葉月先輩も駆けつけて来て、車に乗せられてしまった。
車の中で、生徒会長のバレエの先生に諭される私。輝君の目、葉月先輩の目を私は見た。
みんな頷いている。
生きていていいんだ。皆、私を認めてくれる。私にしかできない事も沢山、わかってくれている。そのことを知れて嬉しかった。
その後輝君の家でシャワーを浴び、輝君は優しく抱きしめてくれた。
優しく唇を重ねてくれた。
少し落ち着くことができた私。そうして、家に帰宅した。
その日の夜、そして翌日は学校を休み、沢山、ママとお祖母ちゃんと話をした。ママとお祖母ちゃんは何度も私に謝ってくれた。
私は落ち着いていたのか、責めるつもりも無かった。なぜなら、輝君の事情を知っていたし、ああいう悪人の存在を私に知らせたくないと思って、そうしたのだろう。
ママとお祖母ちゃんの気持ちが痛いほどわかった。
そして、皆にも謝罪した。多くの迷惑をかけたこと。でも、皆は悩んで当然、と言ってくれたので本当に嬉しかった。
嬉しいことはまだ続いていた。お祖父ちゃんが退院して来た。そうして、皆の期待に応えるべく、お祖父ちゃんの修業の元、春のキングオブパスタの出場を決意した。
そうして、先ずは最初のステップ。文化祭。キングオブパスタへの出品予定メニューが、皆が支えてくれたおかげで完成した。
文化祭は大成功を収めたけれど、その後、得体の知れない、酔っ払い客、黒山によって、私のレシピを盗作されて。本当に自信を無くした。
因みに、黒山という人はお祖父ちゃんの昔の知り合いで、黒山もレストランを経営しているのだそう。お祖父ちゃんも黒山が闇に堕ちてしまったのは、自分に責任があると申し訳なさそうに謝っていた。
私は、また一人ぼっちで泣くことになるのか、そう思ったら、輝君と生徒会長が私を立ち上がらせてくれた。生徒会長のバレエ教室のクリスマスコンサートの打ち上げをしたいと言うのだ。
そして、生徒会の輝君と同じ、この高校の数少ない男子、義信君は、自分の祖父母が経営するホテルの厨房に招待してくれるという。
涙があふれた。そうしてまた、誰かの力を借りてだが、一歩踏み出す私が居た。
新しい出品メニューも完成し、そして、今日、春のキングオブパスタ、本番を迎えた。
私は本番を迎えるまで、とても緊張していた。
だけれどもみんなの期待に応えなければならない、そういう意味では自信があった。
赤城さんたちが作ってくれた、コックコートに身を包む。緑色のスカーフ、そして、胸元の刺繡には、『八木原早織』と書かれていた。
「良く似合ってる、良く似合ってるぞ。早織!!」
お祖父ちゃんはそう言って、私を褒めてくれた。そうして、今日の会場となる【宝楽園】まで、車で移動して、スタンバイした。
スタンバイしている間に、皆が集まってくる。
そうして、いつも通り、本当にいつも通りに準備をして、お客様に料理を出す時間になった。
皆が真剣に取り組んでくれている。
私は、真剣に取り組んでいる皆を見ながら、足りないところに入り、適切に指示を出しながら、その時を待った。
その時。そう。追加メニュー選手権、が始まるその瞬間。
追加メニューのお題が発表されれば、後戻りはできない。その瞬間から、私にすべての責任がのしかかる。
そして。
「皆様。お待たせいたしました。これより、毎回恒例となりました、キングオブパスタ、追加メニュー選手権を行います!!各団体の代表の皆様は、一度、中央ステージへお集まりください。」
司会の言葉に、私は反応し、広場の中央に設置されたステージへと向かう。
「ついに来たね。」
生徒会の葉月先輩の声。
「ふふふっ。大丈夫よ。どんな結果になっても私たちがいるわ。」
生徒会の元、生徒会長、史奈先輩の声。
心音先輩、風歌先輩、マユちゃん、北條さん。そして、富田部長や家庭科部の皆に見送られて、中央のステージへ。
そして、お題が発表される。その時に出てきたのは。
私の見覚えのある人物だった。
その人物は、輝君の伯父さん。輝君の家の目の前の、大きな畑で、農家を経営している、輝君の伯父さんだった。
輝君の伯父さんと一緒に現れたのは、見覚えのある野菜たち。
すべて、輝君の家の畑で獲れたものだ。
そして、アーティストのステージショータイムのトップバッターに、輝君と生徒会長が登場。
輝君がステージ上に上がって、私を見ていた。
私は、涙が溢れそうになった。
そして、どこかに自信がみなぎっていた。
やるしかないっ!!
輝君の家の畑で獲れた野菜たちが出て来たなら、あれを作ろう!!文化祭で、作った、あのパスタを。
そして、黒山っていう人を見返そう!!
絶対に負けたくない。そんな思いが私を後押しした。
文化祭のメニューの一つ、納豆餃子風味のパスタを作ることにした私。
早速材料を持っていく。大豆にニラ、キャベツ、ニンニクに生姜。レシピは頭の中にある!!
そうして、私のお店のテントに戻り、パスタを作り始める私。
「うんうん。そうなるよね。」
葉月先輩がニコニコ笑っている。
「流石、市長さんの娘さんと、農家の甥っ子さんだわ。」
史奈先輩もうんうんと安心している。
「こうなったら、八木原さんは無敵だよね。」
北條さんもうんうんと頷いている。
他のメンバーも、私が取って来た材料、そして、手の動きを見て、何を作っているのか察してくれた。
そして、輝君のピアノの音色が私の耳にも届いている。
さらに、生徒会長もバレエを踊っているのだろうか。私は見えなかったが、輝君のピアノの音色から楽しんで踊っているのだろう。
本当に、本当に素晴らしかったし、私も生徒会長が踊っている所を想像できた。
そして。輝君と生徒会長が、私たちのお店のテントに戻って来た頃、私の追加メニューのパスタが完成した。
それと同時に、追加メニューの制限時間が終了となり、各店舗のお披露目タイムとなる。
私はその時間を利用して、輝君と生徒会長にお礼を言った。
「輝君。加奈子先輩、本当にありがとう。勇気をもらった。」
私の目には涙が溢れていた。
「そんな、早織が頑張ったからだよ。その様子だと、出来たんだね。」
輝君はニコニコ笑う。
「うん。大丈夫。見ててね。」
私はニコニコと笑って頷いた。
そうして、司会の人と、カメラのスタッフさんが私たちのもとにやって来た。
「さあ、エントリーナンバー十四番、森の定食屋さんの追加メニューお披露目です。高校生は一体どのようなパスタを作ったのでしょうか?お願いします。」
スタッフさんから、カメラとマイクが私に向けられる。
私は深呼吸して。
「はい。私の追加メニューはこちらです。」
私は、出来上がったパスタをカメラに見せた。そして、大きな声で、追加メニューの名前をコールした。
「【もう四十七位とは言わせない。北関東の納豆餃子パスタ】です。」
一番大きな声で、自信に満ち溢れる声だった。
来場者も、スタッフさん達も驚いていた。
「えっと、これは、洋食屋のKUROYAMAさんのパスタとよく似ていますが・・・・・。」
司会のスタッフさんが私に向かって声をかける。
私は自信をもって首を横に振った。
「確かにそうかもしれませんが、私の頭の中にずっとメニューの候補として、残っていたものです。」
私は自信をもってそう言った。
来場者たちも、私の言葉にざわざわとしている。
「なんか、あの洋食屋さんのメニューの写真と似てない?」
「うん。何で・・・・・。」
来場者たちからざわつく声。
そして。
「おいおい小娘。これは盗作だぞ。盗作。余計なことをしやがって。盗作も立派な盗みだぞ。人のものを盗んではいけないぞっ!!」
司会のスタッフさんと私のやり取りを遠目で見ていた、黒山も自分のお店のテントから、やって来た。
「いいえ。レシピを盗んでません。」
私は声を低くして、大声で言った。
輝君や、家庭科部の皆、生徒会の皆や、心音先輩、風歌先輩も、うんうんと、頷いてくれていた。
本当に、川に飛び込もうとした以前の私はどこに行ったのだろう。
その時よりも、はるかに自信に満ち溢れていた私が、宝楽園の広場に立っていた。




