17.小さな発表会
原田先生のバレエ教室に通う子供たちの演技が始まる。
どうやら、学年が上がるに連れて順番が後の方になるようで、最初は、小学生からだった。
当たり前だが、体の小さい、小学校低学年の女の子が一生懸命バレエを披露する。
小さな体を目一杯動かす。
課題曲はどうやら加奈子先輩と同じ、『レ・シルフィード』の中から選び、自由曲は各々が選択した中から選ぶのだが。
楽しめる自由曲が多かった。
【アンダーソン】のわかりやすメロディー。『ジブリ』や『ディズニー』の曲の中からチョイスしている小学生の女の子たち。
何だろうか、僕も思わず踊りたくなる。
「どうだ?楽しめているか。」
原田先生がにこにこと笑っている。
「はい。バレエのダンスの方はやっぱりまだ分りませんが、曲の方は僕の知っている曲の方が多いので。少し、緊張がほぐれてきました。」
「そうだろうな。」
原田先生は僕の反応に深々と頷いていたのだった。
加奈子先輩もにこにこと笑っている。
本当に凄い。小学生が緊張せずにやっているよ。
僕の心はだんだんと楽しんできている。一生懸命頑張る小学生の子たちを見て。
発表会はどんどん進行していく。それに伴い、バレエを披露していく子たちの学年がどんど上がっていく。
どうやら、次の子から中学生の発表のようだ。
そして、扱う課題曲の曲数も増えていくようで、ひとりひとりの発表の時間が長くなっていった。
しかし、僕にはそれは感じられないひと時だった。
むしろ、曲の楽しさという意味では、小学生の方が長いくらいだ。
だが、中学生の動きは先ほどの小学生より一目瞭然。中学生くらいになると、やっぱりスタイルもよくなって、動きにキレが出てきている。だから自然と彼らの動きに集中している自分がいる。きっと、さっき披露した小学生の子たちは、この子たちを目標にして頑張るのだろうな。
僕はそう思った。
引き続き楽しみながら中学生の発表も見て行った。
あっという間に中学生の発表も進み。
「それでは中学生最後の発表者は、【藤代雅】さんです。」
原田の視界の言葉に促され、中学生最後の発表者である、藤代さんが現れる。
藤代さんの衣装は純白のチュチュで、まさに王道のバレリーナだ。
出てきた瞬間に、おおっ。と僕はなる。
藤代さんは一瞬、加奈子先輩の方を見て頷いた。
「なんかすごそう。」
僕はつぶやく。
「お目が高いな。少年。うちのバレエスタジオのナンバー2。加奈子ちゃんのライバルだな。」
原田先生が僕のつぶやきに反応する。
「そうなの。いつも私を目標にしてくれる。」
加奈子先輩はそう言って、真剣な表情で、藤代さんの演技を見つめた。
早速、藤代さんの発表が始まる。
課題曲は、加奈子先輩と同じ曲を選択している。彼女の動きは、加奈子先輩と同じか、いや、それ以上にいい動きをしているような気がした。
そして、自由曲は『くるみ割り人形』の『金平糖の踊り』。本当に王道という感じで、カッコいい。
加奈子がプリンセスなら、藤代さんは女王なのだろうか。
確か、実際の『金平糖の踊り』も女王が一人で踊るんだよな。と思いながら、藤代さんの演技を見た。
年齢は、加奈子先輩より藤代さんの方が後輩であり、それを加味して総合的にみると、加奈子先輩の方が上になってくるように見えるが。バレエダンス素人の僕が見るに、加奈子先輩と藤代さんはそんな大差ないように思えて、彼女が高校生になったとき、プリンシパルの座を奪われるのでは?とも思ったりした。
そうして、藤代さんの、勢いがある演技は終了した。
会場からは今日いちばんの溢れるばかりの拍手の音が包み込む。
そして、藤代さんはそれに応え、胸に手を当ててお辞儀をし、さらにチュチュのスカートをたくし上げて、お辞儀をした。
お辞儀をし終わった後、藤代さんは加奈子先輩の方を見てウィンクした。
まずい。それを見て僕は少し緊張してしまった。
この後の加奈子先輩との演技、上手く、彼女と合わせられるか‥‥。
その緊張の中で、高校生の演技が始まった。
だが、僕は、高校生の演技は僕の目に何も入ってこなかった。まずい、こんなに大勢の人の前で、ピアノを弾くのは本当に久しぶりだ。先日までの生徒会メンバーの前、原田先生の前で弾いた時とはわけが違う。
どうしよう、僕のせいで、プリンシパルの座が加奈子先輩ではなく、藤代さんになってしまったら。
そんな思いがこみ上げてくる。
そして。
「皆様、お待たせしました。本日のメインイベントにして、本日最後の発表者。幼稚園の時からずっとこの教室に通って来てくれている彼女、そして、この教室に通うみんなの憧れのプリンシパル。井野加奈子ちゃんの演技になります!!」
原田はニヤニヤしながら司会を進める。
会場からは、わーっ、と、拍手が自然に沸き起こる。
「毎回、圧巻の演技をしてくれますが、今回はその演技にさらに拍車をかけた、史上最強の助っ人をご紹介します!!橋本輝君です。拍手。」
僕はロボットのように立ち上がる。
原田の言葉に溢れるばかりの拍手がさらに湧き起こる。
「それでは、史上最強コンビの演技にご注目ください。」
まずい。とても緊張している。
だが、僕の肩に誰かが、手を乗せて、背中が温かくなる。
「緊張しなくていいよ。私を信じて、大丈夫。雅。藤代さんなんかに負けない!!輝、お願い。輝が居れば私は‥‥。輝、私を信じて。」
加奈子先輩の顔を見る。
これから、踊りたくてたまらない目だ。
藤代さんなんかに絶対負けない。
ここで負けたら、コンクールでも負けてしまう。絶対プリンシパルで居続けたい。
そんな、加奈子先輩のきりっとした表情だった。
僕の心臓の音が聞こえなくなった。
足が自然と前に出る。
だが何だろうか、足取りは軽くなっていた。
そうだ。思いっきり楽しもう!!
加奈子先輩の魅力をもう一度見て、生徒会の演説に生かせそう。
気持ちに余裕が出てきた。
「ありがとうございます。」
加奈子先輩の方を見る僕。
「うん。」
加奈子はウィンクして、そういって、僕をピアノに促してくれた。
さあ。始めようか。僕たちの、うちのプリンシパル、井野加奈子の演技を。
加奈子先輩は僕の方を向いて合図を出した。
最初の曲は、『ワルツOp70-1』。
その最初の音。
それが出た瞬間、よし。行けるぞと思った。
加奈子先輩が指示した、テンポ。
当たり前ではあるが、練習と同じように、彼女はそれに見事に合わせている。
僕も、練習と同じようなピアノの弾き方ができている。
一曲目が終了したところで、客席からもドキドキするような熱視線を僕と加奈子先輩に注がれているようだった。
続く、課題曲二つ目、『ワルツOp18、華麗なる大円舞曲』。
ターン、タタターンの特徴的な冒頭から始まり、それが一気に、会場を魅了していく。
予選で披露する曲目二つはとても良かった。
続けて、決勝で披露する曲の演奏。
先ずは、『マズルカOp33-2』
この曲に関しては、ここ数日、予選の方に練習の比重をかけていたため、もう少し詰められる内容ではあったが、やはり他の生徒よりもキレがあり、安定した動きを見せる。
ピアノを弾きながらではあるが、一瞬、客席の方を見る。
客席の皆は、僕たちに食い入るように見ている。
「すごい。さすが加奈子ちゃん。」
「ピアノの子もすごい、プロだよね。」
「このテンポで付いていくなんて。ピアノと言い、バレエと言い、本当に一流だよ。」
そんな声や表情がかすかに聞こえてくる。
さあ。観衆を虜にしたところで、ラスト。自由曲。『ワルツOp42 大円舞曲』。
思いっきり全力でやってやるぞ!!
客席の方を見たため、緊張したのか、少し走っているように思うが。
いや大丈夫だ。先輩は付いてきているし、さらにキレのある動きが増してきている。
緊張、むしろその逆、ピアノを弾いていてとても楽しい!!
これはいける、これはすごい!!
加奈子先輩も、僕も楽しんでいた。
本番は明後日という、緊張の中ではあったが、凄く楽しんでいた。
最後、フィニッシュに向けてこの曲の勢いが増して来る。
そして、勢いが増してきたところで、フィニッシュを決めた。
はあ。はあ。少し息遣いが聞こえる僕と、加奈子先輩だったが、本当によかったと思える内容だった。
始まる前は緊張したが、加奈子先輩がそれを取り戻してくれた。
「ブラボー!!」
誰かが叫ぶ。
そして、それと同時に、溢れるばかりの拍手に迎えられた。
僕は加奈子先輩と握手をする。
「ありがとう。輝。本番もこの調子でお願い。」
「はい。」
そういいながら、握手を交わして、それを見ている観客の拍手はさらに大きくなった。
「いや~ぁ。素晴らしかったです。さすが、といっていいほどの加奈子ちゃんの演技でした。」
原田先生は立ち上がり、司会を進める。
「さて、今日の発表会の感想をお聞きしましょう。感想は勿論、ここに初めて来てくれたゲストでもあり、先ほど本当に素晴らしい演奏を加奈子ちゃんと一緒に見せてくれました、橋本君にお願いします。今日はどうでしたか?」
原田先生はそう言いながら、僕に話しかけてきた。
会場は溢れるばかりの拍手をして、僕が口を開こうとすると、その拍手は鳴りやんだ。
少し深呼吸する。感想を求められたのは意外だったが、正直に答えられる僕が居た。
「あのっ、ありがとうございました。久しぶりに、音楽で楽しめた、そんな時間でした。僕自身もみんなの前でのピアノの演奏は、一年半ぶりくらいになるので、凄く久しぶりで、緊張したのですが、加奈子先輩がすごく頑張ってくれて、そして、この教室に通っている、小学生の皆もすごく頑張っていて、皆からパワーをもらった。だから僕も頑張って演奏出来た。そんな気がします。ありがとうございました。」
僕は頭を下げた。
そう、本当に楽しかった。
頭を下げた瞬間に、会場から拍手が沸き起こった。
「あの、他の曲もピアノ、弾けるんだよね?」
原田先生は僕に聞いてきた。会場の皆に聞こえるように聞いてきた。
「は、はい。」
僕は頷く。
「どうでしょう。よろしければ、コンクールに出場するメンバーの壮行会も兼ねているので、エールといってはなんですが、アンコールとして何か弾いていただくことはできないでしょうか?」
突然の原田先生の発言に戸惑ったが、何だろう。この言葉の後のみんなの拍手と加奈子先輩の見えない不思議な力に後押しされて、無性にピアノが弾きたい気持ちになっていた。
拍手が沸き起こった後。
「「「アンコール、アンコール、アンコール」」」
という声がする。
僕は少し照れたが。
「ありがとうございます。では、みんなからパワーをもらったので、お返しに、エールを贈りたいと思います。課題曲が、『レ・シルフィード』ということなので、そうですね。みんなが一度は聞いたことがあるショパンの曲を二曲やってみようと思います。加奈子先輩みたいに、いつか僕のピアノで踊ってくれる人が一人でもいることを願って、弾いていきたいと思います。」
僕は再び、皆の拍手に送りだされて、ピアノへと向かった。
一曲目。ショパン『ワルツOp64-1』。通称『子犬のワルツ』。
「ああ。やっぱり。」
「知ってる。知ってる。」
という声が会場から漏れる。
僕は勢いのまま、『子犬のワルツ』を弾いていく。
客席はいい感じに僕に引き付けられていた。
『子犬のワルツ』が弾き終わり、一曲目から拍手が沸き起こる。
少し息を整えて、二曲目。
本当はこの曲を弾きたくない自分がいる。この曲は中学三年の時のピアノコンクールの曲。つまり、安久尾に一位を奪われてしまったときの自由曲の一つ。
もう弾きたくない。そう思ったが、加奈子と出会い、そして、この教室の皆、そして、生徒会の葉月、瀬戸会長と出会い、もう一度、弾いてみたくなった。
そう、『ワルツOp42、大円舞曲』の時と同じように。もう一つ、ここに居るメンバーなら、きっと、過去のトラウマを乗り越えられるかもしれない。
でも自信がない。だけど今しかない。
もう一度弾いてみたい。だから、行こう!!
ショパン『ポロネーズOp53』。通称『英雄ポロネーズ』。
落ち着いて、最初の音を弾く。ちゃんとピアノから音が出た。それを確認して、頷く僕。
よし、行けそうだ。休符を少し長くとりつつ、勢いを増していく。もっと行ける。もっと行ける。今なら。そう思いながら、冒頭部分を進めていく。
そして。
冒頭から、誰もが知っている主題に入ると。会場からは再び頷きの声。
「ああ。」
「知ってる。知ってる~。」
「聞いたことある~。」
そんな会場の声が自信につながった。
安久尾の一件もあり、少し長い曲がさらに長く感じたことがあったが、繰り返される主題の部分を
また聞きたいという聴衆が味方になってくれたのだろう。
何とか、最後まで弾くことができた。
弾き終わり立ち上がった瞬間。僕は大きな拍手に迎えられていた。
何かを乗り越えられた。そんな瞬間だった。
僕は原田先生と加奈子先輩の方を見た。
原田先生は親指を立てて、にっこりしている。
加奈子先輩は教室の子供たちと一緒に、無邪気に拍手をしていた。
「ありがとうございました。橋本君のアンコールでした。」
そうして、僕は席に戻る。
そして、保護者の代表と思われる人物が出てきた。
「原田先生、そして、沢山の先生方、今日までご指導ありがとうございました。今日、この機会、他の子たちと刺激を受け、切磋琢磨しながら、コンクール、そして、これからもまた頑張れそうです。これからもよろしくお願いいたします。いつもは発表会のステージ上で渡していますが、今回はコンクールということなので、一足早いですがここで、感謝の気持ちをお渡しします。」
そういって、花束を原田先生に渡した。
「ありがとうございます。それではコンクールの壮行ということで、円陣を組んで終わりにしようと思います。出演者はステージに来てください。」
原田先生の招きに、皆が応じる。
当然、加奈子先輩も、その円陣の中に入っていく。
「何ボーっとしているんだい。少年。君も入るんだよ!!」
原田先生は僕を円陣に招く。
加奈子先輩、そして藤代さんが、笑顔で迎えてくれ、加奈子と藤代さんの間に入る。
「今回も加奈子先輩に負けてしまいました。橋本さん、貴方の素晴らしい力によって。本番、加奈子先輩をよろしくお願いします!!」
藤代さんは、そういって、僕に握手を求めてきた。
「ありがとう。とてもうれしいです。」
僕は笑顔で、握手を交わして、円陣の中に入っていった。
「それじゃ、コンクール、笑顔で楽しく、頑張るぞ~!!」
「「「「おーっ!!」」」」
原田の掛け声に、円陣の仲間たちが盛り上がった。
そして、拍手で終わった。
円陣を組み終わった後も。
「いやぁ~。すごいものを聞かせてもらいました。ありがとうございました。」
「おにーちゃん、すごーい。」
「とても感動しました。」
そういいながら、何人かの生徒や保護者と握手を交わして、原田先生と加奈子先輩に見送られながら、スタジオを出て行った。
「輝、本当に今日は、そして、今まで、私の我がままに付き合ってくれてありがとう。本番、明後日。よろしくね!!」
加奈子先輩はそう言って、僕を見送ってくれた。
加奈子は衣装に着替えているので、当然、僕が出た後、着替えてから帰ることになる。
「はい。僕の方こそ、ありがとうございました。とても楽しかったです。」
「おにーちゃん、バイバーイ!!」
加奈子先輩、そして、その後ろから、小学生の生徒たちが見送ってくれた。
僕はバレエ教室を出て、自転車をこぎだし、夜道を走り、伯父の家へと帰路に就いた。
 




