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12.プリンシパルの力

 

 これほどまでに、音源を聞くことに集中したことはいつ以来だろうか。

 ショパンの『レ・シルフィード』。とにかく加奈子先輩の動きに合わせないと‥‥。


 僕は集中して、指を動かしていた。


 とにかく、課題はテンポのみ。

 後は、三拍子のリズムをしっかりと刻まないと。

 クラッシックバレエは、やはり、リズムをしっかり刻む必要がある。


 だが、次の瞬間、耳に音が入ってこなかった。

 それは、僕が集中していたからではない。


 見上げると、バレエスタジオの代表で、加奈子先輩のバレエの先生の原田先生が仁王立ちしていた。

 原田先生によって、イヤホンを外されていた。


「よっ。少年。」

 原田先生はウィンクをしながら、こちらに語り掛ける。

「何聞いてたんだい?まさか、『レ・シルフィード』とか言うのではないだろうね。」

 原田先生はにやりと笑いながら。こちらに視線を向ける。

 とても低い声で、その音源を聞いていたことに対して、怒っているようなそんな感じだ。


 僕はドキッとする。

 何だろう。全身が震える。


「その顔は図星だね。」

 原田先生はにやりと笑った。


「一時間たって、様子を見に来れば、休憩時間。加奈子ちゃんは振りの確認をしているし、君はソファーで、ずっと集中している。音源を聞いてね。」

 原田先生はうんうん、と頷く。


「君と加奈子ちゃんの課題はズバリ!!テンポが合っていないんだろ?そんで、君は加奈子ちゃんに合わせに行こうとして、余計ズレる。そんなところか?」

 僕は目を見開いた。そして、驚いた。

 ろくに練習も見ていないのに、僕たちの課題をズバリ言い当てる。

 一体、原田先生という人物は何者なのだろう‥‥。


「その顔もまさに図星だね。そして、なんで練習も見ていないのにわかるのですか?という顔をしているな~。少年!!」

 原田先生はにやりと笑う。

 そして、再びうん、うん、と頷き。真剣な表情に変わった。


「命令だ!!今聞いていた音源は今後一切聞くな!!もちろん、その動画サイトに載っている、『レ・シルフィード』と名のつく、動画全てもだ。」


 原田先生の言葉に僕は驚く。

「え?そんなことしたら‥‥。」


 原田先生は僕のいう前に、口を挟んだ。


「音源聞くなら、【ショパン・コンクール】の音源とかにしろ。そうだな。君の目標としているピアニストの音源とかだな。あるだろ?その動画サイトに、【ショパン・コンクール】の動画が。」


 そしたら余計にテンポが合わないんじゃ‥‥。

 僕は唖然としている。


「そしたら余計に、テンポがずれるとか言うんだろ。合わせられないとか言うんだろ。君は分りやすいな顔に全部書いてある。」

 原田先生はこちらの言うことが全て予想しているかのように、口を出して来る。


 原田先生はふうっと、ため息をつき、ドヤ顔で僕に近づく。


「確かに、うちの教室は、幼稚園児や小学生、はたまた趣味でやっているおばさま方もいる。そういう人に対してだったら、私も、君に、敬語で接して、『レ・シルフィード』の音源を聞いてもらい、申し訳ありませんが、テンポを少し落として、こちらの皆さんに、合わせていただけませんか。とお願いするだろうな。」


 原田先生は手を僕の肩に乗せる。


「でもな。今回は井野加奈子だ。うちのプリンシパルだ。君も、遠慮はいらない。うちの教室の実力を、うちのプリンシパルの実力を舐めてもらっちゃ困る。」


 原田先生は真剣な顔で、僕に言う。加奈子先輩をそれだけ信頼しているのだろう。


「もっと言わせてもらおう!!加奈子ちゃんは、君のピアノで踊りたいんだよ。君のピアノに惚れたんだ!!」

 原田先生はそう言いながら、僕の肩に乗せていた手を背中に回す。

 そして、原田先生の手がエスコートされ、僕を九十度左を向けさせる。


 原田先生は指をさす


「そして、私も、君のピアノが好きだよ。踊ってみたくなった。」

 指をさした方向には、表彰状やトロフィーがたくさんある。おそらく、このバレエ教室の実績だろうか。


 その表彰状の一つに目が行く。


【HIROKO HARADA】

 と表記され、内容はフランス語なのかイタリア語なのかドイツ語なのか。日本語以外の文字なので、書いてある言葉が何語か全く分からない。


 わかるのは固有名詞くらいだろうか。最初の文字が大文字で表記されるので目立つ。

 その固有名詞の一つ。【Lausanne】に目が行く。

 賞状に書いてある文字列の中で、一番大きな文字だった。


 綴りと発音が分からないが、この固有名詞はどこかで聞いたことがありそうなので、つぶやいてみる。

「ラウサンネ‥‥。ルーサンヌ‥‥。ルーザンヌ‥‥。ローザンヌ。」

「ローザンヌ!!」


 僕は目を見開いた。

 ローザンヌ、僕でも知っている。バレエコンクールの最高峰。


 原田先生は親指を立てて、にやりと笑う。


「そして‥‥。」

 原田先生は賞状が置かれている棚の別の方向を指さす。

 そこには加奈子先輩の表彰状があった。

 ローザンヌほどではないが、日本のいくつかのコンクールでの入賞歴が加奈子先輩にはあるようだ。


「さあ。加奈子ちゃんを信頼して、思うがままにやってみな!!少年!!」

 背中をバシッと原田先生にたたかれる。


「あんまりやると加奈子ちゃんがいろいろ感情を起こしそうなので、このくらいにしとくか。頑張れよ!!」

 そういいながら、原田先生は、去っていった。


 原田先生に喝を入れられ、再びレッスン室に戻った僕。

 そこからは遠慮することなく、目標としているピアニストと同じように、動画サイトに掲載されている、【ショパン・コンクール】の動画と同じように、ピアノを弾いた。


「そう、その調子。気にしなくていいからね。思いっきり、思いっきり楽しんで。」

 加奈子先輩はそう言いながら、僕のピアノについて行こうとする。


 そうして、今度は何故か知らないが、充実した時間を過ごすことができた。

 確かに、加奈子先輩は、曲のテンポに対応する動きについて、まだまだ修正が必要なのかもしれない。

 だが、加奈子先輩の気持ちが、それを、修正しようと努力している。

 その気持ち、気迫が、こちらにも伝わってくる。


 並々ならぬ努力、そして、希薄だった。


「ヨシッ!!レッスン室の都合上、今日はここまでだな。今日の成果を見せてくれよ~。」

 原田先生がレッスン室に入ってきた。


 その原田先生の存在すら気付かないほど、僕たちはのめりこんでいった。


 僕はいつも通りにピアノを弾く。

 加奈子先輩はそれに一生懸命ついて行こうとする。


「ヨシッ!!今日はここまでだな。加奈子ちゃん、こっちに来てごらん。」

 そういいながら、今日の修正点と反省を、原田からレクチャーされている。

 腕の振り方、足の動き、細かいところまできっちりと、原田が改善点を指摘していく。

 加奈子は本当にまじめな表情でメモを取っていく。

 かなり分厚いノートを使う加奈子先輩。おそらく小さいころから、ずっと使ってきたのだろう。


「そして、少年!!今日はありがとう。いいか?絶対にテンポを合わせに行かないこと、君は君らしく、ピアノを弾くこと、まるで、【ショパン・コンクール】の入賞者のように。後は、コンクールまで、体調の管理だけ、よろしくね。明日は、学校の後、夕方の六時から、七時でこの部屋を取っているけど、来れそうかな?」

 原田先生はにこやかに笑って、そう言った。

 僕は頷く。


「本当?輝。」

 加奈子先輩の嬉しいリアクションに僕は頷く。


「ありがとう。明日もよろしくね!!」

 加奈子先輩はニコニコと笑っていた。

 こうして、この日曜日。加奈子先輩とのバレエのレッスンを終えた。


 レッスンの終了後、伯父の家に戻り、翌日の予習と、少しピアノの練習をして、夕食を食べて、早めに眠った。

 今日も早くから畑仕事を手伝っていたためだった。


 もちろんだが、伯父の家にも、キーボードはある。しかも、かなりしっかりしたものが。

 祖母が趣味で練習をしていたそうで、輝、つまり、僕も遊びに来るときに弾けるようにと、かなりしっかりしたものを購入したのだった。


「今まで以上に、真剣ね。輝。」

 伯母が離屋の僕の部屋に入ってくる。


「うん。友達のためにね。」

 僕はそう言いながら、ピアノに向かっている。

 どうやら、伯父伯母には、いつも以上に僕が真剣だと思われているらしい。

 そうかもしれない。

 少し集中している僕の姿があった。


 加奈子先輩にいい成績で、コンクールで活躍して欲しい。

 そんな思いからだろうか。


「よかったじゃねぇか。高校にもう一回入ってみて。」

「そうね。入学して、最初の週末から、こんなに元気だもの。」

 伯父と伯母は、練習する僕を見て、そう話していた。



 翌日の月曜日。学校でいつも通り授業を終え、生徒会の仕事を終えると。

 再び、加奈子先輩とともに、バレエスタジオに向かった。


 そして、ピアノを弾く。遠慮はせず。思いっきり引いた。

 僕は驚いた。


 加奈子先輩が僕のテンポについてきている。

 いや、それどころの話ではない。

 動きのキレ、そう言ったものが、かなり良くなっている。


「ヨシッ。随分良くなったじゃん。今まで以上に、成長した感じ。これは本番が楽しみね。」

 原田先生は興奮冷めやらぬ状態で、加奈子先輩に言った。


「どう?驚いた?少年よ。これがうちのプリンシパルの力だよ!!」


 僕は頷く。

「はい。僕でもわかります。動きのキレとか表情とか、昨日に比べて。」


「そういうことだ。最も、ここまで成長させたのは‥‥。おーっと、ここからは君に与えた宿題だった。ここから先は自分で考えな。ヒントは、うちのプリンシパルでも、ここまで成長の幅が見られたのは初めてだ、ということだな。」

 原田先生はポンと手を叩きながら、僕に向かってウィンクをする。

「宿題と言いますと‥‥?」

 僕は原田先生に問いかける。本当にこの言葉の意味がわからなかった僕がいた。


「ハハハ。ピアノの演奏は、問題ない。そのまま続けろ。そうだな、その宿題の期限は、今の君だったら、無期限で、いつ終わらせてくれてもいいものではあるが。早ければ早いほど、百点満点だな。」

 原田先生は笑いながら言って、加奈子先輩の元に駆け寄る。


 そして、原田先生の首もとには、昨日と同じネックレスが輝いていた。

 まるで、そのネックレスも、原田先生と同じで、そうだよ。と、笑っているかのように、輝いていた。


 原田先生は加奈子先輩に動きの改善点を再び指摘しているようだ。

 だが、表情からするに、こうすればもっと良くなるという意味合いだろう。


 プリンシパルの力。

 本当に圧倒された。


 好きなこと、得意なこと、どんな時も真面目に取り組む姿勢。


 僕は頷いた。

 コンクールも、演説会もすべて上手くできそうな気がする。

 そんな自信がなぜか湧いてきた。

ここまでご覧いただき、ありがとうございます。

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