09
「あいつ、初対面で年下の杉本くんに介抱されるだなんて……本当にどうしようもない奴だな」
「あはは……」
「それで……その後はどうなったんだ?」
「その後は……えぇっと、これは僕の不甲斐ない話になってしまうので端折りますが……宣言通り、玲衣さんに助けられたんですよね。それから何やかんやあって……前のバイト先を止めて、一ノ瀬探偵事務所でバイトをすることになったんです」
「……その不甲斐ない話というのが気になるんだが」
「えぇっと……それはまた、機会があれば」
余程苦い思いを味わったのだろう。力ない笑みを見せる千晴に、理は無理に聞き出すことはせずに「……そうだな。楽しみにしておく」と微笑んだ。
初めて聞いた二人の出会いの一片に、理は不機嫌だった気持ちもすっかり忘れて聞き入っていた。
けれど、ちょうど話を終えた二人の耳に――渦中の人物でもあった、玲衣夜の声が聞こえてくる。そしてもう一人――耳に届いた声は、また、理の知らない男のものだった。親しげな様子で話しているのが、その声音から伝わってくる。
「ほら、しっかり歩いて」
「んん~……俺、玲衣夜くんになら抱かれてもいいかも……」
「あっはっは、何を言い出すかと思えば……まぁ私は真っ平ごめんだけどねぇ」
「うえぇ、ひっど!」
二人が視線を向ける先にいたのは、玲衣夜と――そして玲衣夜の左隣に座っていた、幹事の男だった。
理にも、あのやりとりが飲みの席での戯れだということは分かっている。そう、頭では分かっているのだ。それでも――心までを偽ることはできなくて。
「(くそっ、何でこんなに苛つくんだ……)」
隣で心配そうに自身の名を呼ぶ千晴の声さえ、右から左へとすり抜けていく。その耳はただ、こちらに近づいてくる玲衣夜たちの会話を拾おうと、そちらにばかり意識が集中してしまう。
幹事の男がトイレに入っていくと、理と千晴の存在に漸く気づいたらしい玲衣夜が、へらりと緩い笑みを浮かべて歩み寄ってきた。今日はそこまで酒に酔ってはいないようで、頬が薄っすらと赤く色づいている程度だ。千晴の話していたように、再び介抱されることになる心配はないだろう。
「千晴、戻ってくるのが遅いから迎えにきたのだけれど……理くんと一緒だったんだねぇ。私も誘ってくれたらよかったのに」
「……さっきの男はいいのか」
「え?」
「やけに楽しそうに話していたじゃないか」
――普段の理なら、こんな……拗ねた子どもみたいな言葉を吐き出すことはなかっただろう。けれど今日は、上司に酒を勧められるままに飲まされて、思考回路は通常よりずっと回らなくなっていたのだ。口にするかどうかを判断する間もなく、胸中に溜まっていた思いを吐き出した。
ふん、とそっぽを向く理に、玲衣夜はきょとんとした表情だ。けれどすぐにその口許を緩めて、理の顔を覗き込む。
「もしかして理くん……やきもちを妬いているのかい?」
いつもの理なら、すぐに否定の声を上げているだろう。玲衣夜の揶揄いに気づいて憤慨するか、無視を決め込むかしていることだろう。けれど――。
「……あぁ、そうだ」
「……へ?」
「お前は誰にでもへらへらしすぎだ。……不用意に触らせるな、この馬鹿」
玲衣夜の鼻を軽く摘まんだ理は、またフン、と鼻から息を吐いて、その場を後にする。言いたいことを吐き出せたからか、どことなくすっきりしたような表情をして。
けれど玲衣夜たちに背を向けながら――理は内心であらぶってもいた。
――俺は何を言ってるんだ……! 別にあいつが誰と仲良くしていても俺には関係のないことだろう……! そもそもあいつは男で、同姓同士でべたべたしていたって、何の問題もないはずで……なのにこの胸のもやもやは何なんだ……!
ぐるぐるぐるぐる、思考を回しながら歩いていた理が足を止めた。
そこに、タイミングが良いのか悪いのか、理の後方からやってきた幹事の男――玲衣夜にべたべたと触れていた奴だ――が、通路のど真ん中で立ち止まる理を見つけて不思議そうな顔をした。随分酔っぱらっているようで、無遠慮に理の肩に手を回してくる。




