05
「ほら、薬だ」
「……ありがとう」
理が汲んできてくれた水で、千晴が用意してくれていた市販薬を大人しく飲んだ。お腹も満たされて睡魔がやってきたのだろう、玲衣夜の瞳は少しずつ閉じられていく。
うとうとし始めた玲衣夜を横目に、洗い物をしてしまおうと立ち上がった理だったが、その腕を玲衣夜に掴まれたことで動きが止まった。文句を言おうと振り返ったのだが――出かかった言葉は、喉の奥の方で止まってしまう。
「……どうした」
「……」
玲衣夜は何も言わない。黙ったままだ。けれど理は急かすことなく、静かに玲衣夜の言葉を待った。
ゆっくりと顔を持ち上げた玲衣夜は、熱で潤んだ瞳で理を見上げる。
「もう少し……ここにいて……」
いつもは飄々とした雰囲気で理を揶揄うようなことばかり言ってくる玲衣夜だが、今はそんな態度もすっかり鳴りを潜め、しおらしい様子で弱々しい笑みを浮かべている。人は熱が出ると気が弱くなったり一肌が恋しくなったりするとはよく言うが――玲衣夜も同じなのだろうか。
理は無言でチェアに腰を下ろした。汗で頬に張り付いた髪を指ではらってやれば、玲衣夜は気持ちよさそうに目を細める。
「……理くんの手、冷たくて気持ちいい」
猫が擦り寄るようして頭を傾けながら瞳を閉じた玲衣夜は、理の掌をそっと握りしめた。触れた肌から伝わってくる熱に、濡れた瞳に、色づいた頬に――初めて目にする玲衣夜の無防備な表情に、理の心臓が“ドッッッ”と激しく音を立てる。
無意識の内に、数秒息を止めていたのだろう。小さく息を吐き出した理は、新鮮な空気を吸い込みながら、依然として自身の掌を握りしめたままの玲衣夜をそっと見下ろした。
よく見ればその薄い肩はゆっくりと上下していて、規則正しい寝息が聞こえてくる。この状態で眠ってしまったようだ。あどけない寝顔に、理の胸がまたギュッと締め付けられたように苦しくなる。
「(……何でドキドキしているんだ、俺は……)」
玲衣夜の背に手を添えて、ベッドにそっと横たえる。その寝顔を数秒ぼうっと見つめていた理だったが、玲衣夜が数本の髪を食んでしまっていることに気づいた。
そぅっと手を伸ばしてその髪をとってやれば、重力にそってさらりと流れ落ちるターコイズブルー。その際、ほんの僅かに触れた唇が――あの海の日の記憶を、思い出させた。
理は半ば無意識に、再度その手を伸ばしていた。玲衣夜の赤く色づいた頬をゆるりと撫でれば、玲衣夜がまた、擦り寄るようにしてその頬をぴたりとくっつけてくる。
今この場に理のことをよく知る人間がいたならば、驚愕していることだろう。――この男は、こんなにも優しい表情をすることができるのか、と。
玲衣夜を見つめる理の瞳は――誰が見ても分かるほどに、愛しいものを見つめるそれだった。
理の手が、玲衣夜の滑らかな頬から柔らかな唇へと移動した。中指で下唇をそっと押してみる。「んん……」とくぐもった声を出しながらも穏やかな表情で眠り続ける玲衣夜に、理はまた優しい顔をして口許を緩めた。
「……おい。何やってんだ」
二人きりの静かな空間に、突如として響いた声。小さな声だったが、無音の部屋では何と言ったのかはっきりと聞き取ることができた。
この声は――理が苦手意識を感じている男の声に、よく似ている。いや、似ているなんてものではない。この声はまさしく本人のもので、ということは……。
理が勢いよく振り返れば、そこには、胡乱気な目でこちらを見つめる悠叶がいた。
見つめ合うこと、数秒。悠叶は無言でスマホを取り出したかと思うと、画面をタップして耳にあてがう。
「……もしもし。ここに女の寝込みを襲ってる変態がいるん「ってどこに掛けてるんだ‼」
玲衣夜が寝ていることを配慮して小さめの声でだが――シャウトした理は一瞬で悠叶のそばまで近づき、そのスマホに手を伸ばした。その手をサッと避けながら、悠叶は蔑んだような目で理を見る。
「……セクハラオヤジ」
「なっ…、ち、違う!」
「ナニしようとしてたんだよ」
「何もしていないと言っているだろう!」
どこまでいっても馬が合わない二人だ。理と悠叶の不毛でいて終わりの見えない攻防戦は、バイトを早めに切り上げた千晴が戻ってくるまで続けられたのだった。




