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「っ、玲衣さん、泳げないんだ!」
「……は!?」
――まさか、泳げないのに海に飛び込んだのか!? あいつ、馬鹿だとは思っていたが……‼
千晴の言葉を聞いた理は、慌てて海へと飛び込む。その時にはもう、玲衣夜の頭は海に飲みこまれて見えなくなっていた。
濁った海中で視線を巡らせれば、目を閉じて水中で揺蕩う玲衣夜を見つけた。理はその細腕を掴んで水上へと引き上げる。
「おい! っ、……おい‼ しっかりしろ‼」
近場の砂浜に玲衣夜を仰向けに寝かせた理は、玲衣夜の頬を軽く叩いて呼びかける。けれど応答はない。玲衣夜の瞳は固く閉じられたままだ。
「っ、」
――こいつ、息をしていない。
瞬時に気づいた理は、玲衣夜の気道を確保して――躊躇うことなく口づけた。人工呼吸を続ければ、蒼白い顔をしていた玲衣夜の肩がピクリと動く。
「っ、カハッ……」
玲衣夜が海水を吐き出した。意識を取り戻したらしい。気管に入らないよう身体を横に向け、上腹部を軽く押さえて水を吐かせる。そのまま咳き込み続ける玲衣夜の背を撫ででいれば、少しずつ落ち着いてきたようだ。その瞳がゆっくりと開かれた。虚ろな目で瞬きを繰り返した後、理の存在に気づくと薄っすら微笑む。
「……っ、お前は……、死にたいのか!」
――こんな状況で何笑ってるんだ。あと少しで、死ぬところだったんだぞ。
憤りを隠すことなく声を荒げる理。けれど玲衣夜は、やはりその顔に微笑を浮かべたままだ。
「……理くんが助けてくれたんだね。……ふふ。理くんは……命の恩人だね。ありがとう」
「……何で、あんな無茶した」
込み上げてくる感情をグッと堪えるようにして、低い声で問う。
玲衣夜はゆっくりと上体を起こしながら、自身の手中にあるものを確認して安堵したように息を漏らした。
「どうして、だろうねぇ。……気づいたら、身体が勝手に動いていたんだよ。このブレスレットは、お母さんとの思い出が詰まった大切ものだと……あの子に聞いていたからね」
玲衣夜は、掌の上できらきらと光るブレスレットを見て微笑む。
「これは私のエゴだけれど……あの子が、圭太くんが悲しむところを、見たくなかったんだ。残された者は、寂しさや苦しみを抱えて生きていかなければならないけれど……あの子にとっては、この思い出がある限り……大丈夫だと。そう、思ったから」
いつもよりずっと、たどたどしい口調で話す玲衣夜。――玲衣夜は圭太と自身を重ね合わせているのだろう、と。理は思った。
家族を喪った自分と、母親を喪った圭太。けれどまだ幼い圭太は、悲観し腐ることもなく、母親との思い出を大切にしているようだった。そんな姿が、玲衣夜には眩しく映っていたのだ。
「……そうか。お前が守りたかったものはよく分かったよ。だけどな――残された者は、ずっと寂しさや苦しみを抱えて生きていくことになるんだ。それが分かっているなら……お前を慕っている奴らのことも考えてやれ、この馬鹿」
理の言葉に、玲衣夜は戸惑った。どういう意味だろうか、と。
――けれどすぐに、理の言いたいことが分かった。
「玲衣さん!」
誰かがこちらに駆けてくる。玲衣夜と理が同時にそちらに目をやれば、息を切らした千晴と、その後ろには悠叶もいて――真っ直ぐにこちらに向かってきていた。
「玲衣さん大丈夫!?」
「……あぁ、大丈夫だよ。理くんが助けてくれたからね」
「はぁ、全く……泳げないくせに海に飛び込むとか、玲衣さんはいつもいつも……! っ、心配するこっちの身にもなってほしいんだけど……」
大きな溜め息を吐き出した千晴は、ムッとした顔で玲衣夜に詰め寄る。そして千晴の後ろから現れた悠叶は、玲衣夜の前に屈みこんだかと思えば――容赦なく玲衣夜の鼻をぎゅっと摘まみ上げた。
「った、何をするんだい悠叶」
「……うっせぇバカ」
ジト目で玲衣夜を見据える悠叶からは、どことなく怒っているような、何だか拗ねているような……そんな雰囲気が感じられる。
「千晴、悠叶。心配をかけてしまってすまなかったね。……ありがとう」
自身を見つめる二人の瞳に安堵の色が垣間見えることに気づいた玲衣夜は、心配を掛けさせてしまったことへの謝罪と、同時に感じた嬉しさを、素直に言葉にして伝えた。
「もう一人で無茶なことはしないように」
「あぁ、善処するよ」
「それにしても……おっさんでも、たまには役に立つんだな」
玲衣夜の無事を確認し、ほのぼのとした空気が流れていた中――悠叶が落とした空気の読めない発言に、ピキリと亀裂の入る音が聞こえてきた。
「……あぁ、そうだな。全てが終わってから駆けつけてきたような、どこかの誰かとは違って、な」
「……テメェ……」
――本日二度目の睨み合いの始まりである。
「……というか今の、僕にも言えることだよね。ごめん玲衣さん……」
そして、理が悠叶に向けて放った言葉に同時にダメージを受けてしまったらしい千晴は小さく肩を落とした。
いつも通りの光景に玲衣夜は肩の力を抜いて笑いながら、千晴の背中をポンポンと優しく叩く。
「そんなことないさ。こうして心配してきてくれただけで十分だよ」
「でも……「そうそう、一つ聞いてくれるかい?」
千晴の言葉を遮るようにして明るい声を出した玲衣夜は、濡れた前髪を掻き上げながら不敵な笑みを浮かべる。
「私ね、分かってしまったのだよ」
「分かったって……何が?」
「――怪奇現象の謎について、さ」




