08
「おい、あれ見ろよ……!」
すると、前の方がざわつき始めた。観客の声に耳を澄ませば、どうやら前列に座っていた客の一人が客席から立ち上がり、自前の一眼レフを使ってリオネ役の声優を無断でカメラに収めているらしい。
玲衣夜たちもそちらに視線を向けてみれば――確かに。赤のリュックサックを背負った三十代半ばほどの男が、壇上に立つリオネ役の女性声優の足元でカメラを構えている。
スタッフ証を首から下げた女性が注意しているが、聞く耳を持たない男は女性の手を振り払って写真を撮り続けている。直に他の警備員もやってくるだろうが、自身が止めに入った方がいいものか――。そう思案したこと数秒。
理は足を踏み出し人をかき分けて前へ進む。しかしどうやら、考えていたことは隣にいた探偵も同じだったようだ。
「これじゃあせっかくの楽しいイベントが台無しになってしまうからね」
「……あぁ、そうだな」
玲衣夜と理の後に続き、狼狽えていた山崎も慌ててついてくる。
すると、そこに――。
「おい、止めろ! リオネが困ってるだろ!」
前列の子ども用の観客席に座っていたらしい一人の男の子が、果敢にも制止の声を上げた。――あれは、先ほど玲衣夜が海の家の前でぶつかった少年、圭太だ。
圭太が着ているTシャツの胸元には、よく見れば主人公であるライフルの缶バッジが付けられている。陽に焼けた褐色の腕を真横にめいいっぱい伸ばして、マナー違反をしている男からリオネ役の声優を守るようにして立ち塞がっている。
「おい、ジャマなんだよガキが。可愛いリオネたんが撮れないだろ!」
「イヤだね! みんな座って見てるんだから、おじさんもはやく座ってよ! それに、周りの人にめいわくかけるようなことはしちゃだめだって、学校で習わなかったのかよ!」
自分より一回りも二回りも小さな子どもに正論をぶつけられた男は、顔を真っ赤に染め上げて震えている。
それは公衆の面前で子どもに注意されてしまったことに対しての羞恥心もあるだろうし、曲がりなりにも持っているだろうプライドを傷つけられてしまったことへの、怒りの感情もあるかもしれない。
「っ、うるせぇんだよ……!」
立ち上がり、眼下にいる圭太をギロリと睨みつけた男。
前方へと足を進めていた玲衣夜と理は、男の雰囲気が変わり、その目線の先がステージ上から圭太へと完全に移っていることに気づいた。玲衣夜たちは前に進む足を速める。――けれど、一歩遅かった。
逆上した男は一眼レフを首に下げたまま、圭太を抱え上げてその場から逃亡したのだ。
「っ、圭太!」
圭太の父親の声だ。後方の席で見ていたのだろう。玲衣夜たちの後ろから悲痛な叫び声が聞こえてきた。
イベント会場は、一気に騒然となる。
「チッ、まずいな」
「私が追いかけるよ。理くんはこの場を頼んだよ!」
「あっ、おい待て! ……クソッ、またあいつは一人で勝手な行動を……!」
一人で男を追いかけていく玲衣夜。その後ろ姿に小さく悪態を漏らした理は、ひとまずこの場を鎮めようとステージ周辺にいる係員たちに声を掛けようとする。
――けれど、数十分前に見た玲衣夜のあの表情を思い出してしまって、その思考をピタリと止めた。
「……山崎!」
理の背後に控えていた山崎が、突然名を呼ばれたことに肩を震わせながらも、すぐに返事をする。
「は、はい! 何ですか一ノ瀬さん!」
「……この場はお前に任せた。俺はあの男を追う!」
「えっ、ちょっと一ノ瀬さ、」
山崎の言葉を最後まで聞くことなく、理は駆け出した。
――別に、あいつのことを心配しているとかじゃなくて……ただ、あいつ一人じゃ頼りないから俺も後を追っているだけで。……さっきの男が動転して子どもに危害を加える可能性だってあるしな。……そうだ、俺は警察官として当然の責務を果たしているだけだ。
誰に聞かせるでもない言い訳を心中で並べたてながら、理は走る速度をぐんぐん上げていく。




