04
ギスギスした空気を放つ一帯から抜け出した玲衣夜は、店の前で待っている客にジュースを届けにきていた。
店内に戻ろうと踵を返せば、その際、運悪く駆けてきた少年にぶつかってしまった。玲衣夜はよろけた程度で済んだが、少年は勢いのままに後方に倒れこんでしまったようだ。
「おっと、ごめんよ。怪我はないかい?」
尻餅をついた少年に、玲衣夜は手を差し出す。
「てて……うん、別にどこも怪我してないし、大丈夫だよ!」
玲衣夜の手を掴んで立ち上がった少年は、歯を見せてにっかりと笑う。
年は十歳くらいだろうか。日に焼けた褐色の肌に、黒髪のスポーツ刈り。快活そうな雰囲気の男の子だ。
「ん? これは……」
自身の足元に落ちている物に気づいた玲衣夜がそれを拾い上げれば、少年はハッとした表情で玲衣夜の手元にあるブレスレットに手を伸ばす。
「これは君の物なんだね?」
「うん、そうだよ! 拾ってくれてありがとな、姉ちゃん!」
初対面では男に間違われることがほとんどであるため、姉ちゃんと呼ばれたことに玲衣夜は瞠目した。しかしすぐに嬉しそうに微笑んで、少年にブレスレットを手渡す。
「ふふ、どういたしまして。そのブレスレットは……貝殻とシーグラスで出来ているのかな?」
「うん、そうだよ! これはな、母ちゃんが作ってくれたんだ! いいだろ!」
えっへん、と嬉しそうに胸を張る少年が微笑ましくて、玲衣夜は優しい顔で笑う。
「あぁ、とっても素敵だね。君のお母さんはブレスレット作りがとっても上手みたいだ」
「へへ、姉ちゃんにこれはやれねーけど……でもな、一個いいこと教えてやるよ!」
少年から耳打ちされた内容に、玲衣夜はにっこり笑う。
「……うん、それはいいことを教えてもらったな。あとで行ってみるよ」
「うん! 姉ちゃんも気に入ると思うよ!」
二人の間にほのぼのとした空気が広がる中、少年を呼ぶ声が響き渡った。
「圭太! お前、こんなところにいたのか!」
「あ、父ちゃん!」
眼鏡をかけた細身の男性がこちらに駆けてくる。
歳は三十代半ばくらいだろう。少年――名は圭太というらしい――を見つけて、安堵した様子で笑っている。優しそうな雰囲気の男性だ。
「あの、すみません。この子が何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。むしろこちらの不注意でぶつかってしまったんです。申し訳ありません」
「あのねっ、今この姉ちゃんに、俺のブレスレット見せてあげてたんだ!」
嬉しそうに話す圭太に、父親は目を細めてその頭を撫でている。
「そうか。そのブレスレットは圭太の宝物だもんな」
「うん!」
「……よし、それじゃあこのままアイスでも食べるか。好きなものを買ってきていいぞ」
「え、ほんとに!? やった~!」
「あ、こら! 走るとまたぶつかるぞ! 全く……すみません、騒がしくて」
「いえいえ、子どもは元気なのが一番ですから」
父親から貰った五百円玉を握りしめた圭太は、颯爽と店内へ駆けていく。その後ろ姿を見守る父親は優しい顔をしていて……けれど同時に、どこか寂しそうな瞳をしている。
「……今日はご家族で、海へ遊びに?」
「はい。……実は半年ほど前に、妻を亡くしまして。なので今日は、あの子と二人で」
「そうでしたか……。お辛いことを思い出させてしまってすみません」
「いえ、気になさらないでください。ここ最近は私が仕事ばかりで中々遊びにも連れていってあげられなくて……なので今日は、三人でよくきていたこの海へ遊びにきたんです。今月はあの子の誕生日で、この海へ遊びに行こうと約束もしていたので。……今日はちょうどアニメのイベントをやっているんですが、圭太も妻も大好きで、毎週夢中になって観ていたんですよ」
山崎が嬉々として語っていたアニメ、“Pirate 's treasure”。このアニメは山崎や玲衣夜といった大人ファンが多いのは勿論、子どもからの人気も高いのだ。
「そうだったんですか。確かに“Pirate 's treasure”は面白いですよね。私も好きですよ」
「へぇ、あなたもあのアニメが好きなんですね」
「はい。家族や仲間の大切さを丁寧に描きながら、海賊たちが宝を巡って冒険するあのハラハラドキドキ感……! 毎週手に汗握りながら観ていましたよ!」
「……っ、ふふ、すみません。妻もあなたのように目を輝かせて、同じようなことを言っていたので……思い出してしまって」
肩を震わせて笑う父親。玲衣夜もふっと表情を和らげる。
そうして話し込む二人のもとに、二つの声が同時に重なって届いた。
「父ちゃん、アイス買ってきたから早く行こうよ! 見る場所がなくなっちゃう!」
「玲衣さん、いつまで外にいるのさ。熱中症になるといけないから、そろそろ戻ってきなよ」
声の主である圭太と千晴は、顔を見合わせて不思議そうな顔をしながら、互いにぺこりとお辞儀している。そんな姿が何だかおかしくて――顔を見合わせた玲衣夜と父親もまた、クスリと微笑んだのだった。




