09
「やぁ理くん。遅かったねぇ」
「おまえなぁ……あのメールは何だ」
「何だって……そのままの意味だよ? 理くんも分かってきてくれたんじゃないのかい?」
「ここら辺で赤いスポーツカーが停まっているホテルにホシがいるからはやくこいって……ざっくり過ぎるだろ! せめてどこのホテルか確定してから連絡しろ!」
「だけどそれじゃあ間に合わなかったかもしれないだろう? 実際、ホテルに着いてからじゃ連絡する暇もなかったしね。念には念を、だよ。理くん」
「……はぁ」
重たい溜息を吐き出した理は、玲衣夜の手によって縄でぐるぐる巻きに拘束された四人を見て、それから玲衣夜に視線を戻して、ボソリと呟く。
「……このゴリラめ」
「うん? 何か言ったかい?」
「……別に、何も」
また小さく溜息を漏らした理に、玲衣夜は微笑む。
「そんなに溜息ばかり吐いていたら、幸せが逃げてしまうよ?」
「……余計なお世話だ」
フンッと鼻を鳴らした理は、部下たちを引き連れて男たちのもとに向かっていく。これから本庁に連行して、事情聴取をとるのだろう。
「……玲衣さん、ごめん。僕全然役に立てなくて……むしろ邪魔しちゃったし」
「ん? 何を言ってるんだい? むしろ千晴のおかげでこのホテルまで辿り着けたんじゃないか」
「でもそれは……」
「それに、さっきの千晴の声。――しっかり届いていたよ」
麗しい笑みを湛えた玲衣夜のターコイズブルーの髪が、さらりと肩上で揺れている。
“――君の声が聞こえたからさ”
一年程前。千晴は、玲衣夜と初めて出会った日のことを思い出した。
「どうかしたのかい?」
「いや……何か、初めて会った時のことを思い出しちゃって」
「初めて会った時……あぁ、私が千晴のことを華麗に救い出した時のことだね」
ドヤ顔で笑う玲衣夜を、千晴はジト目で見る。
「……酔っぱらってベロベロになった玲衣さんを、僕が介抱した時でもあるけどね」
「うっ……あの時のことは、忘れてくれてもいいんだけれど……」
「……嫌だよ。絶対忘れないから」
ベッと舌を出した千晴は、くるりと背を向けて歩き出す。
「悠叶くんにもあの時のこと、教えてあげようかな」
「そ、その話はしなくてもいいんじゃないかい? ……ち、千晴?」
茶目っ気を孕んだ声で揶揄うようなことを言う千晴。そして、慌てた様子でその背を追いかける玲衣夜。
この姿だけ見ていたら、どちらが上司で部下(助手)なのか分からないだろう。
けれどあの頃と変わらない、ここぞという時には頼りになる上司は――面倒くさがりのくせに、一度懐に入れたものにはとことん甘くて、どんなに小さな叫び声にも耳を傾けてくれる。
自身の目で見たものを信じて、そうすれば見て見ぬふりなんてできない――助けを求めている者には手を差し伸べずにはいられない、生粋のお節介焼きなのだ。
そんな人だから、この人の周りはいつだって人であふれ、関わった者は皆絆されてしまうのだろう。そんな人のそばにいられることが、そんな人に信頼されているということが……千晴は内心で誇らしく思うと同時に、確かな優越感も感じているのだ。
時を遡ること、一年ほど前の夜。二人の出会いがどんなものだったのか。それはまた――別の話で語ることにしよう。
***
「それじゃあ俺たちは戻る。まぁ一応……世話になったな」
玲衣夜曰く“ツンデレ”な一言を残した理は、拘束された男たちを乗せてパトカーに乗り込んだ。遠ざかるパトカーを見送った玲衣夜たちは、地下駐車場から出てホテル前の舗装された道を歩く。
「……ん? あれって……」
しかし千晴が何かに気づいたようで、その足を止めた。
「ねぇ玲衣さん、あれって……」
「うん? あれは……悠叶、だねぇ」
今まで玲衣夜たちがいた地下駐車場。その駐車場を所有するホテルの正面出入り口。そこに一人で佇んでいるのは――どこからどう見ても、つい数時間前まで事務所のソファに寝転がっていた悠叶だ。あの金髪、間違いないだろう。
しばらくホテル前で立ち尽くしていた悠叶だったが、睨みつけるように上階の方を一瞥して、そのまま建物内に入ってしまった。
「どうして悠叶くんがここにいるんだろう?」
「そうだねぇ……あぁ、分かったよ! 悠叶は、私たちがいなくなって寂しくなったんじゃないのかな? それで私たちの後をつけてきたとかね」
「いや、それはないと思うけど……」
「そうかい?」
後をつけてきたのなら、ホテルになど入らず玲衣夜たちに直接声を掛けるだろう。けれど悠叶がこちらに気付く様子はなかった。
偶然このホテルに用があって、自らの意思でやってきたのだろうけど……一体何の用があって此処へやってきたのか。
悠叶の後を追いかけるか、このまま事務所に戻るか。
しばらく逡巡した玲衣夜たちだったが、結局、この場は後を追うことはせずに、まっすぐ事務所へと戻る道を選択した。悠叶が誰かと待ち合わせている可能性もあるだろうし、それを邪魔してしまうのも悪いと考えたからだ。
――――何故悠叶がこのホテルに入っていったのか。悠叶は一体、何者なのか。この謎が解き明かされるのもまた、もう少し後の話になる。




