07
「ねぇ君。ここら辺で真っ赤な車を見なかった?」
突然道端にしゃがみ込んだ千晴。そんな彼が話しかけている相手は――まさかの猫である。
塀の上から飛び降りた野良猫に向かって話しかけている千晴は、他者の目から見ればおかしな行動をしている人物として捉えられるのだろう。
「にゃぁ」
「……うん、そっか。ありがとう」
猫の鳴き声に頷いた千晴。次いで顔を持ちあげて視線を上空に向けたかと思えば――電柱に止まっている一匹の鴉に向かって声を張り上げる。
「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど! ここら辺で赤い車を見なかった?」
「……」
「……あ、あった。これ、あげるからさ」
無反応の鴉は、千晴がポケットから取り出したビスケットを地面に置くや否や、その真っ黒な羽をばさりとはためかせて飛び降りてくる。
「教えてくれる?」
「……かぁ、かぁ」
「……うん、ありがとう」
鴉の鳴き声に嬉しそうに返事をする千晴。
近くを通り過ぎていった主婦らしき女性は、そんな千晴を見て気味が悪そうな顔をして早足に通り過ぎていった。
「千晴、何か分かったのかい?」
「うん。鴉くんが、艶々光る赤の車があっちの大通りの方に向かっていったのを見たって」
「ふむ、あそこの通りか。あそこらへんにあるホテルの数はそう多くないし、しらみつぶしに当たっていけば見つかるかもしれないね」
玲衣夜は自身のスマホを取り出し、画面をタップしている。どうやら誰かにメッセージを送っているようだ。
「……よし、これでいいかな。それじゃあ千晴、尾行の続きを開始しようか」
スマホを仕舞った玲衣夜は、大通りの方に向かって歩きだす。斜め後ろを付いていきながら、千晴はぽつりと、その名を口にする。
「玲衣さんは、どうして…」
「ん?」
「何か言ったかい?」と不思議そうな顔で見つめ返された千晴は「……ううん、何でもないよ」と静かに微笑んだ。
――千晴は動物の言葉が何となくだが分かる。本人は特にそれを隠しているわけでもないので、小学校の時などは散々クラスメイトに揶揄われたり気味悪がられたりしたものだ。しかし嘘を吐いているわけではないのだからと、千晴自身、誰かに何かを言われることを気にしたことはなかった。
他者からどう思われようと、これが自分自身なのだと。家族や信頼できる友人――大切に思う人が受け入れてくれればそれでいいと、千晴は思っているのだ。
千晴が玲衣夜と出会ったばかりの頃、何とはなしにそのことを伝えると、玲衣夜は少しだけ驚いた顔をしていた。
けれどすぐにいつもの気の抜けた笑みを浮かべて、「それは凄いじゃないか」なんて言って褒めてくれたんだっけ。そして、その後に続いた言葉。
「君は、隠したいとは思わないのかい? 知られることが怖いと……そう思ったことはないの?」
あの言葉にどんな意図が込められていたのかは今でも分からないけれど、その後の僕の答えに、どこか満足そうに、切なそうに、目を眇めて笑う玲衣さんのあの顔を――僕はいまだに忘れられないでいる。




