06
「……いたね」
「あの人が尾行対象?」
「あぁ、そうだよ」
理から届いたメールに添付されていた写真。そこに写るのは、三十代半ばくらいのやせ細った男だった。
物陰に隠れている玲衣夜たちの視線の先――喫茶店前でスマホを操作しながら一人佇んでいる男の顔と、一致する。
「あの男の人が、これから合う人物に何かを手渡している場面を写真に撮ればいいんだよね?」
「うむ、そういうことになるね。……どうやらお相手がきたようだ」
細身の男に近づいてきた人物は、対照的に肥え太ったがっしりした体つきをした男だった。二言三言、短い言葉を交わして喫茶店に入っていく。
「よし、私たちも入ろうか」
後を追うように、自然な振る舞いで喫茶店に足を踏み入れる玲衣夜。千晴もその背を追いかける。
店内は夕飯前の時間帯ということもあってか、そこそこの客で賑わっていた。視線を巡らせれば、男たちは店の一番奥の端の席に座っているようだ。運よく細身の男の背後にある席が空いていたため、店員に許可をとってそこの席まで案内してもらう。
「――いやぁ、いつも悪いね」
「いえいえ。こちらこそ、――様にはいつもよくしていただきまして……」
低姿勢で猫撫で声を出す細身の男と、どこか相手を見下しているような厭らしさを感じる声音で話している小太りの男。
アイス珈琲を注文した二人は、男たちの声に耳を澄ませた。
「それで……いつもの“アレ”は、勿論持ってきているんだろうね?」
「はい、確かにここに……」
いつもの“アレ”。多分それこそが、理が証拠を押さえてほしいと言っていた件に関わる代物なのだろう。
目を見て頷き合った玲衣夜と千晴。千晴は事前にインストールしていた無音カメラのアプリを立ち上げて、自身のスマホを玲衣夜にそっと手渡した。
細身の男の背後に座る玲衣夜は、インカメにしたスマホを自然な動作で弄っている。細身の男と玲衣夜の間には観葉植物が設置されているため、死角もありばれることはないだろうが……千晴は届いたアイス珈琲を飲みながら、逸る心臓を落ち着かせようと小さく息を吸う。
「……いや、待ってくれ。それは後ほどホテルで受け取ることにしよう」
しかし、どういうわけか小太りの男は席を立ち、受け渡しを後にしようと提案する。
「え? で、ですが……」
「いいから、行くぞ」
困惑した様子の細身の男に、有無を言わせぬ声音で店を出ることを促す小太りの男。アイコンタクトをとった玲衣夜と千晴は、アイス珈琲を飲みながら男たちの後を追えるようにと準備をする。
男たち二人が店の扉をくぐって外に踏み出したタイミングで、玲衣夜たちも席を立った。会計は事前に済ませているため、そこで時間を食って姿を見失うという心配もないだろう。
出入り口に向かい、店員の「ありがとうございました!」という声に見送られながら店外へと出た二人だったが――ちょうど店に入ろうとしていたのだろう客の一人と、千晴がぶつかってしまった。ぶつかったと言っても、擦れ違いざまに肩と肩が軽く触れあっただけだ。けれど相手はそうは思わなかったらしく、謝罪して立ち去ろうとする千晴の肩を掴んで引き止めてくる。
「おいオマエ、人にぶつかっといて謝罪だけで済ませる気かぁ?」
「えぇっと……すみません。でも肩が触れ合った程度ですし、ぶつかったというほどでは…「いたたっ! こりゃあ骨が折れてるかもしんねぇなぁ」
千晴の声を遮った男は、自身の右肩を抑えながら大げさな声を上げる。
「わぁ、これが当たり屋っていうんだね。生で見るのは初めてかもしれないなぁ」
肩を抑えながらも、その口許にはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている男を見て、玲衣夜は感心したような表情で呟いた。
「(どうしよう、これじゃああの男たちを見失っちゃう……)」
焦燥感に駆られた千晴は、どうすればこの場を切り抜けられるかと必死に頭を働かせる。
しかし、不意に玲衣夜たちの後方に目を向けた当たり屋の男は、何かを確認したような表情を見せてから、千晴の肩を掴んでいた手をパッと放した。
「……まぁいいわ。今回は見逃してやる。次から気を付けな」
そう言って店内に入ることもなく、此処から立ち去ってしまった。
「何だったんだろう、あの人。……って、あの男の人たちは……!」
慌てた千晴が男二人の行方を探そうとすれば、隣にいた玲衣夜の目はすでにそちらに向いていた。視線を辿れば、小さくなっていく派手な赤いスポーツカーが見える。
「もしかして、あのスポーツカーに乗って行っちゃったの?」
「あぁ、そのようだね。……う~ん、参った。どうやら私たちの尾行はバレバレだったようだ」
「え? でも、何で……」
「私たちのさらに隣、千晴の背後にスーツを着た男が一人座っていただろう? 推測だけど、多分あれは受取人の男のSPか何かだろうね」
「もしかして……僕たちが盗み聞きして盗撮しようとしてるのがバレたってこと?」
「あぁ、そういうことさ。そしてそのSPが連絡を取り、さっきの当たり屋に命令したんだろう。私たちの足止めをするようにってね」
「これは理くんに怒られてしまうだろうなぁ」と呑気に笑っている玲衣夜に対し、千晴はその顔を悔しそうに歪める。
「……玲衣さんごめん。あそこで僕がぶつかったりしなければ、上手くいってたかもしれないのに……」
「ん? なぁに、千晴のせいじゃないさ。それに私だって、上手くいくものだろうと胡坐をかいていたからね」
対象者の男たちを完全に見失ってしまったというのに、玲衣夜は少しの動揺も見せることなく朗らかに笑っている。
「さて、これからどうするか……まずはあの男たちが向かった先を突きとめなくてはならないね。男はホテルに向かうと言っていたけれど……」
顎下に手を添えて思案する玲衣夜に、千晴が提案する。
「玲衣さん、ここは僕に任せてくれないかな?」
千晴の意志のこもった瞳を見て、暫し逡巡した玲衣夜はコクリと頷いた。
「うむ。それじゃあ、ここは千晴に任せることにするよ」
玲衣夜の了承を経た千晴は、キョロキョロと視線を巡らせる。そしてお目当てのものを見つけると、そこに向かって駆け出していく。




