05
悠叶の態度に理の苛々ゲージがぐんぐん上昇していく中、いつもと変わらずマイペースな玲衣夜がのほほんと理に声を掛ける。
「それで、理くんは何か用が合って此処へきたんじゃないのかい?」
「……あぁ、藤堂さんからの頼みでな。というかお前、俺からのメール、見てないだろ」
「メール? ……ああ、三十分前に受信しているね。全く気がつかなかったよ」
「全く、こまめにチェックしろよ」
ふぅ、と小さく吐息を漏らした理は、自身の中にあったむしゃくしゃする気持ちを落ち着かせたようだ。
千晴に勧められて来客用のソファに腰を下ろし、用件を伝える。
「本来ならこちらだけで十分に対処できる事案なんだが、今は別件で立て込んでいるからな……仕方がない。不本意ではあるが、お前に依頼することになった」
頼む立場であるというのに偉そうにしている理。普通ならその態度は如何なものかと機嫌を悪くしてしまいそうなものだが、その相手は玲衣夜だ。全く気にすることはなく二つ返事で了承してしまう。
「あぁ、理くんたちの頼みなら喜んで引き受けるさ。それで、依頼の内容は?」
「それは――」
事の詳細を聞いた玲衣夜と千晴は、顔を見合わせてから同時に頷いた。
「あぁ、分かったよ。それじゃあこの書類に依頼内容と署名をお願いできるかな」
千晴から依頼簿を受け取った玲衣夜が、ペンと一緒に理に手渡した。サラサラと綺麗な文字で簡潔に詳細を記した理は、それをテーブルに置いて立ち上がる。
「おや、もう帰ってしまうのかい?」
「あぁ。さっきも言ったが、今は別件で立て込んでいるからな。事が済んだらまた連絡してくれ」
出入り口に向かいながら、一瞬悠叶に視線を落として眉を顰めた理。気に入らない、と顔に書かれている。
「……それじゃあ、邪魔したな」
理が事務所を出ていけば、それを待っていたかのようなタイミングで悠叶が起き上がる。
「おや、今日はずいぶん早いお目覚めだね」
「……口うるせぇおっさんがいる中で、安眠できるかよ」
そう言って、不機嫌丸出しの顔で玲衣夜をじろりと見やる。
「あっはっは、理くんをおっさんかぁ。それなら私はおばさんということになるのかな?」
「……」
「ふふ、やっぱり悠叶は面白いねぇ」
玲衣夜の問いかけに言葉を返すことなく、千晴の淹れてきた珈琲を無言で口にする悠叶。それは理にと用意したものだったが、手を付けることなく帰ってしまったから無駄にならずに済んでちょうどいいだろう。
自身の分の珈琲に砂糖を一つ入れながら、千晴は壁時計に目を向けた。時刻はちょうど十七時を指している。
「玲衣さん、もう十七時だよ。そろそろ出ないとまずいんじゃないの?」
「あぁ、そうだね」
「……どっか行くのか」
千晴と玲衣夜のやりとりを見て、ボソリと口を開く悠叶。
「あぁ、今回の依頼はとある人物を尾行して、証拠写真を撮ってきてほしいというものでね。対象の人物が十八時に都内某所の喫茶店にやってくるという情報が入っているらしいんだ」
「玲衣さんのところに舞い込んでくる依頼の中でも、何ていうか……珍しく、凄い探偵っぽい依頼だよね」
「あぁ、確かにそうかもしれないねぇ」
此処一ノ瀬探偵事務所に舞い込んでくる依頼内容は、まぁ一般人からのものは別として――理たち刑事からは八割方殺人事件絡みといった物騒な内容のものが多いのだ。
「私たちはもう出るけど、悠叶はどうする? 一緒に行くかい?」
「……めんどくせぇ」
「ふふ、そうかい。それなら留守番を頼んだよ」
変装用なのか、キャップを被ってサングラスをかけた玲衣夜。顔が整っているのも相俟って、そんな姿もさながらどこぞのモデル並に……いや、それ以上に様になっている。華やかなオーラが隠しきれていない。
「それじゃあ、行ってくるね。あぁ、もし帰るようなら、デスクの上に鍵があるからポストの中に入れておいておくれ」
「悠叶くん、いってきます」
「……」
二人の後ろ姿を無言で見送った悠叶は、しばらく扉の方をぼうっと見つめていた。しかしすぐにソファの上に寝転がり、その瞳を閉じる。
“――悠叶、行ってくるね。”
忘れたくて、忘れようとして……でもどうしたって消えてくれない。
懐かしい“あの人”の記憶を思い出しながら。静かに眠りにつくのだった。