4.婚約事情は複雑怪奇・その2
座敷を出ると、廊下は右へと続いていた。そこをまっすぐ行くと、突き当たりに、洗面所・お風呂場らしき部屋があった。そして、その横手から別の廊下が裏手へと突き出しており、 離れのような部屋へと繋がっていた。
そこは、いたって普通の部屋で、春子のためであろう机・椅子・本棚が用意され、春子のスーツケースはタンスの前に行儀よく置かれていた。左の広いスペースにはご丁寧にソファーとコーヒーテーブルが置いてある。また、タンスの横はウォークイン・クローゼットがあり、少し奥まったスペースが取られていた。そして、さらに隣の部屋へ続くであろう扉が奥に鎮座していた。
「・・・これは行き過ぎていませんか・・・」
その部屋には、春子にそう言わしめる異物が、中央にデカデカと置かれていた。
「・・・」
秋行は、戸口で停止状態になっている春子の様子を眺めた。
「秋行さん、何なんですか、これ?」
「秋でいいよ。」
「・・・はい。」
「まあ、婚約するわけだから、当然ではあるんじゃないかな。」
「いやいやいやいや、散々、軽率な行動はどうのって言ってたじゃないですか・・・。ってか、これが軽率の最たるものなんじゃないとしたら、何なんですか・・・」
二人のために用意されたであろうこの部屋の中央に置かれているのはもちろんキングサイズのベッド。ご丁寧に枕もちょうど二人が一緒に寝られるようにお行儀良く並べられている。
「信じられない・・・しかも、あのおじいさん・・・子どもって・・・私、まだ、17ですよ。非常識すぎませんか・・・」
「まぁ、この家には世間一般の常識は通じないからなぁ・・・。」
「一般常識、以前の問題です」
春子は、秋の反応を待った。
「じゃあ、どうする? 別の部屋を用意させる?」
「・・・」
「まさか、自分がそんなことをお願いできる身分だと?」
「それは・・・。」
春子は少しうつむくと、この一見人当たりのいい優しいお兄さんの言わんとしている事を考えた。浩孝おじさんは『柏瀬家のお客様』と言っていたが、そんな高待遇で出迎えられているわけがなかった。『借金の形』なのだから。
「冗談だけど。」
秋は少しいたずらっ子のような表情をし、春子の思考を取り上げると、そのまま春子の頭をクシャクシャとなで回した。春子はきょとんとして秋行を見上げた。
「僕の部屋は隣。」
そう言うと秋行は、ベッドの向こうにある扉を指した。
「その扉の向こうだよ。まぁ、君さえそのつもりなら、一緒にしろってことなんだろうけどね」
秋はそう言うと、少し笑いながら部屋の奥へ歩みをすすめ、そこにあるソファに腰かけた。春子は秋行を追いかけ、部屋の中に入ると、とりあえず、秋行の反対側のソファに落ち着いた。
「あの、秋さんって、反抗期なんですか?」
「ん?」
秋は、余程思いもよらいことを言われたのかのか、まさに鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしていた。
「・・・だって、おじさん達にすごい冷たい態度だったから・・・」
「いや、そんなこともないだろう。」
「じゃあ、秋さんもこの婚約、納得してないんですか?」
「『も』って・・・春子ちゃんは納得してないの?」
「どうやってするんですか?」
秋は読み取りにくい表情を見せた。先程のおじさん達のかすかな狼狽からみて取れる限り、秋は自分のためというよりもおじさん達のために婚約を遂行しているらしかった。よって、とりあえず、この状況では秋を仲間にして、一緒にこのバカな婚約劇をぶち壊した方がいいのじゃないかと考えたことからの発言だった。そして、やはり秋の表情からは冷や水をかけられたような驚きやショックという類の気持ちはないように思えた。
やっぱり・・・
「私、二日前なんです、この・・・話されたの。突然、母から行けって言われて、そのまま飛行機に乗せられて、秋さんがどんなかたかも知らずに。このお家のことも、何も知らないです・・・」
「ふ〜ん、二日前ね・・・ずいぶん・・・物わかりいいんだな・・・」
思わぬ秋のフリに、春子は伝える事は伝えておこうと決心した。
「・・・別に物わかりが良いわけじゃありません。さっきも言いましたけど、納得してませんし。そもそも、婚約も結婚も・・・するつもり、ありませんし・・・」
「・・・じゃあ、どうして?」
秋は、納得できない状況でどうして来たのかと聞きたい様子だったが、春子も実は自分でもそれがわからなかったのだ。ただ、あの時の別れ際の母の表情が気になり、あれ以上抵抗できなかったのは確かだった。
「半ば・・・押し切られた・・・というか、流れっていうか・・・無理矢理です」
唐突に無茶苦茶をするような両親ではあったが、それでも今回は行き過ぎている。どうしても合点が行かない事が多いような気がしていた。
「あくまでこの婚約・婚姻に同意したわけではないと?」
「当然です。こんなのおかしすぎます・・・愛だの恋だのよくわかないのに、どうやって知らない人とのケッコンの約束を承諾するんですか。」
「なるほど・・・」
秋は足を組むと、ソファの後ろにもたれかかり、窓から見える裏庭の雑木林を眺めた。その眼差しには動揺もなければ、落胆も見受けられない。
春子もつられて、窓の外を眺めた。裏庭に巡らされた雑木林も木漏れ日を蓄え、夕日を背景にきれいな光の帯を完成させていた。ベッドの衝撃のせいで、この景色が目に入っていなかったらしい。
春子はもう一度、秋に視線を戻した。秋はどこか遠くを眺めたまま話を続けた。
「久我家の方は・・・、まぁ、僕も含めて、君が来るという連絡があった時点で、すべてが了承済みだと解釈しているわけだ。まぁ、このベッドもその結果だろうし・・・。」
秋は改めて春子に視線を合わす。
「すみません。・・・私、本当に、何も知らないんです。」
「・・・みたいだね。そうか・・・、春子ちゃん、結構大胆だから、了承しているのかと思ったよ」
秋は、再びいたずらっ子の目で、からかうように春子を遠巻きに眺めた。
「大胆?」
「まぁ、空港で抱きつかれるとは思ってなかったし、それに車の中でも、なんか期待してただろ?」
「ちっ、きっ、期待なんてしてません! あれは・・・夢見てたから、ボケちゃってただけです。それに、抱きつくっていても、あんなの足がもつれただけで・・・」
「ははは、まぁ、そんなところだろうな。」
秋は少し体制を戻すと、前屈みになり春子を自分の視界に捉えた。
「でも、僕がイヤじゃないなら、この話、前向きに考えてほしいんだけど。」
「・・・どうしてですか?」
「どうしてって、君が欲しいからだよ。」
「私が欲しい?」
「そう、僕は三年前から君に会えるのを待っていた。もちろん、当初はせめて君が高校を卒業するまで待つつもりだったし、もっとゆっくり段階を踏むつもりだったんだけどね」
秋は穏やかな目をしていた。しかし、その目はあくまで笑ってはいない。冷ややかな瞳。目の奥に秘密の扉でも隠されているのか、厳重な警備隊体勢が敷かれているのか、春子はその目を通り抜ける事を許されていないと感じた。
「待っていた?」
「春子ちゃんは覚えてないみたいだけど、僕らは三年前に会ってるんだよ。君にとってはたった二日の短い滞在だっただろうけど、僕にとっては大きな出来事でね・・・その時から、僕は君と再び会えるのを待っていたんだよ・・・」
「・・・一目惚れしたとでも言うんですか?」
「まぁ、そう、一目惚れだったね。」
秋は優しい空気に包まれた笑顔を送り届ける。ちょっと照れ臭そうにはにかむ容姿は綺麗に作りものには思えないほど完璧だった。春子をまっすぐ見据えるその瞳に迷いは感じられなかった。
「すごい・・・」
「・・・」
「そんな嘘、目の色一つ変えず言っちゃうんだ・・・」
春子は純粋に尊敬した。どう考えても、あからさまに秋にそんな浮かれた感情はない。恋愛の欠片も経験したことのない自分だが、それでも相手が自分に対して好意を持っているかどうかくらいは分かる。秋は明らかに春子に対して興味すらない。秋の渇いた台詞も空虚な笑顔もがどこまでもそれを裏付けている。
「まいったなぁ・・・、嘘でこんなこと言わないだろう?」
秋は目には懐疑の色が浮かぶ。凍りついた笑顔が隠される。
「嘘ですよ。」
春子はためらいなくそう断定した。
「だって、秋さん、私に惚れてなんかないですから」
秋は、少し顔を歪めたようだった。平静を装うその表情には少しずつ亀裂が垣間見える。
「君は、一体、誰に日本語、教わったわけ?惚れるって・・・、17の発言じゃないだろう・・・ププッ」
「秋さん、私・・・」
「・・・今日、来たばかりだし、君の意思に関係なく、当面、ここで暮らしていくわけだ。君はお父上の資金の担保でもある・・・、最終的に結婚するしないの問題の前に、この事実は変わらないよ。」
「それはそうですけど・・・。」
「それとも、『惚れてる』っていう証拠でもほしい?」
「証拠?」
「そう、言葉よりも簡単に分かってもらえると思うけど」
秋はそう言うと、スッとソファを立ち、コーヒーテーブルを避けると、春子に向かってきた。春子は身動きの取れないソファの中で、後方に身を引いてみた。
秋は、春子に近づくと、ソファのふちに手をかけ、反対の手で、春子の顎に触れると、春子の顔を持ち上げた。
「あ、あの・・・秋さん?」
秋はきれいな目をしていた。だけど、やはりそれは穏やかさでも優しさでもなく、造形という言葉がぴったりだった。複雑な感情を塗りつぶして作り上げられているような。秋を包む空気は静かで一点のざわつきもない。
秋は春子の顎をさらに少し上に上げさせると、目を見つめたままゆっくりと距離を詰めてきた。
「秋さん・・・私、こんなんじゃ、ごまかされませんよ?」
「?」
秋は春子の発言に身を強張らせたようだった。
この春子という少女は、思った以上に勘が働くようで、どちらかというと、やたらと鋭い洞察力を持っているらしかった。自慢にもならないが、秋にとって感情は操作の代物、計算されたものであって、無造作に動かしているものではない。そして、その操作にしくじったことはない。
少々厄介なガキかもしれないなぁ、と、秋はそう思いながら、改めて春子を見下ろした。
春子は、自分を見つめおろす秋の目に、いっぺんの隙ができたのに気がついていた。あたらずも遠からずと言ったところだろうか、そこには確かに揺るぎが見て取れた。
春子は、自分の頬にある秋の手をそっと退けると、体勢を整えて、改めて秋を見上げた。
「私のパパ、都合が悪くなると、そうやってママにキスして、なし崩しにしちゃうんですよね。ママはパパに惚れてるから、いつもそれでごまかされてますけど、私は秋さんに惚れてないんです。そんなんで、私を懐柔しようとしても無理ですよ。」
「懐柔・・・、ハッ」
秋は思わず笑い声を出している自分に驚き、慌てて手で口を覆った。
「なるほど、僕の婚約者様は頭が切れるってわけか・・・」
そう言うと、秋はソファを立ち上がり、体勢を立て直すと、春子の頭をなでた。
「安心してくれていいよ、君に無理強いをしようとは思ってないから」
そう言うと、秋は春子に背を向け、戸口の方へと向かった 。そのまま出て行くのかと思ったが、秋は、ドアの手前で振り返ると、ソファでうずくまる春子にもう一度向き直った
「まぁ、今、春子に気持ちがないのは残念だけど、僕としては、君が18歳になるまでに、惚れていただけるように努力しますよ」
最高の笑顔を演出しながら、秋はまっすぐに春子を見つめる。冷たい笑顔。意味なく並べられた言葉。ただ、自然に呼び捨てにされていることは、特にイヤではなかった。
「秋行さん」
ふと声のする方に秋が振り返る。春子は秋の後ろに歩み寄る人影を見つける。
「千津姫さん、どうも、ご足労様です」
秋は軽くそうお辞儀をしながら、千津姫さんなる扉の向こうの人物へと挨拶をした。しかし、そう言い終わらないうちに、千津姫は秋を押しのけるように、体を乗り出し、春子の部屋を覗き込んだ。春子は思わずソファから立ち上がった。
「本当に・・・、わざわざ、呼びつけるなんて・・・ずいぶんいいご身分ね。」
千津姫は、腰まで伸びたウェーブかかった髪を左手で救い上げると、シックなスーツの装いを見せつけるかのように一瞬ポーズを決める。そして、そのまま春子の部屋へ、ヅカヅカと入り込んだ。年は三十後半といった感じだったが、体の線が強調されるスーツを見事に着こなしていた。膝丈のスカートのはずなのに、そこから伸びた足が異様に色っぽい。身長があることも手伝ってか、何か圧倒されるような感じがした。
千津姫はそのまま春子へと迫って来た。そんな千津姫に合わせて、春子は、思わず、足を二歩三歩と後退させていた。
「ふ〜ん、この子が例の子ね。」
品定めの視線は特に珍しいことではない。千津姫は春子に容赦なく全身スキャンをかけていく。特に、初対面という状況下では知らぬ間にやってしまうものだ。春子は一応礼儀だろうと思い、直立し、頭を下げた。
「あのっ、私・・・」
「自己紹介なんかいいわ。こっちは嫌でも、あなたの事を知らさせているんですから」
春子の頭も上がらないうちに千津姫は春子の言葉を遮って、そのまま背を向けると、戸口へと戻っていこうとしていた。
「まったく・・・、お父様が何をお考えになっているのかしら・・・。そもそも、私はあなたが久我の人間だなんて認めていませんからね!!勇人はおとなしくしているようだけど、あの子だって、あなたを認めているわけじゃないのよ」
微かにだが、秋も春子同様に一歩引き下がったようだった。千津姫に威圧感があるというわけではないが、どうもこのおばさんは、やたらと他人のパーソナルスペースに踏み込むことが好きらしかった。
「ええ、重々、存じております」
どう好意的に解釈しても、彼女は嫌みを言っているようだった。それに対し、秋は冷静で優しい笑顔を作り上げている。しかし、春子はやっぱりその目の中に優しさの欠片がまったく込められていないことに気づいてしまう。
「もちろん、この子のこともね!」
千津姫は後方の春子を思い切り指差すと、後ろを振り向くこともなく、さらに秋にまくしたてた。
「ったく、女子高生を囲って、婚約者だなんて、お父様もお兄様たちもどうかしてるわ。あなたもこんな子供を婚約者として承諾するなんて、とんだ恥さらしね。こんなことに同意するこの子の親も親、常識がないにもほどがあるんじゃないかしら・・・」
嫌みがたっぷり混ざっているにもかかわらず、いちいち、その通りだと春子は思わず納得し、無意識に相槌を打ちながら、この千津姫さんと呼ばれるおばさんの後ろ姿を眺めた。
顔を上げると、その向こうにいる秋と目が合った。
春子は秋の冷たい目線を目撃するのが嫌で、思わず視線を落とした。
「千津姫さん・・・」
秋は、そんな春子を気にかけたのか、千津姫の言葉を牽制しようとしたようだった。
「あの・・・、おばさん」
しかし、春子は、逆に秋の言葉を遮った。
「はぁん!?」
おばさんと呼ばれたのが気に食わなかったのか、千津姫は春子を睨みつけた。
「えっと・・・、お姉さん・・・?」
彼女の表情に変化はないものの、正解はこっちかと春子は確信した。この年の女性は年齢に関してずいぶん繊細のようだ。
「あの、ちょっと良いですか」
「・・・なっ、なによ・・・」
千津姫は、少し動揺しているようだった。
とりあえず伝えなければいけない・・・と春子は思っていた。春子は言葉を選ぼうとしたが、どうにもどうするのがベストなのか思いつかず、とりあえず千津姫に近づくことにした。今度は千津姫が少し後ずさった。しかし、春子は手を口に添えて小声で話しかけた。
「できれば・・・、耳をかしてもらいたいんですが・・・」
「なっ、冗談じゃないわ。あなたとお友達ごっこをするつもりはないわ。言いたい事があるならはっきり言いなさい。」
春子の発言に、千津姫は明らかな動揺を見せた。ヅカヅカと人のパーソナルスペースに踏み込む割に、この提案は気に障ったようだった。
「でも・・・あのぉ・・・」
「ったく、はっきりしない子ね。こんな子とあなたを婚約させて、なんになるのかしら、理解に苦しむわ。私、忙しいのよ。失礼するわ。」
そう言い放つと、春子の部屋を出て、廊下を立ち去ろうとした。
だったら、始めから、来なきゃ良いのに、何がしたかったんだろう・・・、春子はそう思いつつ、自分も廊下に顔を出すと、千津姫の後ろ姿を見つめた。
廊下には、同じく千津姫の後ろ姿を興味なさそうに眺める秋がいた。秋は、春子の視線に気づいたのか、目線を合わすと、なんだろうねぇとあきれたような笑顔を作った。春子も笑顔を返す。
だが、千津姫が廊下の角にさしかかったときに、ふと、先ほど言わんとした事を思い出した。
「おばさ〜ん!」
千津姫は足を止めると、すごい勢いで振り返り、再び春子を睨みつけた。
「開いてますよ〜」
「まぁ、なんてはしたないのかしら、大声で・・・」
自分が同じぐらいの大声で話している事に、なんで気づかないんだろうかと思いつつ、春子は千津姫の不必要な侮辱コメントを無視した。
「だから、ファ・ス・ナー! 開いてますよぉ〜」
千津姫はまるで、コメディーのワンシーンのごとく、ガクッと体勢を崩し、手前の柱にもたれかかった。視線を落とさず、両手で自分の腰回りを手探りし、ファスナーの位置を確かめる。右手がその穴を確認すると同時に、千津姫は赤面した様子だった。しかし、それが恥ずかしさからなのか、怒りからなのかは定かではない。千津姫は春子にもう一度睨みを利かすと、早足で廊下に乱暴な音だけを残して消えていった。
秋は春子の横で一生懸命笑い声を我慢していた。
「秋さん、あのおばさん・・・、おもしろいですね・・・どなたですか?」
秋の表情からは冷たさが消えていた。それに、春子は少しホッとしていた。暖かいまなざしとそして優しい微笑み。
「はは、まいったなぁ・・・。彼女は、三ノ輪千津姫さん、この家の長女。週末は君を迎えるために、一応集まれる親族が来るから、いらっしゃったんだろうけど。まぁ、旦那の朝広さんが、久我グループの幹部だから、特別な集まりがなくても、彼女はよくこの家にいらっしゃるんだよ」
「秋さんの・・・お義姉さんですか?」
「いや、伯父さんとオヤジの妹、僕にとっては叔母だね・・・」
春子にも日本に伯母がいるが、自分の伯母から得られる伯母の像とはまるで違っていた。そもそも、初対面の人に、あんな無愛想な態度を取る人など今まで会った事がない。
「ああ・・・」
「ん?」
「・・・いえ、その、勇人さんっていうのは?」
「・・・雅孝叔父さんの息子で、僕の従兄弟・・・今は家を出てるから、この家には寄り付かないけど・・・。週末にはいらっしゃるよ」
秋は春子から視線をずらすと、ふと何かを考えているようだったが、改めて続けた。
「君は勘がいいみたいだから、先に言っておくけど、この家には、千津姫さんみたいな人が・・・いてね。でも、あの態度は、君を気に入らないってわけじゃなくて・・・」
「秋さんが気に入らないんですね・・・遺産ですか?」
秋は一瞬止まって春子を見つめた。秋が見つめる春子への視線は、何かを見定めようとしているようで、また、不必要に春子の目の奥まで見通そうとしているかのようだった。そして、秋の目線は再び冷たく凍り付く。
春子は、思わず自分が考えなしに、無神経なことを言ってしまったことを自覚した。『勘が良いのはかまわないけど、言葉にする時は気をつけろ』、そう母親に何度嗜められたことか。肝心なときにそんな教訓は生かされないものだ。
「ご、ごめんなさい、私、あの・・・そんなつもりじゃなくて
「いや、話が早くて助かるよ。」
秋はごく普通の笑顔を春子に向けた。冷たい冷たい笑顔。視線も合わせているようで、その瞳に春子の姿は映らない。
「君が何をどのくらい知ってるかしらないけど
「秋さん!!」
春子は、秋の慎重な口ぶりをわざと遮った。
「私、二日前だって言いましたよね、この・・・話、されたの。秋さんについても、このお家のことも、何もしりません・・・」
秋はそれでも、春子の言葉の裏を探るように、春子を見つめた。春子はそんな秋の視線を無視することにした。
「ただ、状況からわかちゃっただけです・・・」
秋の目に光はない。
「そう、でもね、その辺は、家庭の事情ってやつだから・・・。嫁いでもらうには、少々居心地が悪いかもしれないけど、君に余計な火の粉が飛ぶような事はないようにするつもりだし・・・。だから、詮索はなしで、頼むよ」
発せられる言葉はあくまで冷静に美しく、しかし着実に透明な壁を構築していく。当然と言えば当然の言い分だった。闇雲に詮索するべきことではないし、格別に詮索したくなるような興味のそそられることでもない。しかし、こんなあからさまな状況を見せつけられて、気づかない人の方が不思議だとも春子は思った。こんな大きなお屋敷に養子に来て、遺産争いがない方がむしろ不思議だ。それだけに、春子は無償に秋の不自然な子供を諭すような語調にイラッとした。
「秋さん・・・、私が無神経なのは謝ります。でも、私、詮索するほど、あなたに興味ないです!」
春子はそう秋に冷たく返事をした。
「そういうことにしておこうか・・・」
秋は春子と目を合わせる事なくドアを閉め、春子を部屋に残した。