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Revelation  作者: ニツカ
11/12

11.香りの行方

 午前2時。

 東京の一角にそびえ立つ高層ビル。

 真夜中の東京は眠らない。

 人々は激しく行き交い、街にはありとあらゆる音が当たり前に混在している。

 それはある種の秩序を生み出しているかのようだった。


 その中をけたたましいサイレンが容赦なく突き抜ける。


 眠ることを忘れた大都会。


 東京はこの日もいつもと変わらぬ騒音を楽しげに、そして、誇らしげに奏でていた。


 エレベーターを降りた秋の前には永遠に続くかのような廊下が広がる。

 味気も飾りっけもない廊下だ。

 午前2時。

 (うし)三つ時とはよく言ったもので、あるはずのない影に思わず躊躇(ちゅうちょ)する。

 そして、廊下に鳴り響く自らの足音は何かしら不穏な雰囲気作りに積極的に貢献しているようだった。

 漆黒の闇に包まれたはずの廊下は外界のネオンを反射して、仄暗い灯火(ともしび)をまとっていた。

 しばらく歩くと、秋は自分の前に奥深くから放たれる(あかり)を見つけた。


 再び大きくけたたましいサイレンが遠くで(うめ)き声をあげる。


 秋はその(あかり)を目指して、淡々と足を進めた。


 (あかり)の光源にはドアがあった。

 ドアは至ってシンプルで、なんの装飾も彩りもない。

 近づくにつてれ、その向こうからは(あかり)だけでなく、ボソボソという人の話し声も()れはじめていた。

 ドアには、これまた味気のない文字で『捜査一課』と行儀よく書かれてある。

 秋がためらいがちにドアを開けようとした瞬間、それは思い切り内側より押し開けられた。

 「おうっ」

 秋の存在を認識すると、疲れ切った顔が驚きに満ちた表情を見せた。

 よく知った顔だ。

 「よぉ・・・」

 それは改めて、秋に声をかける。

 室川(むろかわ)正樹(まさき)だった。

 「秋・・・、ずいぶん遅かったな。」

 室川はどことなく安心して、秋の存在を再度認識すると、静かにつぶやいた。

 「ひどい顔だな、少しは寝ろよ。」

 物言わぬ秋の肩に軽く手をかけながら、室川はそう言った。

 むしろ自分の方が疲れ切った表情をしているということは、認識していないようだった。

 そのまま室川はドアと秋の隙間をすり抜ける。

 「ああ・・・お互いに・・・なぁ」

 秋はそういうと目の前に迫ってきたドアを食い止め、そのまま闇に溶けていく室川を見送った。


 「・・・久我(くが)か・・・」

 部屋の奥深くから、気の滅入るような鬱蒼(うっそう)とした低い声が聞こえてくる。

 声の方向に視界を向けると、そこには大きな閑散とした空間が広がっていた。

 一面に貼られたガラス戸には街の光が場をわきまえず煌々と反射する。

 本来ならば飾り気のないシンプルな空間はど派手な色に染まりきっていた。

 ここ6階の現在地からは、東京の摩天楼が見事に見渡すことができた。

 東京の中でも一際(ひときわ)美しい場所の一つなのではないだろうか。

 (した)からの(きら)びやかな()が、(そら)の暗がりに溶け込み、美しく、そして優美な融合を果たしている。

 「滝本(たきもと)さん、遅くなりました。」

 そう言うと、秋は一呼吸おいて入室した。

 部屋の一番奥に置かれたソファには、滝本と呼ばれた男が大岩のように座り込んでいた。

 「病院か・・・」

 しかし、その滝本が自分を見ている素振りはなかった。

 秋は返答をするより先に、できるだけ静かに滝本の方に向かって足を進めた。

 「ええ、一応。現場を見ておきたかったので。」

 ソファまで到達するには、ところせましと並べられた数々の机を(くぐ)り抜けなければいけない。数多(あまた)ある机は、これまた簡素なもので、ビジネスオフィスにあるべき必要最低限のものですら置かれていない様子だった。

 電話・ペン・数枚の紙・数枚の写真・・・

 どれだけ簡素なオフィスなのだろうか。

 椅子も雑然と配置されており、どの椅子がどの机に属するのか、はっきり決まっているわけでもないようだった。

 秋は慣れた様子でこれら全ての障害物をすり抜けていった。


 真夜中、時計はすでに3時に向かって、着実にその秒針を刻んでいく。


 こんな時間だというのに、このオフィスでは多くの人が通常業務を遂行している様子だった。俗にいうブラック企業だとでもいうのだろうか。


 静かに佇む男は、滝本(たきもと)浩三(こうぞう)。初老を迎えた老人らしく前髪はほぼ白髪だ。しかし、頭にはまだ見事な髪のボリュームを残していた。今年60歳になるが、武道で鍛え上げられた体はまだまだ衰えを知らず、シャツの上からでもその(ガタイ)の良さが垣間見える。滝本は油断のない眼光を無駄に光らせていた。

 滝本は、秋の存在を無視したまま、(せわ)しなく書類に次々と目を通す。滝本の腰掛けるソファーの前には少し大きめのコーヒーテーブルが置かれていた。そこには、これまた、雑然と、そして、ところせましと、書類の(たぐい)が散乱していた。

 「で、・・・お前は、今回のこと、どう思う。」

 滝本は手元の資料を机に置くと、別の資料を後ろに立っている女性から手渡され、再びそのまま文字の羅列(られつ)を目で追った。

 「解析の結果を見ないことには・・・まだなんとも」

 秋もまた自分を無視する滝本を気に掛けることなく、話を淡々と進めた。

 「ふん・・・。が、・・・否定はできんか」

 「残念ですが・・・」

 「根拠は?」

 滝本は難しい顔をしたままゆっくりと顔を上げると、顎で秋に着座を求めた。

 秋は周辺にいる難しい顔をした黒服の4人の男女に頭を軽く下げると、滝本の横にあるソファーに浅く腰を掛けた。

 「痕跡がありません。現場は綺麗なものでした。

 彼女が自ら出ていったと考えて間違えないでしょう。

 解析の結果によりますが、手掛かりになるような痕跡を見つけ出すのは難しいかと・・・。

 あの状態の人間を誰に気づかれることもなく誘い出すということになると、素人の仕事ではありません。」

 「ふん、素人ではないのは明らか・・・か・・・。じゃあ、何者がっていう話になるわけだな。」

 軽く鼻で笑うのはどうも滝本のくせのようだった。

 「ええ。防犯カメラの解析待ちですが・・・。」

 

 緊張が取り囲む。

 静かな夜により一層の静寂をもたらす。


 「鬼が出るか、(じゃ)が出るか・・・。

 三年前の城泉(じょうせん)での事故については・・・新たに何かわかったのか?」

 そう言うと、滝本は後ろの女性に顔を向けた。

 「いいえ。そちらもただいま解析待ちです。

 ですが、本部長、今更、どうしてあの事件を?」

 腰まで伸びた髪をしっかりと一つに結んだ女性が返答した。随分若く見えるこの女性は黒のスーツにスニーカーとシンプルな装いだった。綺麗なネイルにきっちりとされたメイク。なんともアンバランスな印象が拭えない。

 「林田(はやしだ)、お前・・・寝ぼけてる場合か。

 こんな奇妙なことが、同じ場所で立て続けに起こってるんだぞ。

 これが偶然で終わらせるつもりか?

 無駄に年重ねてるんじゃねーぞ」

 林田と呼ばれた女性は滝本の失礼なコメントを無視すると改めて捜査資料に目を通した。

 「あの事故、担当は・・・林田、お前、と杉さんだったな。」

 目の前にある捜査資料は紛れもなく自分の書いた報告書を含んでいた。

 「はい。」

 滝本はテーブルを挟んで反対側で座り込んでいる背の低い中肉中背の男にも、視線を送った。

 「・・・」

 『杉さん』と呼ばれた男がこれに反応する気配はない。

 「それから、昨年の12月、新宿界隈で薬の売り買いをしてホテル密室殺人事件で被疑者となった大学生・・・釈放が異常に早かったよな・・・。

 で、三島(みしま)、何が出た?」

 滝本の視線に促されて、『杉さん』の隣で姿勢よく立っていた『三島』という女性は手元の書類の情報を追った。三島はショートボブのまだまだ大学生と言われても仕方のないような可憐な出立(いでたち)の女性だ。

 「はい。所属大学が所属大学でしたので、どことも取り上げておりませんでしたが・・・

 確かに、3名とも幼稚舎から退学になる高校2年生まで城泉です。高2の時に退学となってます。退学後、それぞれ別の高校へと編入しています。

 ・・・現在、大学1年生ですから、高校2年ということになると、三年前・・・と言うことに・・・」

 三島は顔を上げると、繁々と滝本を見つめた。

 「・・・」

 「・・・重なりますね。」

 林田はボソリと呟いた。

 滝本は林田と三島を交互に見つめると、改めてゆっくりと(うなづ)いた。

 「ああ、何かあるとみて、間違い無いだろうなぁ・・・」

 「引き続き、私と杉村(すぎむら)さんでマークしていきます。」

 滝本は目線を『杉さん』の方にも送った。

 『杉さん』はやはり動じる様子もなく、ソファーの背もたれに腰掛けたままだった。

 「そして、こいつら3名が捕まって一週間後、城泉の近くで誘拐未遂が起こっている。」

 「はい、その件に関しましては、林田さんと私が追っていたものです。」

 林田の裏手に立っていた高身長の男性は、手元の資料から少し目を離すと、滝本に報告した。

 高身長の男は頭の髪が薄くなってきている感があるものの、それも、彼の年齢に味わいを加えており、なんとも渋いおじさんが出来上がっていた。

 「あの事件は意外と単純だったはずなんですが・・・。

 被害者・城泉学園高等部2年・原井川(はらいかわ)美代莉(みより)が発見された時に、容疑者は現行犯逮捕。白昼堂々と行われた犯行でしたし、証拠も十分で・・・。

 それなのに・・・被害者の親が起訴を取り下げたために、犯人は不起訴、捜査は打ち切られました。」

 「・・・ええ、後味の悪い事件でしたので、よく覚えています。山﨑(やまさき)くんも珍しく憤慨してたよね・・・」

 林田は資料を男性から受け取ると、滝本に提示した。

 「そりゃそうですよ。被害者には明らかに暴行された痕跡もありましたから・・・」

 山﨑は悔しさを絞り出すように吐き捨てた。

 「ふんっ、そう、起訴の取り下げ・・・表向きはそうだったなぁ。」

 滝本は(いか)つい顔をさらに(いぶか)しげにして、資料の起訴経緯部分を見つめた。

 「表向き?とおっしゃいますと?」

 山﨑は同じ起訴経緯を覗き込むと自分の書いた報告書を心配そうに見つめた。

 「あぁ・・・、お前さんたちも知っての通り・・・」

 今まで静かに座っていた『杉さん』がゆっくりと話をし始めた

 「城泉はいい意味でも悪い意味でも学園自体が自治区です。

 お偉方のご子息・息女を守るためという名目で、警察の介入がほぼできないことは周知の事実ですしね。

 おそらく、原井川(はらいかわ)議員の痛い腹を探られたくなかったんでしょうなぁ。後の聞き取りで、例の3人と随分つるんでいたことがわかっているだよ・・・この美代莉(みより)お嬢さんは・・・な。」

 「・・・!?」

 林田、三島、山﨑の3名は、そろって『杉さん』に驚きの表情を見せた。

 「ああ、俺に報告が上がった時には、既に、起訴が取り下げられていた。」

 滝本が『杉さん』の説明に付け加えた。

 「おそらく美代莉(みより)も黒だ。ただの被害者じゃない・・・ですな。」

 そういい終わると『杉さん』は少し視線を落とし、また傍観を決め込んでいるようだった。

 「事件はそう単純じゃないということだ。

 人一人巻き込まれて死んでんいるのに・・・

 打ち切りになるくらいだからなぁ・・・。

 だから、あえて、怪しさ全開の城泉に、4月からお前も潜り込ませた・・・

 だったよな?」

 滝本が秋を睨みつけた。

 「・・・。」

 「城泉の理事会も卒業生のお前と室川には、真っ向拒否はできないと踏んだわけだ。

 そして、潜入に至ったわけだ、なぁ、久我(くが)・・・」

 「・・・」

 「お前ら、すでにホシを監視中じゃなかったのか?」

 「・・・」

 「お前ら二人がそろいもそろって、居眠りでもしてたのかぁ?

 あぁ?」

 滝本の怒りのような焦りが湧き起こるのを秋は感じていた。

 「・・・申し訳ありません。」

 秋は心無い謝罪の言葉を口にした。

 それを聞き終わるのを待たず、滝本は目をカッと見開くと、全員に向かって唾を飛ばした。

 「・・・洗い直せ!三年前の事件(やつ)も含めて、12月の事件も、城泉関連の事件は全て、徹底的にだ!!!!」

 「はい!」

 「・・・滝本さん

 「なんだ!?」

 「もう一つ、これも解析に回してください。」

 秋は、滝本に2つのビニール袋を手渡した。

 小瓶と白いハンカチがそれぞれその小さい袋に詰められていた。

 睨みつけるように秋を眺める滝本だったが、少しいたずらっ子のような含み笑いを向けると、いくつかの机を隔てたところで、ぼさっと頬杖をついていた青年を呼びつけた。

 「土田(つちだ)!」

 「・・・」

 「つち・・・(あらた)ぁ!」

 明らかに居眠りをこいていたのか、滝本の怒涛がこだました。

 「・・・ああああ、はぁ、はい。」

 滝本に怒鳴りつけられても、そこまでドギマギすることもなく、眠い瞼を擦りながらに土田(つちだ)(あらた)と呼ばれた青年は滝本の方向に近づいてきた。

 「どうしたんですか?伯父さん」

 「本部長だ・・・」

 「ああ、そっか、滝本本部長、何でしょうか。」

 「解析に回してこい。」

 「ん?びん?・・・とハンカチ?・・・。

 へ〜、これ、フルール・ド・テ・ローズ・ブルガリじゃないですか・・・。

 あ、でも、これは伯母さんの好みじゃないですよぉ・・・

 浮気っすか?」

 「バカなこと言ってないで、早く行け!」

 「ジョークっすよぁ。はいはい。」

 土田は眠そうに白い手袋をつけると、ビニール袋に入れられた小瓶とハンカチを秋から受け取った。そして、抱え込むと、広いオフィスを縫うように歩いて出て行った。

 秋は滝本、林田、山﨑、三島、そして杉さんに丁寧な一礼をすると、自分もゆっくりとソファを後にした。

 


 このオフィスは(せわ)しなくバタバタと人が入れ替わる。ようやく、ある種の落ち着きを取り戻したのは、すでに東の空がうっすらと光に満ち始めていた頃だった。

 秋はそのままオフィス正面に位置する仮眠室で仮眠をとることにした。

 解析の結果はすぐに出ない。

 

 早くても昼ごろだろうな・・・


 そんなことを考えながら、自分のロッカーに貴重品を入れ、鍵をかけた。


 「あき?」

 おもむろに春子の声が聞こえたような気がした。


 もちろん、彼女がこんな所にいるわけがない。

 彼女は自分がここに勤めていることすら知らないのだ。


 秋はもう一度、誰もいない仮眠室を見渡した。


 そして、思い起こされる春子の嬉しそうな笑顔と大粒の涙。

 

 ・・・クッソっ。


 秋はあからさまにイライラした。

 

 ソファーに横たわるが、気づけば思い起こされる。

 春子の恍惚に満ちた火照りと悲しげな涙。


 『秋さん・・・、今まで先生と一緒にいたの?』

 『なんで・・・?私には不貞(ふてい)行為(こうい)はするなって、言ったくせに・・・、自分はするの?』


 自分を責める春子の涙の原因に気づいたのは、久我の(うち)を出てしばらくしてからだった。

 病院に着いた時に同期の警官に指摘されるまで、自分では気づくことができなかったのだ。自分から女性物のキッツイ香水の香りが立ち込めていることに。

 春子は自分と金原(かなはら)『先生』の関係を疑った。

 

 にしても・・・不貞(ふてい)行為(こうい)って・・・

 相変わらず言葉のチョイスがなぁ

 あいつに日本語教えたやつ、誰だよ・・・

 

 秋は、春子を傷つけた感は否めなかったが、心に湧き起こる何かしら温かいものを無視することもできなかった。

 


 いつの間に眠りに落ちたのかはわからないが、次に目が覚めた時、日は東の空に高く昇り、自分の目覚めを(うなが)した。

 秋は眠気の取れない体をゆっくりと起こす。

 そのまま、起き上がって、自分のロッカーを開ける。

 そして、タオルを取り出し、軽く洗面台で顔を洗った。

 身支度をして仮眠室から出ると、廊下には数人がたむろしていた。

 夜よりもむしろ静かなものだった。

 そして、秋は向かいの『捜査一課』と書かれた扉を再び開けた。

 そのオフィスにはやはりまばらに人がいた。そこに夜中の忙しさはやはりなかった。

 入ってすぐ左手にはパーテーションを挟んで、簡単なソファーとコーヒーテーブルが並べられており、休憩室となっている。

 そこにいた土田(つちだ)は秋に気づくと、作ったばかりのコーヒーを片手にいそいそと持ってきた。 

 「おはようございます、秋さん。

 そろそろかと思ってました。」

 「(あらた)、お前、まだいたのか・・・

 今日は早番じゃなかったのか?」

 「いえ、僕はどっちかというと・・・一昨日、サボってコンサート行ったのが伯父さんにバレまして・・・ハハっ」

 土田(つちだ)は屈託のない笑みを浮かべる。悪気は微塵もない。春子と同い年だと言われても、納得してしまいそうになるくらい、若い。まだまだ学生気分が抜けきらないだけなのだろう。

 「悪いな。」

 秋はありがたくコーヒーを受け取ると、お礼を言った。

 「いえいえ。

 ・・・あ、そういえば、10時から、らしいっすよ、会議。」

 目の前の時計の針は9時55分を指そうとしているところだった。

 「知ってんなら、起こせよ。」

 飲もうとしたコーヒーをやめると、5分後に迫った会議に出るため昨日集まったソファーのさらに奥にある本部長室、さらに隣の小さな小会議室を目指した。


 ここは警視庁刑事部捜査第一課。


 都心部の高層ビルの6階にオフィスを構え、主に殺人、強盗、性犯罪、障害、放火といった「強行犯捜査」のほか、誘拐、ハイジャック、爆破事件などの「特殊犯捜査」も取り扱う。

 秋は24歳の時から、ここに勤めている。


 「えーー、高柳(たかやなぎ)財閥の養女・高柳(たかやなぎ)愛佳(あいか)、当時18歳、高校3年生。今回の苑池(そのいけ)同様、目立つような生徒ではありませんでした。学業・人物ともに可もなく不可もなく、ただ、周りからは随分慕われていました・・・。聴き取りにおいて、彼女を悪くいう生徒はいませんでしたから。

 奇妙なぐらいに・・・。」

 本部長室横の小会議室には、昨晩集まっていた面々が席に座っていた。

 正面に本部長の滝本。

 その右横に、三年前の高柳事件の時の捜査チームのチーフを務めていた林田(はやしだ)舞香(まいか)、そして、その後輩捜査官の山﨑(やまざき)拓也(たくや)

 さらに左横にベテラン捜査官、同じく三年前の事件の時に林田とチームを組んでいた『杉さん』こと杉村(すぎむら)彰二(しょうじ)とその後輩、着任一年目を終えたばかりの新米警官、三島(みしま)歌織(かおり)だ。

 そして、滝本の正面には秋が着座している。 

 秋の右手にはもう一つ椅子が用意されていたが、現時点では空席となっていた。

 「三年前の事件が起きたのが、10月24日、午前10時58分。

 3時間目が始まった直後のことですので、今回とほぼ同時刻ですね・・・。

 突然、高柳(たかやなぎ)がクラスで感情のコントロールを無くし、周りの生徒を持っていたカッターナイフで負傷、彼女自身は意識混濁の上、病院に運ばれました。

 そして、次の日には、病院を抜け出し、学校の屋上から飛び降りたところを発見されています。

 第一発見者は当時の養護教員ですが、すでに退任しています・・・。

 高柳(たかやなぎ)のその日前後の足取りなんですが・・・ほぼ掴めていません。病院・学園内に設置された防犯カメラにはどれも映っておらず、そして飛び降りる瞬間まで目撃者もいませんでした。

 病院から学園までの道のりも不明。

 その養護教諭が保健室から女生徒の姿を捉えたような気がしたため、気になって追いかけたと証言しています。それによると、運動場の右から、一番左の1年生の校舎に入ったと言う事だったのですが、防犯カメラにはその様子はありませんでした。」

 林田(はやしだ)は捜査資料を改めて読み上げた。

 「あと、女生徒の薬物使用が疑われたんですが、女生徒の奇行との因果関係の特定には至らず・・・、詳細の検査にも、遺体の解剖にも回されていません。

 そのまま受験勉強からのストレスのための自殺と断定されています。

 ああ、表向きは事故で処理されていますね。」

 隣に座っていた山﨑(やまさき)が別の資料を引用した。

 「・・・ここでいきなり捜査が切られていますね・・・」

 山﨑は怪訝そうに会議室に着座した面々を見た。

 「薬物の疑いがあったのに・・・検査なし、解剖なし・・・。」

 三島がポツリとぼやく。

 「この打ち切りって、自殺である以上、一課の事件(やま)じゃないからです・・・か?」

 三島は素朴な疑問をつぶやいた。

 「・・・いや、明らかな介入があった・・・と聞いている。」

 滝本がイラついた表情でぼやいた。

 「城泉ならでは・・・ですなぁ・・・」

 杉村は眉間の皺をかき集めると、険しい顔を一層険しくして、コメントを漏らした。

 「介入・・・?」

 山﨑は先輩二人を交互に見据ると、回答を滝本に求めた。

 「ああ。ふざけた話だったよ・・・

 俺は、直接捜査班には加わっていたなかったが、当時、倉田がそうぼやいてたのを覚えている・・・」

 「あの当時の倉田さんっていったら、バリバリの警視正じゃないですか・・・」

 杉村にとっては知った事実だったのだろう、彼は特に驚く様子もなく遠くを眺めているようだった。しかし、ベテランの林田・山﨑にとってもスキャンダルな事実であり、三島は複雑な表情を浮かべていた。

 「そうだ・・・。

 だから、上の上からの介入があったってこったろうな。

 それが城泉学園だ。」

 すぐにでもマスコミやネットで袋叩きに合いそうな内容であるが、そんな情報はどこにも流れていない城泉学園という組織が一体どれだけの力を持っているというのだろうか、そんな思考に囚われながら3人は互いを見た。

 秋は杉村に同様に無表情だった。

 それが何を意味をするのか、滝本も含み同席する面々が想像できるものではなかった。

 滝本は林田から受け取った書類を秋に投げた。

 「・・・」

 滝本はその資料に付随していた気品溢れる清楚なたたずまいの少女の写真だけを、三島に手渡すと、奥にあるホワイトボードへ貼りつけさせた。

 「で、今回の状況は?」

 三島が張り終わるのを確認すると、滝本は山﨑に今回の事件の詳細を求めた。

 山﨑は自分でまとめていた資料を手元で整理すると、滝本に差し出した。

 「今回の失踪事件ですが、失踪したのは苑池(そのいけ)静子(しずこ)・・・元華族、苑池(そのいけ)グループの会長の孫娘、前取締役の一人娘です。

 昨日、苑池(そのいけ)は午前11時54分に時藤(ときとう)総合病院の心療内科に搬入され、薬物中毒の意識混濁が認められたため緊急入院となっています。

 彼女が失踪したと思われる時刻なんですが、22時の巡回の時の看護師は彼女がベッドで寝ているのを確認しており、次の23時30分に巡回に来た看護師が苑池(そのいけ)が病室にいないことを発見した・・・と言うことですので、犯行時刻はその間だったと考えられます。

 まだ意識が戻っていなかったために、看護師・医師・職員たちともにたいして警戒することはなかったようです。完全看護のため、付き添いもいませんでいた。ただ、時藤(ときとう)総合病院の心療内科といえば、日本では心療内科の権威と言っても過言ではありません。もちろん病室に施錠がしてありましたし、防犯カメラでのモニタリングもしていたようです。それにも関わらず、忽然と姿を消した・・・。モニタリングの任付いていたスタッフは彼女が病室の出入りをしている様子を確認していません。

 また、正門・裏門にいた警備員からの目撃証言もありません。」

 滝本は受け取った捜査資料の中から、苑池(そのいけ)静子(しずこ)の写真を取り出すと、三島(みしま)に手渡した。

 ホワイトボードの高柳(たかやなぎ)の隣に、ユニフォーム姿の苑池(そのいけ)が張り出された。

 苑池(そのいけ)は肩まで伸びた髪をきっちりと結び、スラリとした手足をみせ、ユニフォームに身を包み、手元にはテニスラケットが握られている。自信に満ちた表情を作る。

 気品溢れる清楚なたたずまいの高柳(たかやなぎ)とは全く系統の違う少女だ。

 「で?」

 滝本は秋の方に振り返る。

 「苑池(そのいけ)の搬入に至った事故(けいい)は?」

 「こちらは学園の判断で警察への通報はありません・・・」

 「・・・だろうな・・・」 

 滝本は秋を睨みつけた。

 「ですが、室川(むろかわ)と私が立ち会っています。」

 秋は少し喉が渇く思いがした。滝本の眼光は居心地のいいものではない。

 「それで?」

 「報告に入れていたように、事件発生時刻は午前10時45分前後、3時間目が始まった頃です。

 第一発見者は金原(かなはら)志保梨(しほり)、英語教諭です。

 金原(かなはら)の悲鳴を聞きつけて、室川が現場に到着したのが10時48分。

 その後、私が現場に到着したのは10時52分です。

 室川は3階の職員室から悲鳴を聞いており、私は職員室からオフィスへの移動中、3年校舎側の3階にある渡り廊下に差し掛かったところでした。

 苑池(そのいけ)が発見された現場なんですが、2年生校舎の3階半にある踊り場で、事故発生現場はおそらく四階の階段の1、2段目だと思われます。現場に一人男子学生が居合わせています。」

 秋は学園の大まかな見取り図を滝本に渡した。

 滝本はそれを机の上に広げると、他の面々に位置を確認させた。

 「男子生徒・・・?」

 滝本は秋の顔を覗き込んだ。

 「ええ・・・」


 ガチャリッ


 「目撃情報は色々出ていますが、状況証拠から見て、自分で階段を踏み外した・・・事故ですね・・・。

 自殺の可能性は(ぬぐ)えませんが・・・」

 秋の後ろから、到着したばかりの室川(むろかわ)が話に割って入った。

 「この事故による外傷は、おでこと肩の擦り傷だけです。ただ、この子の場合は明らかな薬物使用が認められていますので、救急搬送しました。」

 どこまで聞いていのか定かではなかったが、室川は全てを把握しているかのように、滝本に書類を手渡した。

 滝本は書類に素早く目を通す。

 「津田(つだ)(かなめ)・・・?事故現場に居合わせた男子生徒と言うのはこいつか・・・。」

 「ええ、津田(つだ)幸太郎(こうたろう)・現職参議院議員の息子です。」

 「はぁ・・・大物ですなぁ・・・」

 じっと話を聞いていた杉村が呟いた。

 「こいつの可能性は?」

 「浮上しましたが、可能性は低いかと・・・。」

 「4針か・・・

 片手でやるには、思い切った破れ方だなぁ・・・」

 滝本は事件当時の様子の写真を机に並べた。混乱の中、秋がシャツのボタンに仕込んでいた隠しカメラで撮っていたものだ。

 仰向けに横たわる苑池(そのいけ)。上の服は胸元の下着が見え、大きくはだけるほどに引き裂かれた痕跡があるものの、至って綺麗なものだった。

 「ええ。

 それに、4針縫ったこの傷での暴行というのは信憑性(しんびょうせい)に欠けます。私が処置を施しましたので、確かです。

 さらに、決定的なのは、本人の包帯がかなり血で(にじ)んでいたのですが、苑池の衣服・肌、どこにも津田の血痕(けっこん)は認められませんでした。」

 「じゃあ、何?・・・この津田って生徒()、女の子が落ちるのを見ていたの?」

 「本人はそう証言しています。

 苑池(そのいけ)が突然服を破り、あっという間に飛び降りたと。

 先生方がきつく詰め寄ったので、本人はそれ以降は何も話そうといませんが、当初はそう言っていました。」

 そういうと、秋は犯人だと決めつけられた状態での押し問答に冷静な眼差しで黙秘する津田の姿を思い出した。

 「運悪く巻き込まれただけ・・・だと?」

 林田(はやしだ)は呆れた顔をして室川と秋を見つめた。

 「今のところ、タイミングが悪かったとしか言いようが・・・」

 室川は躊躇しながらそう言い始めたが、そのセリフは秋に止められた。

 「まだ・・・確信はありませんが・・・」

 秋は、ゆっくりと口を開いた。

 「この津田は、()められた可能性もあるか・・・と」

 「誰に?何のために?」

 林田が身を乗り出す。

 「それは・・・まだ・・・。」

 秋は言葉を濁した。

 「・・・ですが、津田を疑わなければいない材料が揃いすぎています。

 例の大学生3人と親しかったようですし、原井川はらいかわ美代莉(みより)とも一緒にいるところが、たびたび目撃されています。」

 「何?それ・・・滝本さん・・・、12月の事件で久我を城泉(あそこ)に送り込んでたってことは知ってましたが、あの3人との関わりも気づいていらしたんですか?」

 林田が驚きを隠せないという表情を見せ、滝本に迫った。

 「・・・」

 滝本がそれに応える様子はない。

 「まぁまぁ・・・」

 杉村が林田を宥めるように声をかけた。

 秋はかまわず続けることにした。

 「・・・そのため、こっちは津田を警戒していました。そして、前日、やつは生徒会の専用校舎を訪れているところをガードの一人に目撃されています。室川の現場到着が早かったのもそのためで、津田の行動を警戒していたからです。」


 秋はガードからの報告を思い出す。春子を見つけた時、誰もいないはずの生徒会のある旧校舎では確かに津田の姿があったのだ。春子が見つめるその先に。


 「ガード?」

 「私用です。」

 「あら・・・、随分過保護ねぇ・・・」

 林田がニヤニヤしながら秋に近づいた。

 林田は秋を入職当時から、弟のように可愛がっていた。が、人間味の全くない秋。そんな秋の唯一の弱点だ。

 それを(つか)んだとあっては、揶揄(からか)わないわけにはいかない。

 林田は、秋の叔父である三ノ輪(みのわ)朝広(ともひろ)と大学時代の学友であるため、秋の内情が自ずと情報として入ってくるのだ。

 「・・・」

 秋は何事もなかったかのように林田の余計なコメントを無視した。

 明らかに私的なことのようなので、他の誰もそれ以上突っ込もうとはしなかった。 

 「で?」

 滝本は秋に話を続けるように促す。

 「津田は生徒会の踊り場まで行ったところが確認されています。その後もう一人女生徒がその場にいたようなのですが・・・」

 「女生徒?」

 室川が話を続けた。

 「はい・・・制服を身につけていたので、そう判断しましたが、人物の正確な特定には至っていません。彼女のその後の行動も確認できていません。

 その時に、実際に津田が生徒会とのコンタクトがあったかどうかも怪しいところなのですが、本人は否定しています。メールで呼び出されたとのことでしたが、呼び出しに使われたと思われるメールはすでに削除済みでした。」


 会議室はいっときの沈黙を迎える。


 「なるほど、ここまでくると奇妙ですね。」

 林田は沈黙の()きを破るかのように、ゆっくりと口を開いた。

 「奇妙ですか?」

 三島はキョトンとした顔で、林田に振り返った。

 目で少し笑うと、林田は三島の肩を叩いた。

 「奇妙でしょ。

 津田くんの証言が確かなら、()めようとした誰かの存在も念頭に置かなきゃいけない・・・

 でも、それよりも、この二人よ。」

 林田は張り出された二人の少女を指差す。

 「同じ学校、同じ学年、ほぼ同じ時刻、同じように奇行に走って、片や自殺、一方は失踪。ただ、三年の時間の開きがあるにしても、ここまで似ていると、この後、苑池(そのいけ)がどこかで自殺に走ると考える方がしっくりこない?手口が同じなら、同一犯・模倣犯の可能性も出てくるわけだし・・・」

 「ああ、城泉にいる誰か・・・もしくは城泉の関係者の誰かが糸を引いている可能性も探らなくては・・・ですなぁ。

 何も出てこないと、また自殺・事故で片付ける羽目になりかねませんで・・・」

 杉村は誰に言うでもなく、再びぼそぼそと呟いた。

 「ったく、たかがいち学校内で起きていることなのに、なんでこうも特定に時間がかかるんだ!

 あ?

 花ノ井(はなのい)と話をさせろ!!」

 滝本は怒りを露わにする。

 「はい、あの、現在、交渉中なのですが・・・」

 室川はすままなさそうに、滝本につげた。

 「昔っから・・・、あの女狐め!!!」

 滝本の言うところの『花ノ井(はなのい)』とは、城泉学園の理事長・花ノ井(はなのい)可憐(かれん)のことである。お茶目なおばさんで、年齢は60歳に近いらしかった。同年代の滝本となにかあっても特に不思議ではなかった。

 

 オフィスには再び静けさと緊張が舞い降りた。

 ただし、ここは大都会。

 そして、ここは都内でも有数のブラック職場、警視庁だ。

 どんな静寂を歓迎しようとも、その静寂は簡単に破られる。


 バタバタという騒音が廊下に響き渡る。

 聞こえ始めたかと思うと、時を待たずして、勢いよくオフィスのドアが開かれた。


 「滝本(たきもと)本部長!」

 「ああ?」

 「(にら)んだ通りです。高純度で、構造式のパターンが・・・どれとも一致しません。しかし、系統からいうとコカイン系です!かなり複雑ですよ!!!」

 「合法ドラッグか・・・」

 杉村が感慨(かんがい)深く呟く。背の低い中肉中背の体型の杉村は明らかに運動不足感が否めない。重い腰を上げると、データを持ってきた部下に近づき、結果を受け取った。

 「ほうほう、構造・系統・特性・・・、出ましたなぁ、タキさん。

 こりゃ・・・、釣島(つりしま)のものと酷似していますなぁ。」

 「釣島(つりしま)だと?!」

 滝本の表情が凍りつく。その滝本の反応に気を取られて、誰も秋を見てはいなかったが、秋も同様に表情をこわばらせていた。

 「ええ、今年、羽田の検疫で見つかった代物なんですがね・・・」

 杉村(すぎむら)は自分の手元にあった資料から、数枚抜き取ると滝本の前に並べた。

 滝本はいくつかの分子構造が並べられた資料を繁々(しげしげ)と見つめると、指で確認するようにその文字列をなぞった。そのうちの一つが丸で囲んである。その下には、さらに複雑な英語と数字が連なっていた。

  [1R-(exo,exo)] -3-(benzoyloxy)-8-methyl-8-azabicyclo[3.2.1]octane-2-carboxylic acid methyl ester

 Molecular formula: C17H21NO4

 Molecular weight: 303.4 g/mol

 「こいつは・・・厄介だなぁ・・・」

 滝本は再びこの分子構造が描かれたものを山﨑に返すと、ホワイトボードに貼るよう顎で指示をした。

 「ああ、ちなみにこれは先日渋谷付近でパクられた若いのが所持してものなんですが、羽田の検疫(けんえき)に引っ掛かってるのと一致していたので・・・すり抜けたのがいくつかあったんでしょうなぁ・・・。

 この若いのが釣島(つりしま)組の構成員だと白状したわけではありませんが、確かな情報ですわ・・・」

 滝本は意味深(いみしん)に杉村と目を合わせた。

 「貴志(きし)くん、遅効性の有無、確認、とってねぇ・・・」

 杉村はそのまま資料を持ってきた男性に指示をする。

 「はっ!!」

 貴志(きし)と呼ばれた青年は気持ちよく返答すると、そのまま部屋を出ていった。


 「と、なると・・・」

 滝本が口を開こうとしている間に、また外からけたたましい足音と共に新たに軽薄そうな感じのTシャツ短パンの男性が紙の束を持って現れた。

 「あぁ、室川(むろかわ)さん、こちらをどうぞ。」

 男性は持っている紙の束から一番上の書類を戸口に立っていた室川に手渡した。差し出された資料を室川はマジマジと眺めた。 

 「で?」

 室川はそのままホワイトボードまで足を進めた。

 「当たりですね・・・三年前の遺留品の解析です。

 構造の完全一致は・・・・みられませんが、やはり系統はコカインで間違えありません。」

 「まさか・・・遅効性か?」

 林田が、間髪を入れず聞いた。

 「ええ、残念ながら、確認されていますね。」

 室川は資料の化学構造の一部を指差した。

 「本部長、杉村さん・・・これはどういうことですか?」

 林田は滝本と杉村に向き直った。

 滝本は杉村を眺める。

 「釣島(つりしま)だな・・・」

 「ですなぁ・・・薬物に遅効性(ちこうせい)を組み込むのは奴らのお家芸みたいなもんです・・・」

 「釣島(つりしま)って・・・なんであんな小さなところが・・・?」

 黙り込んでいた山﨑が先輩たちの反応に混乱して、大きく口を開いた。それは自分が意図したものよりも大きくなっていたようだった。

 「今は・・・なぁ」

 椅子に深く座り直すと、杉村はそう答えた。

 「と、言いますと?」

 「お前さんらは知らんだろうが、22年前まで東京全域を占めていたのは、実質、釣島だったと言われるほど大きな組織だったんだよ。なぁ、タキさんよ。」

 「・・・22年前・・・」

 秋が反応した。

 すると、滝本はそれを牽制するかのように即座に秋を睨みつけた。

 「そうだ。表に出てきたことはなかったがな・・・」

 滝本は引き続き秋を凝視した。秋も滝本を見つめた。

 「かすかですが、覚えています。私は研修中だったので、直接関わることはありませんでしが・・・」

 林田は自分が着任した遠い昔を思い起こそうとしていた。

 「でも、なんで・・・そいつらが今更?しかも・・・なんでそんな大切なこと・・・」 

 林田はすでにベテランの域に着ている自分が何も知らないのかという疑問に囚われた。

 「そんなヤバい連中のことがお前らに周知でないのか・・・か?」

 杉村が林田の文章を終わらせる。

 「まだまだ、お子ちゃまだからだよ。

 明日、トノさんにでも聞いてみろ。」

 滝本はからかうように林田に返した。

 「ご隠居に?」

 「まだ息をしていれば・・・ですがな。」

 杉村もからかうように含み笑いをこめて言った。

 「トノさんって、警備室のあの外村(とのむら)さんですか?」

 三島は山﨑・林田同様に、いや、それ以上に疑問だらけで、ついていけていない様子だった。

 「トノさんは、ああ見えてベテラン、それこそ敏腕の刑事だったんだよ、十年前、ご退職されるまではな・・・」

 山﨑はかろうじて自分もかすかに知っている情報を三島に提供した。

 「中山さん、防犯カメラはどうでしたか?」

 秋は話に割って入った。

 「ああ、は、はい。そうでした。

 すみません。

 えー・・・、こちらも、データ、出てます。

 ええ・・・っと、ああ、こちらです。」

 そういうと中山と呼ばれたTシャツ短パンのチャラ男は、丁寧に自分の抱える書類の束を探ると、ピンクの付箋を見つけ、その書類を秋に手渡した。

 秋は即座に付箋付きの2、30枚の紙をパラパラとめくると、目ぼしい情報を見つけようと読みこなしていった。

 「・・・やはり苑池(そのいけ)の足取りは皆無ですね。」

 秋は滝本に根拠となるページを差し出すために、近寄ってきた。

 「ハッキングの痕跡(しょうこ)は?」

 「微妙ですが、IPアドレスが海外に飛んでいます。

 ・・・VPN・・・串を指していますね・・・まぁ、当然か・・・」

 「く、くし?」

 「プロキシサーバを介しての接続ですよ。」

 キョトンとする滝本・杉村に三島が説明を加えた。

 「ふろしき・・・」

 三島は作り笑いをすると、ご老体から視線を外す。

 「多段串ですね。まぁ、これも基本ですね。」

 「複数の公開プロキシを経由することです。平たくいうと、IDがバレないようにするためですよ。」

 ご老体が口を挟む前に、三島は解説を入れた。

 「・・・1、2、3・・・・3秒か・・・映像の遅れ。

 ほぼ一瞬で、同時にハックをかけてますね・・・マルチなやつ・・・」

 「・・・すごいですね。」

 三島は資料を眺めながら感心している秋に言った。

 秋は唇を食いしばりなが、呆れるように首を縦に振った。

 林田・山﨑を含むご老人たちは、ハテナマークに支配されているようだった。

 「まさか三年前に防犯カメラもこのせいなんですか?」

 代わりに三島が話を進めてあげることにした。

 「なのか?」

 滝本がどこか恥ずかしそうに話に入ってくる。

 「まぁ、何がしかは出るんじゃないでしょうか。当時の解析技術でめぼしいデータの痕跡がなかったことを考えると、同じ人物・組織である可能性もありますね。これだけのことやってのける(やから)がそうそういるとは考えにくい・・・、いえ、考えたくないですから。

 ・・・今さら、IPが割れる可能性は低いですが・・・」

 「あいぴい・・・」

 そう呟く滝本に三島は同情の視線を送った。


 秋が言い終わるか終わらないかで、外から新たにドタバタ音が響いてきていた。


 滝本の混乱をかき消すかのように、今度は勢いよく土田(つちだ)が入ってきた。

 そして、おもむろに秋を見つけると、息を切らしたまま、にぎりしめていた資料を手渡した。

 「秋さん、出ました!!!!」

 「・・・なんだ?」

 他の6人は秋に自らの視線をぶつける。

 「どこからかは、聞いたか?」

 秋は資料を見る前に、土田に回答を求めた。

 「あ、はい、これの中心部と・・・かすかにこっちの小瓶からも、この口に、らしいです。」

 そういうと土田は、ぴっちりとした袋に閉じ込められたハンカチの袋と小瓶の入った袋をそれぞれ見せた。

 ハンカチの中央には印が付けられていた。さらにその中心部を小さな薄紅色が彩る。

 そして、もう一つの袋には紅のベースに金の王冠のような装飾で彩られた高級感を漂わせる小瓶。その小瓶の淵にも赤いマークが付けられていた。

 「かすかですが、薬物反応です。」

 秋がハンカチと小瓶を受け取って、みんなに見せると、確信を持って口を開く。

 「久我、どういうことだ?」

 滝本はその場を立ち、身を乗り出した。

 「第一発見者、金原(かなはら)志保梨(しほり)の物です。」

 秋は隣の室川に解析資料を手渡すと、ハンカチ・小瓶を提示するために、滝本の方に向かった。

 「なんだと?」

 「ハンカチには、彼女が拭き取ったものが付着したと考えられます。それから、この小瓶は彼女のオフィスに置かれたものを拝借してきました。すすがれた後でしたが・・・。」

 秋は静かに滝本の前にハンカチと小瓶を置いた。

 「・・・構造は?」

 滝本はみんなが見つめる中少し考えると、そのまま口を開けた。

 「解析結果(それ)と一致しています。」

 渡された資料を食い入るように眺めていた室川が、顔をあげるとホワイトボードに張り出された苑池(そのいけ)から検出された薬物の解析データを指差した。

 「やりましたね、久我さん。」

 土田はまるで自分の手柄のように、秋に認証を促した。

 「さすが、久我だなぁ・・・」

 山﨑も感心したように、秋に微笑を送った。

 「いや・・・」

 「ああ、所持だけでは・・・立証はできん。」

 秋が否定する前に、滝本は土田・山﨑を見下ろしながら、冷静に(つぶや)いた。そして、続け様に秋にも視線を送った。

 「でも、伯父さん!薬物所持は立派な犯罪ですよ!?」

 土田は鼻息を荒くして、奥に立っている伯父に詰め寄った。

 「本部長と呼べと言っとるだろうが・・・」

 滝本は土田を見ようとはしなかった。

 「あのな、土田・・・」

 山﨑は救いようのない可哀想なやつを見るかのように優しく切ない顔で土田を見つめると、言葉を続けた。

 「限りなく黒のやつをそんな軽犯罪でしょっぴいて警戒されたらどうすんだよ。」

 「アホ・・・」

 間髪入れずに、三島がボソリと(ささや)く。さらに冷たく低い声で。

 「・・・くっ」

 泣きそうになる土田の肩を、秋は静かに叩くと、土田の前に一歩踏み出した。

 「滝本さん、これから室川と張り込みます。」

 室川も浅く(うなず)いた。

 「ああ。

 第一発見者・・・、基本(セオリー)だな。」

 何か考え込むかのように、滝本がつぶやいた。

 「はい。」

 「しっかし、秋・・・、確かに、金原(かなはら)を疑うには十分だとは思っていたけど、あの時点で、証拠を所持している可能性によく気づいたなあ・・・。」

 室川は自分の知らないところで動いていた秋を見ると、当然の疑問を投げかけてみた。

 「それは・・・


 秋は、化学室で春子に詰問した時のことを思い出す。


 『金原(かなはら)先生だって、実際に現場に居合わせたわけじゃありません。津田くんが苑池(そのいけ)さんを突き飛ばしたっていう物的証拠はありませんよね。まさかあんな曖昧(あいまい)な目撃情報だけで、犯行の立証なんてできない・・・ですよね?』

 『ってか、物証(ぶっしょう)という意味では、あの人の方が色々出てきそうだけどなぁ・・・手首とか・・・』


 あの時、春子は何かしらの確証を持っているようだった。


 「なんだ?はっきり言え・・・?」

 滝本も気になったのか、躊躇する秋からの返答を催促した。

 周りにいる他の人間も同様の気持だったのだろう、秋は全ての人からの視線を集めていた。

 「はい・・・

 金原(かなはら)についてですが、室川の言うとおり・・・

 もともと私を警戒するそぶりがあったので、ある程度マークしていました。

 ただ・・・あの時、彼女はまるであれが起こるのが分かっていたかのように現場に居合わせました。

 また、(のち)の聞き取りで、苑池(そのいけ)が落ちてきたであろうタイミング時に、確認できたのは苑池(そのいけ)の悲鳴ではなく、金原(かなはら)のものだったということも判明しています。

 しかし、その金原(かなはら)苑池(そのいけ)の悲鳴を聞いて駆けつけたと証言している。

 だから、引き続きマークをと、考えてはいたのですが・・・

 その・・・」

 秋ははやり躊躇した。

 「春子が、物証なら金原(かなはら)の手首にあるのではないか、と・・・」

 「春子さんが・・・?」

 「柏瀬(かしせ)さんが?」

 秋はいらないことを突っ込まれないように、驚く林田と室川を無視して話を続けることにした。

 「私も一瞬意味がわからなかったのですが、その指摘後、タイミングよく金原(かなはら)と話せる場がありまして、その時、改めて彼女の手首の袖口が異常に濡れているのに気づいたんです。

 それで、このハンカチでその濡れを拭き取り、それと同時に洗面台に無造作に置いてあった、この洗われたばかりの小瓶を押さえました。

 無造作に置かれたただの香水の瓶をそうそう怪しむやつはいませんから、あえて何も警戒していなかったと思われます。」

 「柏瀬(かしせ)さん、・・・そうか、手首って、普通、香水をつけるの場所が手首だからってことか?」

 室川は自分の手首を見つめながら、そう呟いた。

 「ああ、おそらく・・・」

 「・・・だからって、柏瀬さんはなんで金原の薬物所持の可能性を疑ったんだ?」

 室川は疑問を口する。

 「それは・・・はっきりとは・・・」

 秋は室川だけなく、全員の視線から驚きの表情を読み取ると全員に改めて向き直った。

 「ただ、金原(かなはら)の証言が曖昧だとは・・・」

 「ほぉ。」

 杉村は思わず感嘆の息を漏らす。

 「しかし、現段階では金原(かなはら)を検査のための取り調べに応じさせることはできませんから・・・」


 化学室に秋を迎えに来た金原(かなはら)はあからさまにゆっくりと職員室に向かって歩みを進めた。

 その間、春子と自分を見つけた時のような動揺は微塵も感じさせなかった。

 春子と自分との間に何があるのか、などと、立ち入ったことを聞いてくる様子もなかった。

 『私は、大丈夫ですから・・・』

 少し前を進むは金原(かなはら)微かにそう呟くと振り返りざまに笑顔を見せた。 

 秋は大人の計算高さを垣間見た気がした。

 ただ、それに気を取られている場合ではない。

 『ってか、物証(ぶっしょう)という意味では、あの人の方が色々出てきそうだけどなぁ・・・手首とか・・・』

 春子のぼやきを反芻する。

 階段に差し掛かったところで、あくまで偶然を装い、秋は足を踏み外したかのようにみせた。

 金原(かなはら)は、躊躇なく、秋を支えようと両手を差し出す。

 目の前に差し出された両手の袖口は異常に濡れていた。

 そして、あたかも今気づいたかのように、限りなく自然な形でその水を拭き取ることができたのだ。

 金原(かなはら)は頬を赤らめる。深く考えている様子はみせない。

 職員会議だと言っていたものの、職員室では会議がすぐに始まる様子はなかった。

 しかし、職員会議が始まると、金原(かなはら)は落ち着かない様子を見せた。

 時折、爪を噛んでいる様子も窺える。

 会議後、彼女は、一も二もなく、そそくさと給湯室に向かっていった。喉が渇いたので、水をもらってきます・・・隣の席の教員にそう言い残したのが聞こえた。

 が、その行動にはあきらかな不自然さが見てとれた。

 会議中に振る舞われたお茶に手をつけた様子はない。

 秋はしばらく離れた位置から窓越しに伺える彼女の行動を見守った。行動できる時間を与えたほうがいいだろうと考えたから。

 そして、しばらく経つと、秋も給湯室に立ち入る。空のコップを返し気にきたフリをして。

 すると、金原(かなはら)はちょうど給湯室よりさらに奥にある職員用の更衣室から姿を現したところだった。

 給湯室に現れた秋に驚く様子は微塵もない。

 金原(かなはら)はようやく冷蔵庫にある水を取り出すと、給湯室を出ていった。その行動は異常に落ち着きを取り戻している。

 ことあるごとに二人きりになろうと画策してくる彼女らしからぬ行動。それは秋にとって異常なものとして映し出された。

 給湯室奥の女子更衣室に入るのは気が引けたが、そこに踏み込むことにした。

 金原(かなはら)と書かれた名札のあるロッカーを開けるが、服の着替え以外は何もない。

 ふと、隣の使用されていないはずのロッカーに目がとまる。

 今は使用されていないはずなのに、埃が落ち異様に綺麗な気がした。

 秋はロッカーを開けると、下段の隅に無造作に置かれた小瓶を見つけた。

 まだ微かに濡れた様子が見てとれる。

 秋は素早くその場から離れた。

 その後多少警戒したものの、金原(かなはら)が改めて更衣室に入り込むことはなかった。

 秋は、他の職員がほぼ帰宅したのを確認すると、もう一度更衣室を訪ねた。

 小瓶は先刻と変わらぬ姿で静かに鎮座する。

 秋は自分のポケットから同様の小瓶を取り出し、すり替える。

 ガードとは名ばかりの久我(くが)家の便利屋さんに持って来させたものだ。

 小瓶を確保すると、手持ちのビニール袋に閉じ込め、ジャケットの内ポケットにしまい込み、更衣室を後にした。


 突発的に行動したとはいえ、これら一連の行動を随分上手くやって退けたと思っていた。

 ただし、それは苑池(そのいけ)が収容されていた病院で同期の警官に指摘されるまでのこと。それらを持ち歩くことで、自分のシャツに香りが移っている可能性についても微塵も気付いていなかったのだ。

 あの時、春子は自分に落ちてきた秋のシャツから、この香りを感じ取り、秋と金原の関係性を疑ったらしかった。


 香水の匂いひとつで相手がわかるって・・・

 まだ17の子供(ガキ)のくせに、鋭いというかなんというか、

 女の勘ってやつ・・・か、

 こわっ・・・


 などという、無粋な考えを巡らしつつもひどく感心した。


 秋はハンカチと小瓶の確保に至ったその経緯をかいつまんで説明した。余計な春子とのやりとりはもちろん省いた上で、だ。

 その秋の説明に、会議室は、なるほど〜と(うな)るような納得の空気で満たされていた。

 「・・・ん?

 柏瀬(かしせ)・・・春子・・・さん??

 誰ですか?」

 土田は空気の読めない感じで、入り込んでほしくない所にドカドカと踏み込んでくる。

 土田には、秋から溢れ出る『これ以上聞いてくるな』というオーラなど感じる(よし)もなかった。

 「秋くんの婚約者さん・・・よね〜♡」

 林田がニカニカしながら、秋の視線を捉える。

 「まぁ♡」

 三島は可愛く口を押さえた。

 言葉尻にはあからさまにハートマークが浮かび上がる。

 「ああ、そういえば・・・確か、津田(かなめ)の嫌疑を教室で真っ向否定していたのも・・・」

 思い出したように室川が付け加える。

 「?」

 わからないと言った顔を向ける周りに、室川は続けた。

 「先ほども言いましたが、津田要は当事者でしたので、職員による聞き取りを行いましたが・・・、

 その間に、生徒たちの間で、津田が犯人なのではないかという確信めいた噂が立ったようでした。

 それで、彼の教室が険悪な雰囲気になっていたらしいのですが・・・

 それを、柏瀬(かしせ)春子は、彼の犯行の可能性を完全否定したらしいんです。

 津田の傷の事情をよく知っていたからか、あの傷がある素手で、制服のようなしっかりした服を破ることはできないと・・・。

 面目ないことに、俺の偽装証言も彼女の疑念を確信に変えたようで・・・。」

 「偽装証言?」

 「ええ、白い粉が飛び散っていましたから、マリファナだと・・・断定しました。」

 「ほぉ!マリファナじゃないとわかったのか。」

 杉村が感心したように感嘆する。

 「さすがアメリカ育ちね、やっぱりマリファナなんかじゃ、誤魔化されないわよね。」

 林田は納得の表情見せた。

 「アメリカ育ち?」

 再び土田の余計なコメントが出た。

 しかし、室川は秋の心情を知ってか知らずか、それを無視して続けた。

 「ええ、おっしゃる通りでした。彼女は私が間違えた証言をしたことがおかしいと感じたようです。

 ただ、弁解するわけじゃありませんが、それが功を奏して、金原は私には全くと言っていいほど警戒していないのも事実なので・・・」

 室川はゆっくりと秋の隣に着座した。

 「ふん、勘がいいな。

 で、それが久我の婚約者なのか?

 何者だ?

 ん?

 なんで、その婚約者が・・・

 高校の教室で?

 何やってんだ?」

 滝本は当然の疑問を口にする。

 林田がからかうように口を()る。

 「だってねぇ、春子ちゃん、まだ高校2年生、17歳だもんね。」

 「17???」

 三島が声を上げる。

 滝本と杉村は秋をまじまじと見つめた。

 「へ〜・・・、久我(くが)、やるなぁ。」

 山﨑(やまさき)はからかうように秋に向かってガッツボーズを取ってみせた。

 「さすが、秋さんですね。」

 何が『さすが』なのか誰にも土田の意図するところがわからなかったが、同様に土田も目をキラキラさせて、秋を見つめた。

 「ちょっと」

 彼らの下品な反応に、三島は山﨑と土田(つちだ)の間に割って入ると、両者の脇腹をどついた。

 ぃってっ!!!

 っかぁ・・!!!

 二人は肘鉄の入った脇腹を抱え込むと少し(うな)った。

 「久我(くが)家の次期当主ともなると、婚約者の一人や二人いてもおかしくはないんだろうが・・・、お前んとこのジジイは何を考えてるんだ・・・」

 その言葉を不思議に思った三島・山﨑・土田は滝山を見た。

 「久我くんの一存で、事が決まるわけないでしょう・・・」

 すぐさま、杉村が説明を加える。

 あ〜あ。

 一同は納得のため息を漏らす。

 「手を出すのはいけませんよぉ・・・、条例違反でマスコミに叩かれますからなぁ・・・」

 秋の人間味のない表情は杉村の老婆心(ろうばしん)を掻き立てる。

 「あくまで婚約者です

 ・・・出しませんよ。」

 秋は、昨日の自分の行いを全て無視すると、冷静に返答した。

 「まあぁ、いいところお嬢さんなら、よくある話か・・・。

 しかし、今時(いまどき)なぁ・・・、大変だな。」

 滝本は改めて秋をまじまじと見つめた。

 「まあ、色々あるんだろうが・・・」

 そういうと、滝本はふと我に返った。

 「ああ、話が逸れたな。とにかく金原(かなはら)だ。

 今、一番ホシにつながる可能性のあるのは、金原(かなはら)で間違いなさそうだ。

 室川、久我、手段を選ぶな!!

 検挙につながる証拠をもってこい!!!」

 「はい。」

 秋は室川とほぼ同時に返事を返した。

 「林田・山﨑、お前らは引き続き苑池(そのいけ)の行方を。」

 「はい。」

 「それから、杉村・三島は例の3人の大学生を・・・

 それから釣島の動向にも探りを入れろ。

 人選は任せる。奴らの間に何かしらの関係があるはずだ!!!証拠を見つけてこい。」

 「はい。」

 「以上だ。」

 そう言われると、林田・山﨑、杉村・三島、室川の面々は次々と会議室を後にした。

 「・・・久我、お前は、ちょっと残れ。」

 滝本は、それに続いて退出しようとしていた秋を止めた。

 「あれ?滝本本部長ぉ、僕は?僕も、秋さんと一緒に潜入させてくださいよ〜・・・」

 土田は秋の後ろから出てくると、少し上目遣いで、気持ちの悪い猫撫で声を出しながら、滝本に擦り寄った。

 滝本は土田を軽蔑の目を持って見下す。

 「土田・・・、

 なんだぁ・・・

 お前、もう一度、高校生でもやるつもりか?

 さっさと巡回に戻れ!」

 「伯父さん、ひっでぇ・・・俺だって、本来なら・・・」

 そうぶつぶつ言いながら土田はしっぽを巻いて、そそくさと会議室を後にした。

 「・・・」

 

 騒がしい雑音や怒涛はいつも通りに会議室の外でこだましていた。

 ほとんどの人間が外周りに出ているにも関わらずだ。

 この場所はとことん静けさとは無縁のようだった。


 会議室に残った秋は、改めて資料をまとめ上げる滝本をしばし眺めた。何をどう切り出すべきか考えている様子がそこには見てとれた。

 観念したのか、資料を整頓しながら、滝本が重い口を開けた。

 「わかっていると思うが・・・、22年前の事件には手を出すな。」

 「・・・」

 秋は嫌というほど滝本が言いたいことを(さっ)した。

 「返事は?」

 返答に躊躇する秋に、滝本はより一層の圧をかけてきた。

 「滝本さんは、やはり・・・」

 秋は戸惑いながらも口を開いた。

 「ああ、大いに関係あるだろうな。ないと考える方が難しいぐらいだ。

 釣島(つりしま)が動く理由があるとしたら、22年前がらみだと考えて間違い無いだろう・・・

 小野寺事件・・・お前の母親の事故の一因とされるとあの事件・・・

 釣島は当事者なんだからなぁ。」

 「・・・」

 「だが、さっきも言ったが奴らがあからさまに表舞台に出てきたという事実はない。

 奴らの介入は噂の領域を出ない・・・当時のこの業界に起こった都市伝説に近いものすらある。

 疑われはするものの、その相関関係はどこにおいても否定されている。

 あの捜査網を難なく()(くぐ)れるような相手だぞ・・・?」

 滝本は秋にこれ以上ないくらいの眼光を浴びせた。

 「いいか、これはお前の爺さんからの条件だ。

 あのジジイは容赦ない・・・お前が一番よく知ってるだろう?

 関わった時点で辞めさせられると思っておけ!!!」

 滝本は重い言葉を秋にぶつけた。

 「ええ。重々承知しております。

 着任の時の条件でしたから。

 小野寺(おのでら)沙耶芽(さやめ)・・・母については調べない・・・

 それに関わるすべての事柄にも手を出さない・・・」


 祖父・久我(くが)俊勝(としかつ)が秋の警察庁への勤務を許可したのは、内定が決まってから実に1年もの時が()ってからのことだった。何がどうして彼の考えを変えることになったのかはわからない。しかし、秋の祖父にとって秋が警察庁への就職を希望した理由は、何よりも明白だった。自分の母・小野寺(おのでら)沙耶芽(さやめ)の死亡理由について調べたかったからだ。

 秋が自分の本当の母親の存在を知ったのは大学受験の時に住民票を手にした時だった。

 自分の母親が彼女だと判明した時点で、18歳の若い自分は探究心を止めることができなかった。可能な限りのリサーチに乗り出したが、不思議なぐらい何も残っていなかった。

 そして、誰も語ろうとはしてくれなかった。

 それは24歳になって警察に勤め始めても同じだった。コネを使って公文書を調べ上げたものの、何一つ確信めいた情報は出て来なかった。

 警察公然の最高機密の一つ扱いになっていると言うことがわかったぐらいだ。

 久我(くが)家に養子とされた自分との関係を分からせないため、つまりは久我(くが)の名誉のための情報操作・・・そう思わざるを得ないと感じるのに時間はかからなかった。

 そんな不都合の真実をもたらす自分の母は一体何者なのか・・・気にならないはずがなかった。


 ふーーーーーーっ


 迷子になった秋の思考に終止符を打つかのように、滝本が大きなため息をこぼす。

 「しかし、なんで今更、釣島(やつら)が・・・。

 時効が無くなったからと思って、釣島(やつら)には警戒はしていたが・・・見事に鬼が出たか・・・」

 「虎穴にいらずんば・・・とも言いいますが・・・」

 「アホか。その前に辞めさせられたら、なんもわからんままだろうが・・・」

 イタズラな笑顔を見せる秋に滝本はさらに眼光を発揮させた。

 「いいか、秋、時を待て。

 今はまだ動く時じゃないはずだ。

 忠告・・・いや、これは命令だ!!!わかったな!!!」

 「・・・」

 秋は静かに視線を滝本の奥にあるホワイトボードへとやった。女子高生の写真の間には、複雑な分子構造の羅列が垣間見える。


 「・・・が、 まぁ、頭、使えや。

 ん?」


 滝本は右手で自分の脳を指すと、秋にうっすらと何かを企んでいるかのような悪い(えみ)を見せた。自分にバレないように動けという合図だと解釈できる。

 「・・・はい。」

 秋は素直にこの愛溢れる上司をありがたいと感じた。


 「しかし・・・婚約者・・・。ん・・・、柏瀬(かしせ)?」

 「ええ。」

 「アメリカ・・・って帰国子女か何かか?」

 「いや、両親ともに日本人ですが、アメリカ生まれのアメリカ育ちで・・・」

 「ん・・・アメリカ、柏瀬(かしせ)・・・??

 ・・・・!!!!」

 少し考え込んだかと思うと、滝本の顔にはより一層険しい顔が彩られた。

 それは、秋に警戒心を起こさせるほどだった。

 「・・・滝本さん?」

 「父親は・・・いや、まさか・・・。柏瀬(かしせ)達郎 (たつろう)か?」

 「ご存じで?」

 「いや、思い違い・・・、クソっ・・・」

 滝本はどことなく諦めの表情を見せると、秋に続けた。

 「今はまだ何とも言えん。

 ・・・、時間をくれ。」


 滝本の強張った顔が、軽く揺れる。

 滝本は秋の退出を(うなが)した。


 秋は緊張感に満ちた滝本が気になるところではあったが、大人しく退出することにした。

 すでに陽の光は空高く上り、オフィスにはガラス張りの窓とは逆側から徐々に影が伸びてきているようだった。


 今日は随分いい天気だったようだ。

 まだ5月。

 空は高く、緑が騒ぐ。

 秋はある種の隙間を垣間見た気がした。

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