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崩壊の足音

 毛利家の後継者争いに影から介入し、危険因子である元就を排除しようと目論んだ亀井(かめい)秀綱(ひでつな)であったが、謀略、情報戦において元就の方が一枚も二枚も上手であった。

 元就は相合(あいおう)元綱(もとつな)やそれを支持する(さか)氏、渡辺(わたなべ)氏の不穏な動きを察知すると元綱の居城に夜襲を仕掛け、元綱を粛清。その後、元綱を担いだ坂氏らを誅殺し、毛利家当主の座についた。


 しかし元来、元就と元綱は仲が良かったと云われており、元就はこの一件を生涯の教訓として自身の息子たちに三子教訓状の第三条で申し伝えている。兄弟の仲に僅かでも亀裂が入れば他国に付け入る隙を与え、たちまち滅ぼされてしまうであろうと。

 そこには謀反によって失った弟への無念が込められているのかもしれない。


 閑話休題、元綱謀反の裏には尼子の謀略が渦巻いていたのは当然元就の知るところであり、この一件が大きなきっかけとなり毛利氏は再び大内氏に転属することとなる。

 この頃から尼子家にとって苦難の時が訪れる。


 鏡山城を攻略した後、安芸国内で尼子方であった武田氏、友田氏が大内方に敗北。毛利家の離反もあり、安芸国内で尼子方に傾いていた勢力図は変わることとなった。


 更にその翌年には伯耆(ほうき)備後(びんご)守護職の山名(やまな)氏が反尼子方であることを鮮明にし、尼子氏は大内氏、山名氏に包囲される形で窮地に立たされた。経久自ら兵を率いて備後に出陣したが、大内方の(すえ)興房(おきふさ)に敗北し、この敗戦によって備後内の尼子方に属していた国人たちの多くが大内方に靡くこととなった。

 

 更に畳み掛けるように尼子家には逆風が吹き抜ける。経久の三男で塩冶(えんや)氏を継いでいた塩冶興久(おきひさ)が所領加増を求めるが、折り合いが付かず興久はそれを亀井秀綱の陰謀であると邪推する。

 そこに出雲西部、南部を中心とした国人領主たちの尼子支配に対する不満も重なり、興久は挙兵。尼子氏対塩冶氏の全面対決へと発展したのだ。


 両陣営は大内家に対して支援を要請するが、両者共倒れを狙う大内(おおうち)義隆(よしたか)は姿勢を明確にせず、静観に近い立場で経久側を支持した。

 経久は七五歳という老齢ながら自ら七〇〇〇の軍勢を指揮して戦った。約四年間にも及ぶ戦いの末、興久は自刃し乱は終息した。


 度重なる危機を経久は見事な手腕で切り抜け、その後は美作(みさく)国へ侵攻し、尼子氏の影響下に置く。更に備前へも侵攻し、徐々に東へ勢力を拡大すると、北九州の大友(おおとも)氏とともに反大内包囲網に参加した。

 しかし、数年後尼子家にとって最大の危機が訪れるのである。それは一五三七年(天文六年)に家督を嫡孫の晴久(はるひさ)に譲った更に三年後。

 

 大友氏が大内氏と和解してしまうと、尼子氏との和睦を破棄され石見銀山を奪回された。更に同年大内氏の攻撃によって尼子氏から援兵を受けていた安芸尼子方の武田氏の居城が落城、当主・武田(たけだ)信実(のぶざね)は一時、若狭(わかさ)国へと逃亡する。そのため、晴久は出雲国へと撤退した。


 これにより表面上は和睦状態であった大内氏との関係は破綻し、緊張は一気に高まった。

 

 月山富田(がっさんとだ)城、評定の間にて血気にはやる若き当主、晴久は大内氏との早期決戦を主張するのだった。晴久の狙いは、大内氏に嫡子を人質に差し出し、尼子氏からの離反を明確にした毛利氏の討伐であった。


「元就討つべしッ!」


 晴久は額に青筋を浮かべ怒声を放った。仮にも義兄弟の契りを結んだ仲でありながら大内の傘下となった元就への怒りは憤然たるものであった。


吉田郡山(よしだこおりやま)城を落とし、元就めの素っ首を晒してくれるわ!」

「お待ちくだされ! 備後、石見両国の征服が完了しておらぬこの状況で敵中深く入り込むことは大きな危険を伴いまする」


 隠居をし、更に病床にある経久はこの評定には加わっていない。慎重論を唱えるのは経久の弟である幸久(ゆきひさ)だ。大叔父である幸久を晴久の三白眼がぎろりと睨む。


「ほう、ではどうしろと?」

「まずは両国の国人領主たちから人質を取り、憂いを取り除いた後に攻めるが得策かと」

「ふっ、毛利如きを攻めるにそのようなまどろっこしい事をしておったらそれこそ機を逸するわ」

「恐れながら、大殿(経久のこと)もこの幸久の案に賛同しておるのです。何卒ご再考のほどを」

「ふんっ! 大殿を盾に自らの臆病を正当化するか。大叔父はいつから臆病野洲(やす)となった?」

「殿ッ! わしは決して臆病で申しているのでは」

「もうよいッ! 毛利を攻めるぞ、国人どもにも出陣を促せ!」


 最早、晴久には取り付く島もなかった。


 くっ、こうなっては致し方ない。兄者、申し訳ござらぬ。

 

 幸久は覚悟を決めた。兄、経久が一代で築き上げた全てが水泡に帰すことを憂いながら。

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