謀神と謀聖の邂逅
一五ニ三年(大永三年)、安芸国鏡山城に尼子方の武将、毛利元就、吉川元経らが攻め寄せていた。
鏡山城城主、蔵田房信の奮戦により鏡山城はなかなか落ちず、戦線は膠着状態に陥った。
そこで元就が一計を案じる。鏡山城には副将として房信の叔父、直信が入っているが、元就は情報を集め、直信の性格が我欲が強い利己主義者であると知るのだ。
元就は蔵田家の家督を継がせることを条件に直信を寝返らせ、直信が守る二ノ丸に尼子軍を手引きさせた。これにより城内は大混乱に陥り鏡山城は落城。
元就の鮮やかな計略は間違いなく戦功第一の活躍だった。
戦勝の余韻収まらぬ陣幕に尼子経久は到着した。諸将が佇まいを正し経久に平伏する。
「此度の戦い、皆ご苦労であった。して、鏡山城を落城せしめたのは誰の手柄か」
「こちらにおわする多治比元就殿の手柄にございます」
亀井秀綱が甲斐甲斐しく紹介すると経久はじろりと元就を見据えた。
この男が……毛利元就。
武田元繁を討ち取った軍略も然ることながら、此度は計略を用いて城を落とすか、油断ならぬ男よ。
経久は元就に自らと似た雰囲気、臭いのようなものを感じていた。諸将が口々に元就の計略の巧みさを褒め称える中、元就が低頭して言葉を紡いだ。
「恐れながら、経久殿にお目通し願いたい人物がいます」
「ほう、よかろう。通せ」
「ははっ、直信殿。参られよ」
陣幕へ入って来たのは敵将であるはずの蔵田直信であった。直信は不敵な表情を浮かべ経久に頭を下げると、堂々と胸を張って居座ってみせた。その態度に経久は違和感を覚える。
「鏡山城攻略の戦功は直信殿の手引きがあればこそでした。何卒、寛大な処置をお願い申し上げます」
「なるほど、そういうことであったか」
経久は片方の広角だけを上げてにっと笑ってみせた。
「大内方に通じていなければ成し得ない謀略であるな、元就殿」
諸将がざわついた。あらぬ嫌疑をかけられた元就だが、ほとんど表情を変えることなく低頭し「お戯れを」とだけ返す。
経久はそんな元就を見据え、表情を悟らせまいとするその姿にこの男のしたたかさを垣間見た。
「まあよい。その方、蔵田房信の叔父であろう。何ゆえ主君でもある甥を裏切った? 房信は妻子と城兵の助命を条件に腹を切ったというのに」
冷徹な光を帯びる経久の双眸を受けて、直信の表情が強張る。
「そ、某が寝返れば家督を相続させるという条件を元就殿から持ちかけられ」
「くく、愚かな男よ。貴様のような不忠者を生かしてはおかぬわ。亀井、処刑せよ」
「そんな、約束を反故にするおつもりか!」
「ふっ、貴様は元就殿に騙されたのよ。のう? 元就殿」
元就は口を閉ざし何も答えなかったが、諸将の前で約定を反故にされ面目を潰されたのは想像に難くない。蔵田直信は程なく処刑された。
「そうじゃ、元就殿。首実検の件じゃが、慣わし通り幸松丸殿に立ち会ってもらいたい」
蔵田直信の一件で重苦しい空気が流れる中、事も無げに告げる経久の一言に元就や吉川元経が目を見張った。これにはすかさず元就が頭を下げ具申する。
「恐れながら、幸松丸様は御年九つでございます。首実検は何卒私めに」
「幼少とはいえ当主は当主。それとも既に元就殿が毛利家の当主であったか?」
「くっ、元就殿が幸松丸様を蔑ろにしていると仰りたいのか!」
これには流石に元経が黙っておれぬと抗議するが、元就は冷静に元経を制する。
「元経殿、よいのです。……経久殿、首実検の件しかと承知致しました。それでは我らはこれにて」
元就は足早に陣幕を後にした。諸将も続き、その場に経久と亀井秀綱だけが残る。
「殿? 如何がなさいましたか?」
一点を見つめて微動だにしない経久に秀綱が問い掛ける。
「亀井……わしはな、もしわしがもう一人おったならば決して味方に引き込もうとは思わぬ。あやつ、元就は危険じゃ早急に手を打てい」
「もしや、直信を処断し元就を貶めたのも?」
「ああ、元就の求心力が高まることは尼子に追い風とはならぬ。さて、生首の並ぶ様を目の当たりにして毛利の頭領は耐えられるかのう」
毛利幸松丸は首実検の場に出席し敵将、蔵田房信の死眼を目の当たりにすると恐怖のあまり卒倒した。心身に過剰な負担がかかったのか、幸松丸は瘧と呼ばれる病にかかり回復することなく命を落とすのだった。
この毛利家当主の死に際して、毛利家では跡目争いが勃発することとなる。
毛利元就を支持する派と元就の異母弟、相合元綱を支持する派に分かれたのである。そして、この跡目争いには尼子家重臣、亀井秀綱が介入しており元綱一派を支持し扇動しているのであった。