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月山富田城奪還の計略

 一四五八年(長禄二年)、その男は出雲守護代の子として生を受けた。少年期に出雲、飛騨、隠岐、近江守護を務める主君、京極政経(きょうごくまさつね)のもとへ人質として送られ、京都の地で元服を果たすと、一字拝領し経久(つねひさ)と名乗る。

 その後五年間の滞在を終え出雲へ下向し父から家督を譲られ出雲守護代となった。

 

 はじめ経久は主君によく仕えていたが、次第に国人衆との結び付きを強め、独自の勢力基盤を築き上げる。しかし、その過程で敵対する勢力も現れ幕府や主家、更には国人からの反発も招き、守護代の地位を剥奪された上で居城である月山富田(がっさんとだ)城を追放され流浪の身となってしまった。


 それでも経久は諦めなかった。虎視眈々と復権の機会を覗い、協力者として出雲に残る山中入道ら山中一党一七人と旧臣五六人を集め、更に鉢屋(はちや)賀麻(かま)党と呼ばれる者たちに助力を求めた。

 鉢屋衆とも呼ばれる彼らは兵役の他に、祭礼や正月に催しとして芸を演ずる芸能集団でもあった。

 経久は此度の月山富田城奪還の志しを鉢屋賀麻党党首、鉢屋(はちや)弥之三郎(やのさぶろう)に語り聞かせる為、弥之三郎のヤサへと足を運んだ。

 話を聞いた弥之三郎は腕組みをしたまま難しい顔をして喉を唸らせる。


「勝算はあるのですか? 我々が力添えしたとてせいぜい一〇〇余名。数倍の敵が籠る要害堅固なあの城を落とせるとは到底思えませぬが」

「勝てる。その方らが味方してくれるというのなら必ずな」


 渋る弥之三郎に対して経久は体を前のめりにして力強く宣言してみせた。決して味方欲しさに虚勢を張っているだけとも思えない。ほっそりと貴族的な面差しの美丈夫の瞳は確かな自信に満ちている。

 しかしそれだけで鉢屋一党の命運をこの男に賭けるほど弥之三郎も愚かではない。


「どのような策がおありで?」


 標高一八三メートルの月山に営まれる富田城は天然の地形を活かした難攻不落の山城だ。防衛側の数倍の兵力を有したとて攻め落とすのは容易な事ではない。それをたかだか一四〇名ほどで実行しようというのだから正気の沙汰とは思えない。

 弥之三郎の瞳をじっと見据えた経久は僅かに口元を悦に歪めた。


「此度の作戦の肝はな、其の方ら鉢屋衆よ」

「過分な評価は痛み入りますが、とても実行できる自信はありませぬな。それでも我々が味方すれば富田城を落とせると?」

「左様。それも一日の内に落とす事が可能であろう」

「なんと!」


 大言壮語としか思えない言葉だ。一体どの様な策を用いればあの天下の名城を一日で落とせるというのか。しかし経久から放たれる一寸たりとも揺るがぬ自信は消して慢心とは思えなかった。


「攻めるは元日。これだけで弥之三郎殿ならば理解できよう」


 元日といえば鉢屋衆は月山富田城に登城して舞や演奏などの催しを行う千秋万歳……。突如、弥之三郎の目がカッと見開かれた。

 なんと! 確かにその手ならば一年の間で唯一あの城を落とす事が能うるやもしれぬ。

 弥之三郎は目の前の公家の様に品のある顔をまじまじと見据え、その整った面の裏にある神算鬼謀を巡らす頭脳を垣間見て思わず戦慄を覚える。

 恐ろしいお方だ。それを実行すると言うならば文字通り鬼とならねばやり切れぬだろう。経久殿を除いてこの雲州を統べる御仁は居らぬのかもしれぬ。

 

 暫し沈黙した後、弥之三郎は佇まいを正すと経久に対して深々と頭を下げた。


「我等鉢屋一党、経久殿の仰せに従います」

「かたじけない。わしが城主に返り咲いた暁には鉢屋衆を厚遇すること約束しようぞ」


 そして来たる一四八六年(文明一八年)、元旦、丑の刻(午前三時頃)、正月恒例の催しとして太鼓や笛を演奏し歌いながら城内へ入る賀麻一党七〇余名。今年はいやに早いなと言いつつ、なになに善は急げという。めでたいめでたい。と正月気分で浮かれた城内。

 しかしこの時既に経久をはじめ山中入道ら六〇余名は城内各所に忍び込んでおり、舞を披露する鉢屋衆も烏帽子(えぼし)の下に兜を被り、素襖(すおう)の下には具足を付け武器を隠し持っていた。


 城衆が起きてきて鉢屋衆の舞を見物しようと集まった時、太鼓の音を合図に忍び込んでいた経久たちの部隊が城内各所に火を放ち、鬨の声を上げて乱入。誰彼構わず次々と斬りかかった。同時に鉢屋衆も烏帽子、素襖をかなぐり捨て見物の城衆に襲い掛かった。

 予期せね奇襲の前に一瞬で修羅場と化す城内。武器を取ることもままならず殆どの者が殺され、やがて城主塩冶(えんや)掃部介(かもんのすけ)も自ら槍を奮って戦うも及ばす、自ら妻子を殺害した後自刃して果てたのだった。


 時に経久、ニ九歳。謀聖と呼ばれた男、尼子(あまご)経久(つねひさ)の血生臭くも鮮烈な下克上であった。

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