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12日目(3) 日常の異世界

「これで、いいかしら」


 ログハウスまで戻ってくると、食事の準備もそこそこにマンゴーをカットする。カットしたマンゴーはメスティンの蓋にひとまず盛っておく。そこまで終わると隣の椅子に下ろしてあったリュックからペットボトルの水を取り出して一口飲む。

 一応、向こうでマンゴーの切り方を検索してきた。でも、私には難しそうだったからただのくし切りにしてしまったけど、まあ、味に変わりはないだろう。

 ウッドデッキに備え付けられたテーブルの上、包丁をメスティンに乗せて端に寄せる。アルミホイルに包んだきのこと剥き出しの梨や巣蜜もそのままに、席に着く。


「きゅー!」


 我慢しきれなくなったのかりっくんがテーブルに飛び降りる。一目散にマンゴーに齧り付き、じゅるじゅると食べ始めた。その様子はなんとも幸せそうだ。

 りっくんの背中を撫でつつ、私もキッチンから持ってきていたフォークを取る。ふにゃりと柔らかいマンゴーは、なんの抵抗もなく、すっとフォークに刺さった。

 はむり、と食べる。

 その途端、ねっとりとした芳醇な香りが口の中に広がる。舌で潰れるほど柔らかいマンゴーは、一瞬のうちに口の中から消えてしまった。甘い余韻だけを残して、果汁と一緒にとろりと喉元に落ちてくる。

 次の一切れに手を伸ばす。そのまま無心で食べ続けていると、かつん、とフォークが空振る。


「え、もうないの?」


 お皿代わりのメスティンの蓋には僅かに果汁が垂れているだけで、マンゴーの実は残っていない。流石にラグビーボールくらいのマンゴーを食べ切れる気がしなかったから、その半分。それでもそれなりの量はあったはずだ。りっくんも食べていたとしても、なくなるのが早すぎる。


「どうしよう。もう半分、食べちゃおうかしら」


 今ならあの量も食べられる気がする。りっくんからも期待の眼差しが向けられている、ように思う。


「でも、まだ他の食べ物もあるし」


 そう、テーブルの上にはまだ、きのこと梨が置かれている。元々食べようと思って採ってきたのだし、このままお持ち帰りするのも、なんとなくもったいない。


「……他のものを食べてから、また考えればいいか」


 しばらく悩んだ後、そう結論づけると椅子の座面を開ける。中に片付けてあったキャンプ道具を取り出して、机の上に並べる。

 焚き火台に、着火剤、ライターにトング。他にも細々としたものをいくつか。元々キッチンから持ってきていたものと合わせて置いておく。

 必要なものを一通り用意すると、テーブルの中心にある窪みにコの字型の焚き火台をセットする。炭受けの位置は一番低い場所にした。

 シート状の着火剤を一つ千切って炭受けに置く。その上にログハウスまで戻ってきてからウッドデッキの周りで集めた枯れ枝を数本重ねる。最後にライターで慎重に、着火剤に火を付ける。

 はじめは燻っていた炎は枯れ枝に燃え移ると、一気に、ぼっ、と燃え上がる。その中にアルミホイルに包んだきのこを二つ、放り込む。


「こっちは、とりあえずこれでよくて」


 独りごちながら、メスティンの蓋を引き寄せるとキッチンペーパーで軽く拭う。リュックの中から小さな紙切れを引っ張り出す。


「えーと、まずは……」


 メモを確認すると、梨と包丁を手に取る。ざっくりと梨を四等分にして皮を剥き、薄くスライスする。カットした梨はメスティンの中に並べておく。


「それで、水を二百ccと蜂蜜を入れて……巣蜜でも平気よね」


 葉っぱに包まれたままの巣蜜を引き寄せる。畳一畳分よりも小さくはなったけれど、それでもまだ大きい。それを一欠片だけ切り分けてメスティンに入れる。最後にペットボトルの水を半分くらいどばどばと注ぐ。


「きゅ?」

「ああ、梨と蜂蜜があるから、せっかくだしアリアさんから教わったレシピを作ってみようかと」


 こっちの世界の言葉で書かれていたアリアさんのレシピは、二日かけて要点だけはどうにか訳してきた。単語だけの翻訳だし、レシピと違うものもあるから、完全に同じものとはいかないだろうけど、まあ、大丈夫でしょう。……多分。

 そこまで準備が整うと、メスティンを焚き火台の天板の上に乗せる。


「あとは梨が柔らかくなるまで煮込めばいいのね」


 メモで次の工程をざっと見ると、ワイドパンツのポケットからスマートフォンを取り出す。

 現在時刻、二十時四十分。思ったよりも時間が掛かってしまった。

 スマートフォンを机の上に置き、炭受けの中のアルミホイルをトングで突く。こちらもまだ、時間がかかるだろう。


「さて、と」


 ぐい、と大きく伸びをするりっくんの背中を撫でる。りっくんは嬉しそうにきゅるると小さく鳴く。

 リュックから攻略本を取る。ログハウスの周りは暗いけれど、ここには部屋からの明かりもあるし、ウッドデッキの照明もある。

 ちらりとメスティンの様子を確認すると、攻略本を開いた。



 そよりと風が吹き、ちゃぷり、と水の跳ねる音がする。

 涼やかな水辺の空気の中、時折、ぱちぱちと火が爆ぜる音が聞こえてくる。

 そこに、ふ、と蜂蜜混じりの甘い香りが漂ってくる。


「きゅるー」


 それまで私に大人しく撫でられていたりっくんも、何かを訴えるかのように鳴き声をあげる。その視線の先にはメスティンがあった。


「いけない、忘れていたわ」


 読みかけの攻略本を閉じ、メスティンを覗き込む。中の水分はすっかり消え、ことこと煮込んでいた梨はしんなりと柔らかそうだ。

 火から下ろすと机の上に置く。粗熱を取ってからレモンを加えるらしいから、ひとまずはまあ、このままでいいだろう。生のレモンはないから、市販のレモン汁だけど。


「きのこは、どうかしら」


 炭受けからアルミホイルをトングで取り出す。そのままゆっくり開けば、きのこの香りがふんわりと鼻先を掠める。中には拳大くらいの大きさの、白いマッシュルームみたいなきのこ(ビハダケ)と薄くスライスした真っ白なトリュフもどき(ビハクダケ)が入っている。そこに手元に引き寄せた醤油を少しだけ垂らす。ゆるゆると立ち昇る湯気に混ざる醤油の香りに、マンゴーを食べたはずのお腹がくう、と小さく鳴る。

 フォークを手に取る。きのこをほぐしながら、一口食べる。ぎゅっぎゅっ、と噛むと仄かに醤油の味が追いかけてくる。バターを合わせるのもいいけれど、これはこれで素材の良さがよく分かる。

 ビハクダケと一緒に食べると、芳醇な土の香りが口いっぱいに広がった。

 もう一つのアルミホイルを開く。そこにはエノキダケみたいなきのこ(スッキリダケ)とビハダケが包まれている。同じように醤油を垂らして、ぱくりと食べる。こりこりとした食感とよく馴染んだ醤油の味にほっと息をつく。


「……うん、いい味」


 弟のお土産もあり、今ではこのきのこたちもたまに我が家の食卓に並ぶことがある。でもその時にいつも物足りなさを感じていた。

 きのこをほぐして、口に運ぶ。

 初めて食べたのが、この世界でのアルミ焼きだったせいか、これがこのきのこの食べ方の最適解な気もしてくる。

 こくり、ときのこを飲み込む。視界に入った空には満天の星。二つの月は傾き、森との境に見え隠れする。そよぐ風が心地よい。

 ふ、と緩んだ口元を誤魔化すように、フォークに刺したきのこを食べる。

 ただきのこをアルミホイルに包んで焼いて醤油を垂らしただけのシンプルな料理が、とても美味しい。

 ゆっくりと咀嚼して、きのこの風味と食感を味わう。よく噛んでから、最後の一つをごくり、と飲み込んだ。


「……こっちは、もう大丈夫かしら」


 きのこを食べ終えると、今度はメスティンを引き寄せる。側面に触れれば、ステンレスのつるりと冷たい触感が指先に伝わる。少し冷ましすぎてしまったかもしれない。

 梨の上にさっとレモン汁を振りかけ、軽く馴染ませる。


「きゅー!」


 甘い匂いにつられてりっくんが期待の眼差しで見上げてくる。その背中を撫でると、メスティンの蓋にいくつか取り分ける。早々に梨に齧り付くりっくんに小さく微笑み、私も梨を一つ食む。

 しゃなり、と歯切れの良い梨は、噛むたびにじゅるじゅると甘い汁が溢れてくる。仄かに蜂蜜の味がした。しっとりと甘い梨は、そのまま食べるのとはまた違う味わいがある。

 上手く出来るか少し不安もあったけれど、ちゃんと作れたみたいだ。


「りっくんも、美味しい?」

「きゅー♪」


 夢中で梨に齧り付くりっくんを優しく撫でる。するするとした指通りが気持ちいい。

 さやさやと木々がさざめく。頬を撫でる風を追いかけて、ウッドデッキの正面に視線を向ける。

 深緑の森がゆるゆると枝を揺らす。赤や黄色の花々に囲まれた暗緑色の池の水面には、無数の星々とログハウスから漏れる明かりが映り込む。

 元の世界の喧騒も、ニーナたちと過ごす賑やかな時間も、全てを飲み込むような静かな夜。時折、そよぐ風に揺らぐ水音と木々の囁きが聞こえてくる。それに紛れるように、しゃくしゃくと梨を齧る音も。


「……なんだか、こうやって過ごすのも久しぶりね」


 フォークに刺した梨をしゃくり、と一口で食べる。

 初めは、一人だった。この世界に来て右も左もわからないまま、とりあえず川や湖の側でご飯を食べて、景色を眺めてゆっくりと時間を過ごして。

 それからたまに弟が来て。このログハウスも弟が建ててくれたものだ。

 ニーナとアリアさんと出会ってからは、ひと時ではあったけれど、一緒に森の散策をしたり、ご飯を食べたりして。

 しゃく、と梨を齧る。


「きゅ?」


 梨を食べ終えて、ぐでっとしていたりっくんを眺める。その背中を撫でる。こうしてりっくんと過ごせているのも二人のおかげだ。最近では蜜蜂とも知り合ったし。

 いつの間にか、この世界で過ごす私の周りが賑やかになっていた。だからこそ、こうして一人と一匹で過ごす時間も悪くはないけれど、なんとなく寂しい。


「そうか、寂しかったのか」


 口に出して、改めて気付く。こっちに来てから、なんやかんやと一人で過ごしていたのは、最初の方だけだったかもしれない。

 弟がいたり、ニーナやアリアさんがいたり、皆で過ごすのが当たり前になっていた。


「きゅるー!」

「ええ、もちろんりっくんもね」


 そういえば、あの狼はどうしているのかしら。無事な姿だけは弟のスマートフォン越しに見られたけれど。

 そんなことをぼんやりと考えながら、メスティンの中の梨に手を伸ばす。物欲しそうに見つめてくるりっくんに一つを取り分けると、最後の一欠片を取る。

 しっとりと柔らかい梨は、すっかり冷たくなっていたけれど美味しかった。

 その後は結局、誘惑に勝てず残りのマンゴーもりっくんと二人で平げた。それからメスティンや焚き火台を片付ける。

 あらかた片付いたところで弟から電話が来た。


『もうすぐ時間だけど、大丈夫?』

「靴だけ履き替えるから、ちょっと待っていてくれる」

『わかったー』


 そう言って切れると思っていた弟との電話はまだ繋がっている。


「……まだ何かあるの?」


 不思議に思って首を傾げる。


『姉ちゃん、久しぶりにこっちに来たじゃん? どうだった、こっちの世界は?』

「どうって……」


 ざっと風が吹き抜ける。水面の星空とログハウスから漏れるオレンジの明かりが揺らぎ、ちかちかと光が瞬く。さわさわと深緑色の森がささめくその上にも、輝く星々。


「きゅ!」


 たた、とりっくんが肩まで登ってくる。反射的にその背中を撫でる。

 こちらの世界で知り合ったニーナもアリアさんも一緒に過ごした時間は長くはないけれど、人の良さはよく分かった。それに、二人と会うのは普通に嬉しいし、楽しい。

 テーブルの上に視線を落とす。片付けてすっきりとしたテーブルの上には何もない。でもさっきまでのマンゴーや梨やきのこのことを思い出すと、またお腹が空いてきそうだ。

 私は真っ直ぐ前を見る。

 見渡す景色が、きらきらと輝いている。

 だけど、それを素直に認めるのは癪だから。


「……まあ、悪くは、ないかしら」

『そっか』


 電話越しに、どこか弾んだ弟の声が聞こえてくる。


『じゃあ、また後でかけるね』


 弟は満足そうにそれだけ言うと電話を切る。

 ……もしかして、弟には気付かれているのだろうか。私の本音。

 そっと息をつく。


「きゅ?」

「ううん、なんでもないわ」


 至近距離で見上げてくるりっくんの頭を撫でる。

 この世界を訪れるようになって、数日。まだ慣れないことの方が多い。

 でも景色は綺麗だし、ニーナもアリアさんも蜜蜂も、皆いい子たちだった。それに何よりも食べる物全てが美味しい。

 リュックを背負うとウッドデッキを後にして玄関に向かう。パンプスに履き替えたところでまた、弟からの電話がかかってくる。


『じゃあ、そろそろ行くよ』

「ええ、お願い」


 弟の声に了承すると、足元にぱっと白い幾何学的な文様が浮かび上がる。見慣れたその文様に目を細める。


 だからもう少しくらい、弟に付き合ってこっちの世界に来るのも、悪くないかもしれない。

 夕方の十八時から二十三時まで。せめて、終業後の数時間くらいは。


 ぶわり、と風が吹き上げ、光が弾ける。その眩しさに思わず目を閉じる。

 そして、いつもと同じ二十三時過ぎ。私は異世界を後にした。

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