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喫茶『Stern』 〜 月曜日の珈琲 〜  作者: 夏川 流美
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私のお母さん <前編>

 蝉時雨の煩い、15歳の夏。

 なけなしのお小遣いを握りしめ、私は



「じゃあ……

 これから、宜しくお願いします」





――母親を買った。




***




 人身売買なんてものは、日本でさえもとうの昔に当たり前になっていた。私だって、皆だって、隣のクラスのあの子は、買われた子どもだと知っている。


 年老いた先生はその子に同情しているみたいだけど、若い先生と私たち子どもは何も思わない。買ったからなんだ、養子と何が違うと言うのか。幸せに暮らせているのなら良いじゃないかと、せいぜいその程度思うだけだ。



 スクールバッグを肩から下げて、帰路を辿る。清々しく晴れた青空に、一本の飛行機雲が映えていた。あぁ、夏らしいや。ポケットから取り出したスマホを空に向け、写真を撮ったついでに額の汗を拭う。地面に落ちた影が、コンクリートの熱で揺らめいた気がした。



「…………ただいま」


「あ……、おかえりなさい」



 玄関を開けて直ぐに出迎えてくれたのは、痩せこけた頬で弱々しく笑う私のお母さん。…………ただし、偽物。つい先日、人身売買の市場で買ってきた。


 私を産んだママは、男の元を遊び歩いている。月に1回帰ってくるか来ないか。帰ってきてもお金だけ置いて即座に出ていくから、まともに会話なんて交わしていない。


 パパも、そんなママに見切りをつけてさっさと出て行った。「着いてくるか」と聞かれたとき、断らずに一緒に行けば良かった。なんて思っても後の祭りである。悲しそうな曖昧な笑顔を浮かべて、家を出たあの瞬間が、未だに忘れられない。




 あの……、と遠慮がちにお母さんが口を開く。スクールバッグを下ろして顔を向けると、至極言いにくそうに、申し訳なさそうな表情をして頼み事をしてきた。



「お買い物を……したいんです」


「良いけど、なに、買うの?」


「その…………お料理の材料を、と思いまして。冷蔵庫の中を見せていただいたんですけど、何もなかったので……」



 言われてみれば、冷蔵庫の中には材料ひとつ入っていない。ママがいないから私はいつもお惣菜とかファストフードで済ませていたし、お母さんが来てからの数日も、同じようにして食卓を囲んでいた。



「じゃあ、一緒に行こ。ほら、スーパーの場所も知らないでしょ」


「はい……! ありがとうございます」



 私は部屋から財布を。お母さんはエコバッグを持つと、並んで家を出た。一緒に買い物に行く。これがどうにも変な感じで、隣を歩く"お母さん"という存在に、私は不思議と胸の高鳴りを覚えた。





 スーパーに着くと、思ったよりも買い物はスムーズに終わった。安くて、お腹が満たせて、且つ私の好きなもの、というセレクトで、お母さんが材料をカゴにどんどん入れていったから。


 適当に食事を済ませてた私とは、やっぱり全然違う。ぼーっと後を着いて歩いているだけで、気付けばレジに並べる状況だなんて。



「帰ったらすぐご飯にしましょうか?」


「…………あ、うん。そうしてほしい」


「わかりました、ぱぱっと作っちゃいますね」



 ご飯を作る行為に『ぱぱっと』なんて言葉が出るあたりもすごい。私もそのくらい出来るようになったほうがいいんだろうか。お母さんのことを尊敬の眼差しで見つめながら、炎天下の中、家へと足を進めた。



 家に帰れば、お母さんは何やら張り切った様子で台所に立った。私はリビングのテーブルに宿題を広げ、テレビをつけてダラダラと取り組む。台所から聞こえてくる物音が、ときどき目頭を熱くさせるから、必死に意識を逸らした。


 料理はお母さんの言った通り『ぱぱっと』作られて、あっという間にテーブルに運ばれた。ふわふわとろとろの、鮮やかな色したオムライスが2人分。ケチャップで可愛らしくハートが描かれていた。



「久しぶりだったから、あんまり自信ないんですけど……よかったら、召し上がってくださいね」



 出来立てを伝える白い湯気が、食欲をより一層強くする。宿題を乱雑に片付けると、お母さんが席についた瞬間に手を合わせた。



「いただきます……!




 ――っ美味しい……‼︎」



 具材の食感がしっかりとした、熱々のご飯。それから、舌の上でとろっと溶けていく卵に、ケチャップの濃い味わいが相性抜群で。


 口の中にどんどんと掻き込む。美味しい。本当に、美味しい。誰かの作ったご飯って、こんなに美味しいんだ。



 すごく、あったかい。




「えっ……ど、どうかしましたか……⁉︎」



 お母さんが身を乗り出して、私の顔を覗き込んだ。掻き込んでた右手のスプーンは止まって震えている。気付けば、右目から大粒の涙をぼろぼろを流していた。



「ごめんなさ……、すごい、美味しくて……」



 えへへ、と泣きながら笑ってみせる。目元をぐしぐしと擦ると、困ったお母さんが笑い返してくれた。



「それほど喜んでいただけて、嬉しいです。明日から毎日、作ってあげますからね」



 なんだか、本当にお母さんみたい。


 そんなことを密かに胸の奥に感じては大きく頷いて、私はまた、右手のスプーンを忙しなく動かした。

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