タバコ
吐き出した煙を目で追いかけた。空に上って透明になっていく向こう側に、遠い街の光を見る。
体の力を抜き、もたれかかったベランダの手すりから冷たい金属の温度が伝わってきた。どこか少しだけ蒸し暑い、そんな夜には嬉しい冷温だ。
――あの人は、もうタバコを辞めただろうか。
自分が吸い始めたきっかけとなる存在。渡された一本を素直に受け取ったのは、あの人に憧れていたから。あの人のようになりたかったから。同じ銘柄を吸えるようになれば、ほんの僅かに近づけた気がした。
「先輩は、なんでタバコを吸ってるんですか?」
いつの間にか、部屋から出てきたらしい後輩の声が後ろに立つ。徐に顔を上げ、一本吸うか、と箱を差し出す。真面目で優等生な、いつかの自分に似ている後輩は、こちらの申し出をやんわり断った。
「タバコって嫌いなんです。自分にも周りにも悪影響じゃないですか。だから本当は、先輩にも吸ってほしくないんですよ」
君は可愛い子だな、と頭を撫でる。普段なら絶対にやらないこんなことをしたのは、夜風に酔っていたせいかもしれない。
ぐしゃぐしゃに散らかされた髪の毛を、不貞腐れたように整える後輩が横に並ぶ。暗い空を仰ぐ後輩に倣って、一口分の煙を吐いた。
「吸っている理由はね」
「はい」
よく澄んだ返事は、耳にとても馴染む。君は良い声もしているな、と心の内に秘めて、慈しむように細めた目を向ける。
これは、後輩と同じ問いをした自分が
あの人に言われた答えだ。
「いつ死んでもいいと、思っているからだよ」




