感情400万円
『怒り――60万
楽しみ――90万
哀しみ――120万
喜び――130万
これらは全て、自らの感情を担保にした際の額であり、性格や外見、人望などは金額に一切関与しない』
日本の技術も随分と発達し、新しい闇金組織が作られた。お金を借りる代わりに、自分の感情を組織に預ける、というシステム。
いったい、どういう技術が使われているのか、組織にとってなんのメリットがあるのか、一般市民の俺には全く分からない。
だが一度預けた感情は、借りた時の倍額を出さねば取り戻すことはできない。どんな手を使っても、金がなければ絶対に。本人は、まるで突然無関心になったかのように、本来あった筈の感情表現をしなくなる。
政府はこれを、良いとも悪いとも明言していない。だから、使った奴街中でたまに見かける。そんな奴らを目にするたび、思わず嘲笑してしまう。使わされた側なのだろうか、と。
「私、この感情を預けちゃったら……亮の隣にいること、幸せだって思えないのかな?」
俺の肩にもたれかかる女が、小さく呟く。こいつにはもう『喜び』の感情しか残っていない。怒りも、楽しみも、哀しみも、俺が全て金に変えさせた。
髪をくしゃっと撫でながら、安心させるように更に抱き寄せる。
「俺がちゃんと幸せにするから、関係ないよ。大丈夫」
「ふふ、嬉しい。約束だよ、亮」
そんなやり取りをした翌日。俺たちは闇金組織へと足を向けた。至って普通のこじんまりとした事業所だ。中に入ると、スーツ姿で愛想の良い男が俺をちらりと横目で見てきた。しかし特に何かを言及するわけでもなく、女にとっては4回目となる案内や説明を受ける。
「――っていう感じなんだけど、お姉さんは残ってるの、あと『喜び』だけだよね?」
はい、と答えた女の肩が、小刻みに震えていた。怯えているか、不安がっているか。眉尻を下げて視線を合わせてくる女に、まぁ当然の反応だよなと思いつつ柔らかい笑みを見せた。
「喜びの感情は130万との取引。お姉さんさえ良ければ即刻始めさせていただくけど、大丈夫かな?」
「…………いや、やっぱり私、やめたい……」
女が肩を震わせたまま、俺の胸元に顔を埋める。あーあ、まったく。どいつもこいつも、どうして直前になるとこうもワガママになるものか。
ぎゅっと抱き締めた。片手で頭を撫で、片手で腰をゆっくりとさする。この行為に勘違いをした女が一息ついて、油断をした瞬間に、無理やり引き剥がした。
両肩を力強く掴み、食い入るように目を見つめる。一片の笑顔も見せずに、乱雑に言葉を吐き捨てた。
「やめんの?」
女が息を飲んだのが分かる。
驚きか、恐怖か。声は詰まっている様子だ。
「なぁ、やめんの?
俺の為に何でもできるって前に言ってたよね。あれ嘘だったわけ?」
口をパクパクとさせてる。金魚みたいな女だな。そう考えたら、少し笑いそうになってしまった。
「やめたいならやめれば?
でもそうすんなら俺との関係も終わり。わかってんだろ」
目に涙を溜めた女は、ようやく、といったように掠れた声で「ごめんなさい、やります」と絞り出した。
そうだよ、それでいいんだ。にっこり笑ってやると、女も心なしか笑顔になる。もう一度、そっと抱きしめて耳元で囁いた。
「約束通り、俺がお前を幸せにするからね」
小さく頷いたのを確認して離れる。闇金組織の男はこのタイミングで、女を別室に案内するべく立ち上がった。
*
誰もいなくなった部屋で、椅子にもたれかかって重いため息をついた。ほんと、女の相手って疲れる。黙って感情預けて金だけ寄越せばそれで良いのに。
まぁ、簡単に言うこと聞いてくれるような奴、いるわけがないから仕方ない。今頃感情を失くされている女と、おかげで手にできる大金を想像して、ほくそ笑んだ。
そのまま20分程おとなしく座っていると、ようやく別室から女と男が姿を現した。無表情の女は既に札束を手にしている。俺は隣に座ろうとした女から、札束をぶんどって席を立った。
「じゃ、俺帰るから」
「え? ちょ、ちょっと待って、一緒に帰ろうよ」
「なんで一緒に帰んの? 悪いけど、もう金のないお前に用がない。俺とお前は恋人じゃない。わかったか?」
女の顔は無表情のままだ。瞳を震わせ、何も言わないまま俺と視線を交わらせてくる。だけど俺はそんなことより、手に入った大金の使い道をどうしようか、今すぐ帰ってじっくり考えたかった。
「感情なんてもう無いんだから、俺と別れたって何も思わないだろ? じゃあな、もう2度と話しかけるなよ」
早速、次の女を探し出さないとな。女と男に背を向け、そんなことを考えながら事務所を出ていく。
この金もどうせすぐ無くなる。そのときのために、金を出してくれる女を用意しておかなければ。
女も可哀想なもんだよ、感情を預けるシステムなんて生まれなければ、こんなに便利に扱われることなんて無かったのかもしれないのに。……いや、そういう女はこんなシステムがなくても、どうせ便利に扱われるものか。
じゃあ、俺のやってることは普通だよなぁ。
さて、この金の使い道はどうしようか。ブランドの時計を買おうか、スマホの機種変をしようか、新しい車を買う資金にしようか……。
女に吐き捨てた言葉も、ましてや女の存在さえも。俺の頭からはとっくに消え去り、今は手の中の大金しか目に入らなかった。