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喫茶『Stern』 〜 月曜日の珈琲 〜  作者: 夏川 流美
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初恋異常症候群



――もう、いいの?



――もう、いいよ。




 崖から見下ろす海の広さとやらは、どうしてこうも、恐ろしい。


 夜空を映す波は「真っ暗闇の底まで早く来いよ」と煽るように激しく狂い踊り、潮の匂いを運ぶ風は「そこに居られると邪魔なんだよ」と背中を押すように音を立てる。



 覚悟が決まらず、溜息を落とした。目頭が熱くなる。視界が揺れる。


 終わらせたくない生活。終わらせたくない日常。終わらせたくない、俺たちの、世界。




「大丈夫、夜明けまで時間はたっぷりあるから」



 

 手を暖かく握り、隣に立つ彼女の微笑みを月の光が照らした。指先からじんわりと伝わってくる熱を、強く、強く、ありったけの思いを込めて彼女に返す。




「いいや、夜明けは待たずに、いこう」




 わかった、と答えてくれた声が風に(さら)われていった。



 ひときわ大きな波が立った。










。・○ 。・○



 振り返ってみれば、長かった。





 年齢イコール彼女いない歴。そう言われて笑われる人生を過ごしてきた。でも、仕方なかった。だって俺は誰のことも好きにならなかったから。1回だけされた告白も、好きじゃないから振った。


 後悔はしていなかった。こんな俺がいつか人を好きになるなんて、考えられなかった。恋愛という感情だけを、胎内に置いてきてしまったのではないかと思えるほどだった。



 そんな俺が、初めて恋をした。会社そばの飲食店で働く、眩しい笑顔の彼女だった。恋愛なんて知らなかった筈なのに、一目で恋に落ちた。


 だけど、そう。恋愛なんて、知らなかった。正しくアプローチする方法も、正しく恋する方法も、正しく関係を持つ方法も、今更何も分からなかった。


 いくらネットで調べても、知り合いに聞いても、上手くいかなかった。しっくりこなかった。



 どうしようもなくて、誘拐した。

 仕事を辞めて、監禁した。

 その頃の彼女は、酷く怯え、そして怒り、俺を心の底から嫌っていた。



 何度も謝った。何度も何度も、何度も地に頭を擦り付け、謝罪した。彼女を怯えさせたかったわけでも、怒らせたかったわけでも、ましてや嫌われたかったわけでもなかったからだ。



 彼女は、正しい恋愛の仕方を教えてくれた。だが、それは遅かった。誘拐監禁した俺に、もう正しさは通用しないと分かっていた。ここからは出せない、そう言って首を振れば、彼女はいつしか、黙ったまま哀れんだ目でこちらを見るようになった。



 そして彼女が話してくれるようになり、笑うようになった。俺のために料理を作り、家事をこなし、鍵の開いた玄関から出ることを拒んだ。


 そこに、悲しみも苦しみも存在しなかった。嬉しかった。好きな人と一緒に過ごしている、これ以上の幸せがあるのかと感動した。いつまでもずっと、大好きだった、愛していた。



 長く続かない世界だと、分かってはいたけれど。



 彼女が行方不明だとニュースになってから、容疑者として俺の顔がテレビに映るまで、ものの数週間だった。この生活を終えるには名残惜しいくらい、あっという間だった。


 俺に残された道は、逮捕されるか、死ぬか。その2択しかないことを、当然彼女も分かっていただろう。言い出したのは、彼女だった。



――ねぇ、一緒に逃げちゃおうか。浦島太郎みたいに、海の底の竜宮城で私たちの生活をやり直そう。




 俺は迷うことなく、頷いた。

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