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喫茶『Stern』 〜 月曜日の珈琲 〜  作者: 夏川 流美
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誰かのいない人生

「君の人生に、僕はいなかったんだ」



 私を前に見据える彼は、泣きそうな顔をしてそう言い放った。はて、彼は何を言っているのだろう。首をかしげ見つめ返すと、潤んだ瞳で柔らかく笑った。





 彼と出会ったのは、蝉の鳴き声がけたたましく響き渡る田舎のお婆ちゃんち。濃い青空と、川のせせらぎ、青々とした草木が揺れる、そんな田舎。おばあちゃんの元を離れてひとり、林の中にある秘密基地へと足を運んでいた。幼い頃に友達と作った秘密基地は、近所の子供たちに代々受け継がれていることを知っていた。誰か改良しただろうかと、定期的に見に来ること楽しみにしている。


 長い草をかき分けたどり着いた先、段ボール箱で適当に形作られたその場所には、ひとりの青年がいた。私と同じくらいの年に見える。夏のように色濃くて、でも吸い込まれそうな澄んだ瞳と目が合った。考えなしに口をついた「あの……」という言葉は、何故か彼とハモってしまって。ふたりきりの空間で声をあげて笑った。


 ――そんな出会いだった。




「どういうこと?」



「君の記憶は、僕の叔父が改変した。覚えていないと思う。半ば誘拐するように君を車に乗せ、記憶をいじる機械の実験台として使ったんだ」



 彼が喋るごとに脳が混乱した。記憶の改変、誘拐、彼の叔父?


 どれもこれも覚えていない。彼に叔父がいたことさえ今知った。そもそも、記憶を改変するとか、実験台とか、非現実的すぎて信じられないし……二次元の話でもされているみたい。


 一層深く首をかしげて眉根を潜める。気まずそうな顔で地面に視線を落とした彼は、唇を噛み、上目遣いで私を見つめた。どきっと心臓が一際大きく鼓動した。息が詰まりそうなくらい、強い圧を感じた。



「僕と君の思い出は、全部叔父によって作られた偽物。存在しない日々。僕と君は、最初から今もずっと赤の他人なんだよ」


 ただただ信じがたい話を並べられても、困る。私の記憶には、こんなにも鮮明に彼との日常が残っているのに。それを偽物だとか、存在しないだとか。


 そう思って反論しようとするけど、彼の周りに漂う、どこか悲しげな空気に押されて、私はやっぱり何も言い返せない。



「叔父はこの実験結果に満足している。だからもう、元の日常に戻ろう。僕と君がお互いに、知らない人のままだった人生を歩もう」



「どうしてわざわざ……知らない人に戻ろうとするの? 思い出がもし本当に、作られたものだったとしても……これから友達として思い出を作っていけばいいと思う、ん、だけど……」



 彼は嬉しそうに表情を和らげ、だけどゆっくりと首を横に振った。



「僕たちのせいで潰してしまった時間があるんだ。それをそのままにはしておけない。今は僕との思い出が鮮明だからそう思ってくれているのだろうけど、君には、もっと大事にしなければいけない過去があるよ」



 優しい声色は胸の奥底にすとんと落ちてきて、そこに居着いた。離れるのは、忘れてしまうのは、消えてしまうのは寂しい。けど、私の記憶から失われた本物の記憶が存在するのならば、確かにそっちを大事にしたいし思い出したい。


 こんなにもあっさり、別れを選んでしまう私は薄情なのかもしれない。指先がちくり、痛むような心苦しさは持っていたが、彼の言葉に素直に頷いた。





 そうして彼に連れられて、機械のある場所へとやってきた。彼の叔父は当然私を知っている様子で話しかけてきたが、私は彼の叔父に対する一切の記憶もなかった。


 いくつもの線が伸びたごついヘルメットを装着する。余計ひどい目に遭わされる可能性も一瞬疑いはしたが、ここまで来ていたら逃げられないと覚悟を決めた。厚みのあるヘルメットだが、存外、声はよく聞こえ視界も良好。



「それじゃあ、機械を作動させるよ」



 彼の叔父が淡々と宣言する。機械が作動の準備をしている、複雑な音が頭の上から聞こえ始めた。不安げに見守ってくれている彼。折角なら最後に、伝えたいことがある。



「「あの……」」



 慌てて出した声は、言葉は、見事に彼とハモってしまった。互いに目を丸くして一拍おいたあと、堪えきれずに笑い出す。





 彼の、夏のように色濃くて

 でも、吸い込まれそうな澄んだ瞳が楽しそうに崩れる。




 あぁ、良い思い出ができた、と思ったその瞬間

 まるで思い切りビンタでもされたような強い衝撃とともに

 私は、意識を失った。

 

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