日常の中
バイトが終わったのは、街の灯りがぽつぽつと消え始める時間だった。その日のニュースは、台風による被害を大々的に報道しており、いつ私の地域に避難勧告が出るかも分からない状況だ。
お疲れ様でした、と店を出た途端、夏特有の生温い風が全身を撫でた。それは、いつとも変わりのない風だと思う。
しかしどうしてか、口元に布を押し当てたみたいに息苦しく、そして得体の知れない不気味さに襲われた。
空の中の飛行機の音も、道を歩く私の足音でさえも、どこか遠くに、でも耳元に感じて。
ぞわりと足元から鳥肌がたった。氷を触れているように指先だけがひやりと冷たかった。
曇天の空。灰色の雲の隙間から、誰かを覗くように顔を出す月の影。なぜだろう、まるで笑われている。ひとりで怯えている私を見下ろして、にまにまと目を細めている。そんな月が見えた。
風が大きく草木を揺らした。荒れた髪の毛を抑えて思わず目を伏せる。すると固まっていた背筋がふっと緩み、心に澱んでいた不気味さ、不安、恐怖のどれもが、消え去っていった。
連れていってくれたのだろうか。
風が? まさか。
自分の考えが可笑しくて、口元に手を当て人知れず笑う。空を見上げると、月はすっかり隠れ、灰色の雲が逃げるように流れていた。
束の間の幻想の話。




