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喫茶『Stern』 〜 月曜日の珈琲 〜  作者: 夏川 流美
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【喫茶】Stern、ここは

 翔真の話を聞き終わった僕は、口を開いて真っ先に質問を飛ばした。



「翔真さんが死んでるって……どういうこと、ですか?」


「え? どういうこともなにも、そのままの意味だけど……」


「じ、じゃあ、今僕と喋っている翔真さんは幽霊なんですか!?」



 テーブルに乗り出す勢いで詰め寄ると、またも目をまんまるく見開いて、驚いた様子の翔真。どういうことなんだ、店長とも僕とも普通に会話しているのに、もう死んでいるだなんて。


 どうどう、といった仕草で僕を落ち着かせようとしてくるので、大人しく椅子に座り直す。困ったように苦笑いをこぼし、何てことないように翔真は告げた。



「死んでいる、幽霊だよ。オレも、他のお客さんも、それからお兄さんも」


「…………僕、も?」


「お兄さん、覚えてないの? それとも、まさかお兄さんだけは生きてるなんてこと、ないよね? この喫茶店は、死んだ人が来るところなんだから」



 一気に告げられた情報に、目が回りそうな感覚。翔真だけじゃなくて、みんな死んでいる。しかも僕も死んでいて。この喫茶店自体が、死の世界に存在している、と、いうこと?


 言葉が出ない。指先が冷たく感じる。おかしい。分からない。そんな筈ない。僕はただ、この店のコーヒーを気に入って。この店の雰囲気の中で小説を書きたくて。それだけの気持ちだった、筈だよ、な?



「正しくは、生と死の狭間に在る、喫茶店というほうが良いかもしれませんね」



 いつの間にか横に立っていた店長が、優しい声で僕達に話しかけてくる。他の客の騒めきが消え、店長の言葉が店内に、記憶の中に入り込んでいく。




「お昼営業では生者のお客様にご利用いただいております。ただいまのお時間、夜間営業ではお客様のような……亡くなっていらっしゃる幽霊の皆様にご利用いただいております」



「娯楽としてご来店くださるお客様もいらっしゃいますが、多くのお客様は翔真様のように、理由や目的があってご来店くださることばかりです。おそらく、信也様も何か理由がおありではないですか?」




 その説明を受けて僕は、抜け落ちていた記憶がパズルのピースみたいにぴったりハマって、戻ってくるような感覚がした。でも、全部じゃない。



 ひとつ。確かに僕は死んでいたこと。


 全身に転移した癌を治すには、もう手遅れだった。長い闘病生活を経て、延命措置をやめるようお願いして死を選んだ。もう苦しむことに疲れていた。光などない未来に手を伸ばすことを諦めた。どれだけ欲しても、僕に未来は手に入らないものだと散々知ったから。



 そして、もうひとつ。


 この喫茶店がどういうものか。店長の説明通りだったな、という理解。だから僕はこんな夜遅くに喫茶店に寄った。それは、幽霊のための営業時間が夜だから。


 だけれど、どうしてここに寄ったのか。なぜここに寄り続けているのか。僕が喫茶店でしたかったことはなんだ。ただ小説を書くことだけなのか。書くことに何か未練があったのか。目的はなんだ、理由はなんだ、思い出せない。絶対に何かあったはずなのに。





「――さん、お兄さん」



 ぽんぽん、と肩を叩かれ、正常な意識を取り戻した。目前に、ひどく心配そうに顔を歪めた翔真がいた。不思議と安堵を覚え、おもむろに息を吐き出す。



「大丈夫? すごく辛そうな顔してた」


「…………分からないんです。確かに僕が死んでいることと、この喫茶店のことは思い出しました。でも、僕が何でここに来たのか。どうしてここで小説を書き続けているのか。それだけがどうしても思い出せない。絶対に理由があった筈なのに……」



 喋っていくうちに湧き上がった悔しさに、膝の上で拳を握りしめた。視線を落として、眉間にシワを寄せる。瞼の裏が熱くなっていく。



「大丈夫だよ、お兄さん。ここに来たことに何か理由があったのなら、今忘れてしまっているのも何か理由があるんだよ。だから、そんなに思い悩まないで。ちゃんと思い出せる。それにお兄さんは今までみたいに、素敵な話を書いてるほうが似合ってる」



 翔真の穏やかな甘い声と、慰めてくれる言葉選びひとつひとつに、僕の苦しみが溶けて曖昧になっていくようだった。


 堪えきれず落ちていった一粒の涙だけを許し、服の袖で目元を強く拭った。力の抜けた笑顔を作って、お礼を述べる。



「ありがとう、ございます」



 まるで見守るように、目を細め優しく微笑んでくれている翔真に対し、僕は深い感謝を抱いた。

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