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喫茶『Stern』 〜 月曜日の珈琲 〜  作者: 夏川 流美
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代用品で「いいの」

「りょーくん、って呼ばれるのが好きなんだ」



 付き合い初めて1日目。ずっと凌太(りょうた)と呼んでいた彼から、そう言われた。


 ここにきて突然、呼び方を変えるのもおかしな話かと頭をよぎりはした。でも彼がそう望むのなら、それが好きだというのなら、呼び方くらい変えてあげたいと思った。



「じゃあこれから、りょーくんって呼ぶ!」


「ありがと、嬉しいな」



 ふわりと微笑む大好きな彼の声が、あまりにも優しい。じんわりと脳に響いて、私の胸を高鳴らせた。







 付き合い続けていくうちに、私の好みはまるで変わった。友達にも家族にも、趣味変わったのか聞かれるほど。


 それもそのはず。



 ズボンしか履かなかった私は、膝丈のスカートを好んで履くようになった。モノトーンコーデばかりだった私は、淡いピンクやベージュの女の子らしい洋服を好んで着るようになった。


 動きやすいから、とスニーカーしか持っていなかったけれど、スニーカーはほとんど履かなくなって高さのあるヒールを履く。胸元まであった髪の毛も、さっぱりとしたミディアムボブまで切って栗色に染めた。


 それから、お揃いにしたい、って言われて開けた軟骨のピアス。最近は銀のピアスを着けている。



 どれもこれも、彼のためだった。彼が好きだと言うから、私も好きになった。彼の好みに合わせると、嬉しそうに「可愛いね」と褒めてくれるから、私も嬉しかった。


 名残惜しかった髪型さえ、彼が愛おしそうに撫でてくれる今となってはどうでも良くなっていた。




**




 待ちに待った週末、彼とのデート。行き先は私の希望で、近場のショッピングセンターにした。まずは軽く見回った後に、お昼にしようとフードコートで席を取る。


 私がまとめて彼の分も買うことになり、ひとりで店に並ぶ。同じうどんのセット。トッピングも同じ。これはわざとじゃない、好みが被っただけ。



 有名店なだけある。ぼんやりと並んでいても、なかなか列は進まない。メニューに目を移し、つい心が揺らいでしまいそうになった。


 メニューから意識を逸らすために、スマホを弄りつつ待つ数分間。ようやく自分の番が来て注文すると、出来上がるのはあっという間だった。


 2人分を盆に乗せて、彼が待っている席へと、ゆっくりゆっくり運んでいく。こぼすわけにはいかない。そんな責任感をひとりでに抱きつつ、ようやく彼の席が近付いてきた。そんな時。




「あれ、りょーくん!」




 私の横から、ひとりの女性が彼へと駆け寄った。彼は私に気付いていないのか、女性に対して柔らかな笑みを浮かべる。なにそれ、私の知らない、表情の作り方。


 はやる気持ちを抑えて、とにかくうどんを無事に運び終えることを優先する。2人の話し声が聞こえる距離になると、今更彼が私に目を向けた。



「あっごめん、ありがとう。助かる」


「大丈夫だよ。それで……お友達?」



 そう問いかけながら盆を置き、女性のほうに向き直る。瞬間、私の心臓は息をすることを忘れ、脳内が眩しく点滅した。



 丸くて大きいタレ目。困っているみたいな眉。女性の中でも一層小さい輪郭。ふっくら赤い頬と唇。


 一目見て、可愛い、と感じる。そんな顔のパーツ。だけど、私が何より目を奪われたのはそこじゃない。



 栗色のミディアムボブ。淡いピンクの膝丈スカート。高さのあるヒール。


 それから、

 彼と同じ位置に開いた、軟骨ピアス。




 どくん、と全身が音を立てた。


 手足が小刻みに震え、冷や汗が背中を伝う。作ろうとした笑顔は、ロボットみたいにぎこちない。



 得体の知れない感情、恐怖。不安。恐怖。恐怖。怖い。怖い。怖い。怖い。









「彼女は、俺の元カノ」




「――イヤ!!!!!!」




 思わず逃げ出した。彼の引き止める声がしたけど、足は止められなかった。すれ違う人々の視線が突き刺さった。だけどそれ以上に、私の心で何か崩れてしまいそうな気がして、頭が痛くて、怖かった。



 あの女性、私より何倍も可愛い。スタイルも良くて華奢で、色白だった。しかも2人、別に険悪な雰囲気じゃなかった。変な別れ方したわけじゃないんだ。なにそれ、なにそれ、そんなの聞いてない。


 私と共通点ばっかりあった。髪色、髪型、スカートの丈も、ヒールも、軟骨ピアスも。全部全部共通してた。



 彼の好みに合わせたから?

 あの女性も彼の好みに合わせたの?


 それとも、

 あの女性が彼の好みなの?

 あの女性の代わり、だったの?



 駆け込んだ先は人目のつかない、トイレの個室。しゃがみこんで頭を抱えた。


 答えが知りたい。でも知りたくない。知ったら戻れない気がする。私、私は、彼の彼女だよね。このままの関係でいたい。いたかった。何も知らないままで良かった。全部勘違いだったら良いのに、きっと……勘違いじゃ、ないんだろうな。



 スマホが鳴る。彼からの電話。私は個室を出て電話を取った。



「どうしたの。どこにいるの?」


「ねぇりょーくん。…………りょーくんの恋人は、私だよね?」


「突然どうしたの。そんなの当たり前でしょ、俺の彼女は君だけだよ」


「私だけ…………。わかった、ありがとう。今戻るね」



 通話を切る。目元を指先で拭う。


 大丈夫、彼の彼女は私だけ。そう言ってもらえたから、もういい。悩むことも、不安がることも、怖がることも、もうしなくていい。


 だってりょーくんが、ああ言ってくれたんだもん。






「ごめんなさい、突然いなくなっちゃって」



 フードコートに戻ると、元カノの女性はまだその場にいた。でも、同じことに気付いてるのだろう。私の身なりを見て顔色を変えた女性は囁くように、私だけに向けて「いいの?」と聞いてきた。



 その問いに返すために、彼の腕に絡みつく。それから、迷いの吹っ切れた私は遠慮なく笑って答えた。





「いいの。

 りょーくんの彼女は、私だけだから」

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