崖の下
崖の下は、絨毯のような芝生に覆われた広い草原だった。
午後の日差しは青々と茂った草をキラキラと光らせている。
おとなしい草食動物たちは、ゆっくりとほのぼのとした生活を楽しんでいる。
物体が地面にぶつかる音がズドンと響くと共に、ここの静けさが破られた。
ヒュプは[スヤー]を解除して、優しくタナの頭を撫でている。
「タナ、目を覚ませ。もう大丈夫だ」
タナは目を開いて、心が宙にあるようにそわそわ興奮する。
「うわっ!本当だ。ヒュプちゃんすっごい!あんな高いところから無傷なんて。ビックリした」
「アハハ~、タナが無事で何よりだ。ところで、タナ。さっきからお兄ちゃんになっているぞ」
「へぇー、そんなことあったけぇ?ゲームの中ではあたしの方が姉だよ。さぁ、早くお姉ちゃんって呼んで」
「るっせえ!」
姉妹二人がふざけている間に、急にメールの通知音がタナの耳元に流れ込む。
『セツナからメールが届きました。[読む][取消]』
「あ、セツナからのメールだ」
――――――
テーマ:無い
二人共、無事か!!!!!
送信者:セツナ
――――――
「えへっ、無事だったことを言い忘れちゃった」
「セツナさんたちが心配するぞ。早く返事を」
「うん、分かったよ」
『心配かけてごめん。あたしたちは無事だった。ボスの退治は今夜にしていい?ごめんなさい、ヒュプちゃんと一緒にしたいもの』
返信が終わって、タナは地平線まで続く放牧地を眺めて尋ねる。
「ねぇ、ここってあたしたちがゲームを始めた時の草原と似てると思わない?」
「そう言えば、確かに似てるな。でも、その言い方って、まるで大昔のことみたいだね」
「あたしにとって、ヒュプちゃんと一緒にゲームを始めた大切な日だ。今日は初ゲーム五日の記念日だよ」
「アハハ~、五日の記念日って聞いたことがないぞ」
「もう、ヒュプちゃんだら。せっかくのチャンスだもの、一緒に探険しましょう~」
「えっ、俺はいいんだけど、お前ってセツナさんたちと合流しなくても大丈夫?」
「大丈夫よ。皆はちょうど用事があるもの~」
「なるほど。じゃあ、一緒にやるか」
「うん、ヒュプちゃん大好き。じゃあ、早くパーティーを組もう」
『タナからパーティー申請が届きました[承認][拒否]』
『パーティーに入りました』
二人は草原を話しながら歩いていく。十五分程歩いたが一匹もモンスターに遭遇することは無かった。
「索敵のスキルがないと大変だ、早くクロムちゃんを呼び出してくれよ」
「それは無理だ。一度カードに戻したら、六時間以内に召喚できない」
「えええ!そんな…」
青空と繋がっている広い草原を眺めて、タナがヤケになって叫ぶ。
「何処をみても草原しかないんだよ。もうダメだ!」
「ん……」
躊躇っている時、ある動物の鳴き声が耳元に流れ込む。
「メェェメェェって、羊だ。こっち」
「ヒュプちゃん、待って」
二人はその声に向かって走ると、ある小さな丘になっており、そこを登る。
丘の下に全身がふわふわの体毛に覆われた羊の群れがゆっくりと暖かい日光浴を楽しんでいる。
綿菓子の海のような羊たちが目に入ると、ヒュプは即座に興奮してワクワクする。
「おおお!羊たくさん見っけ。タナ、早く羊さんと遊ぼう」
ヒュプはタナの手を取って、うきうきして丘の下へ走り出す。
「ヒュプちゃんってば。敵の動きパターンはまだ分からないよ!」
「あんなおとなしい子なら、きっと大丈夫だ」
ヒュプが思った通り、羊たちの行動パターンは攻撃を受ければ全員反撃してくるリンクだ。
悪意を持たないヒュプたちに対して、嬉しげにメェェと鳴きながら近づいて来る。
ヒュプはそのもふもふの体毛を触ると、柔らかな感触が掌に返ってくる。
「うわぁ!すげふわふわだ。アハハハ~」
純真無垢な笑顔を見て、タナは苦笑いを浮かべる。
「全く、この幼女とさっきカッコイイお兄ちゃんって本当に同一人物なの?まぁ、どっちでも大好きだもの」
「えっ、タナ、なんて言ったんだ?羊さんと一緒に遊びたくないか?」
「今すぐ行く。あっ、その太い羊さんはあたしのもの!」
「遅い!もう俺のまくらになったぞ」
愉悦に浸ると時間の流れが速くなる。あっという間に一時間が過ぎた。
モフモフを充分に満喫したあと、タナが尋ねる。
「ヒュプちゃん、羊さんを封印したいでしょう?」
「そうだ。クロムたちは確か白い方が好きだけど、羊さんで満足できるかどうかが全く分からん」
「全く、一体どっちがマスターなのよ。まぁ、これもヒュプちゃんのいいところだ。心配する必要はないよ。クロムちゃんたちは、きっと羊さんが好きだよ。根拠があるんだもの」
自信ありげににっこり笑っているタナを見つめて、ヒュプが尋ねる。
「ほほ~、結構自信あるね。根拠ってなんだ?」
「では、タナ先生の分析が始まるよ!ちゃんと聞いてね」
「了解!(お前はこういう設定か?)」
「まず、クロムちゃんはフクロウだ。フクロウって昼間はずっと寝てる夜行性生物だよね」
「確かそうだけど、クロムは昼間が全然寝てなかったぞ」
「やかましい!おとなしくあたしの説明を聞きなさい!」
「はい、ごめん」
「次、フィユちゃんはパンダだ。前に上野に行った時。そのパンダちゃんは丸一日ずっと寝てたんだよね」
「そうだ。あの時、俺はわざわざスタッフにパンダのことを聞いたんだ。でも、羊さんと関係あるか?」
「勿論関係あるんだよ。ヒュプちゃんの名前は眠の神ヒュプノスの略称。そして、そのチート見たいな[スヤー]も眠る専用のスキルだ。クロムちゃんたちは全部よく眠る子だよ。つまり、三つ目の子は…」
タナはここまで言ったらわざと止めて、モフモフの羊を指しながら声を上げる。
「不眠症患者にとって、希望の光ぃぃ~羊ダァァァァ!」
このダジャレみたいな結論がタナの口から出ると、周りの雰囲気が一気に冷めていた。
羊たちのメェェメェェという鳴き声しか聞こえない。
ヒュプは唖然としてジーっとタナを見つめる。
「どう~、あたしの分析は」
「あの、タナの夢は確か菓子職人だよね。まさか、ダジャレ芸人に変わったわけじゃないよね?」
「な、な、何バカなことを!せっかくあたしは助けてあげたのに!もう、ヒュプちゃんのバカ!」
泣き寸前の顔を見せたタナを目にすると、ヒュプは慌てふためいている。
「ごめん、ジョーク、ジョークだぞ!タナの言う通り、三つ目の子は本当に羊さんであるかも。お願い、泣くなよ!」
お詫びの言葉が聞こえると、タナは顔が一転して小悪魔のような笑みを浮かべる。
「ふふふ~、こっちも冗談だよ~、ヒュプちゃんはまだまだ甘いよ。さぁ、早く羊さんのカードを取りに行こう!」
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