第一章3 ライアー
大昔、アニムスへルムでは人族の国と魔族の国があった。
この隣あった国はとても仲が悪く、幾度となく悲惨な争いが繰り返されていた。
初めこそ互角だった兵力も、狡猾で非道な魔王が相手では部が悪く、一戦また一戦と戦う毎に戦力は削がれていき、決定的になったのは勇者の不在。そして災禍の者の存在だった。その残虐な侵略に人族はなすすべなく大敗した。
これを後に人魔大戦と呼ぶ。
大地は荒れ、草木は枯れた。死にゆく同胞を見つつ、人族はいずれ訪れるであろう天啓の日を信じ、神に祈った。
天は人族に祝福を与え、人族の中に勇者が現れた。
勇者はその豪然たる破魔の力はひと振りで数百、数千の魔族を薙ぎ払い、癒しの力は全ての人族を癒した。そして勇者は災禍の者と魔王軍の指揮を執る魔王を打ち破った。
魔族は散り散りとなり暗黒の世はついに終わりを迎えた。人の世は平和を取り戻した。
その後、互の為に種族間での不可侵協定が締結された。
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要約するとこんな感じの授業だった。
長い割にあまり内容がなくて退屈だったが、この世界の歴史を教えてくれるのは助かる。
先の大戦を終えて不戦協定を結んでから随分と経っているが、人族と魔族と間には未だに遺恨が残っており『人非ざるは悪であり罪である』などと言う差別を煽る言葉もあるようだ。
まぁそれも想定内だ。なんせ前世で知っているアニメやゲームでは魔族のせいで虐げられる人間や人間に貶められる魔族を嫌ってほど見てきた。もはや古典かと思うほどのテンプレ。
ソフィアからある程度話をされていたから理解はしているつもりだったけど、こうやって授業で目の当たりにすると、世界平和なんて無理じゃね。とすら思えてくる。救世主の実感なんて全然ないっていうのに、このテンプレほど嬉しくないものはない。この世界に希望なんてあるんですかね。
「また難しい顔をして、どうかしたかい? アルク」
呆れたように覗き込むのは、緩やかな癖毛で亜麻色の髪をした優しげな目、瞳は茶色。背格好は俺とほぼ同じ位の男の子だった。
「ライアー。大したことじゃないんだ。少しさっきの授業について考えてただけだよ」
ライアーはすぐにその整った顔を歪めると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「……さてはさすがのライアー君でもあれだけ長い歴史の授業は堪えたかな? 」
「うん、確かに勉強にはなるんだけどね。同じ姿勢ばっかり続けると流石に体が痛いよ」
「わかる。ってか案外お前おっさんぽいんだな」
「な!? おっさんって何!? 僕がおっさんだったらアルクも一緒だよね!! 」
「は!? お、オッサンじゃないし! ピチピチだし! 」
「ピチピチって……。もういいよ、結局なんで難しい顔してたんだい? 」」
危ない危ない。ついついムキになってしまった。俺は咳払いを一つして、
「さっきの授業だけどさ、ライアーは魔族についてどう思う? 」
神妙な面持ち腕組をし、うーんと考え始めるライアー。
「魔族……。そうだね。やっぱり怖い、かな」
そうだよな。と少年に返答をしようと口を開こうとすると彼は待て、と手で遮った。
「ただ僕は人族にも善人、悪人がいるように、魔族にも善人や悪人がいると思うんだ。だから自分と違うから怖いとか、嫌いだとかそんな偏った考えにはなりたくないな。僕には魔族の知り合いがいないからね」
優しげに微笑みを浮かべたライアーに少しだけ、ほんとーに少しだけ励まされた気がした。俺はライアーの頭をぐしぐしと撫でると、
「な、なんで頭を撫でるんだい! そ、それより僕の考えばかりじゃなくてアルクはどうなんだ? 人のことばかり聞いて不公平じゃないかい? 」
心底嫌がりつつ、俺の腕を掴むとライアーは訪ねてくる。
「俺もお前と似てるぞ。魔族とはお友達になりたいかな。なんだか面白そうだし」
あんまり会いたくないっていうのが本音だけど、仲良くなることに問題はないはずだ。
俺が至って真面目にそう言うと、ライアーは、え!? と素っ頓狂な声を上げると、目をぱちくりしてこちらをまじまじと見てくる。だが、俺が本気だと悟った彼は呆れたように首を横に振る。
「……さすがアルクだよ。僕の考えの及び知らぬ発想を君はするよね。悪いことは言わない。早く診療所で頭を見てもらってきなよ」
「おい! それじゃまるで俺の頭おかしい奴みたいじゃないか! そもそもお前の考えだって大差ないだろ! 」
「全然違うよ。物事には段階があるんだ。いきなり順序を超えて友達になんかなれる訳ないよ。アルクは頭がおかしい奴みたいじゃなくて実際にそうなんだよ! アルクの他にそんな発想の人間が居たら見てみたいよ! 」
「ほう、言ったな! ちょっと待ってろよ! 」
と売り言葉に買い言葉。
我ながら、大人げないなぁとは思うものの、これだけ馬鹿にされては黙っていられない。大人と子供の差ってやつを見せつけなくてはいけないのだ。断じて負けたくないからではない。これが大人の威厳というやつである。
俺は迷いなく、少し離れたところいる、とある人物に声をかける、
「あれー? どうしたのアルク君。私に何か用かな? 」
屈託のない笑みをこちらに向けとたとたと歩み寄るスフレ。この純真無垢な存在を目の当たりにし、勝ちを確信した俺は、ライアーに向け歪んだ笑みを向ける。俺はスフレもライアーにした質問同様に魔族についての率直な意見を聞いてみた。
魔族? と可愛く小首を傾げるスフレに俺はゆっくりと頷いた。
「そうだなー。お友達になれたら素敵だなーって思うかな! やっぱり仲良しが一番! 種族が違うから仲が悪いのってやっぱり寂しいもん! 」
再び、にたぁとした笑みをライアーに改めて向けると、
「うんうん、俺もそう思うよー。だけどね、悲しいことにライアーはそう思っていないらしいんだ。なんだか悲しいよな。俺達みたいに友達になりたいって人間なんか、いやしないって言うんだよ!! な、ライアー!! 」
俺がオーバーにリアクションを取っているとライアーが慌て出す。
「ちょ、ちょっとアルク……」
「……そっか、ライアー君は――。で、でもでも、人それぞれ考え方はあるから! 大丈夫だよ」
ぐっと両手を握り締めてライアーを真剣にフォローするスフレ。それを見てがっくりと項垂れるライアー。可愛そうだし後でスフレにフォロー入れるか……。
「どうしたスフレ。何か嬉しそうだな」
「え、えっと、私の考えってちょっと人と違うみたいで、今まではおかしいおかしいって言われることも多かったんだ! だから共感できる人がいてくれるのって嬉しいなーって」
俺の問に一気に頬を染めつつ、胸の前に手を交差するように伝えてくるスフレ。
そりゃいないだろうな。何ならそれが原因でイジメや仲間はずれになるまであるようなことだ。まぁ田舎だからそう言った常識に皆疎いのかもしれないな。
彼女は同じ考えというが、厳密に言えば違う。
魔族とお友達希望の俺だけどそれは役割ありきの話。俺としては人族と魔族の間で争いさえ起こらず世界が平和ならどっちでも良かったりする。
だがスフレの場合は違う。初対面こそあまりにも良い子過ぎて疑ってかかってたけど、いじめられていたライタに関しても最近になって、仲良くなれるといいなぁと聞いた時は耳を疑った。
忖度や損益ではない彼女の考え方。彼女は本気で友達を作りたいのだ。仲良くなりたいのだ。
だからこそ彼女は誰もが惹かれる眩しさを持つと同時に、それ故の危うさも持ち合わせている。その危うさだけ見ているとまるで儚い一輪の花を彷彿とさせた。
「貴方達は何を騒いでるのよ……」
と同時に俺の頭に衝撃が走る。後ろを振り返るとティアが呆れた顔で立っていた。後の二人の素振りから見るに叩かれたのは俺だけらしい。シスターティア。頭を叩くと細胞が死滅するんですよ。もし俺がおバカになって、結婚相手がいなくなったら責任とってもらいますからね。
「なんで俺の頭だけ叩くんだ!! 」
「あ、つい。で、どうしたのよ」
つい、ではない。
「さっきの授業の話を三人としてたんだよ。やっぱり他の子供がどんな考えを持つのか気になるだろ? 」
ライアーが叩かれることをいつもするからだよっと癪に障ることを言っていたが、一睨みして流すことにした。
「確か、貴方達は歴史の授業よね。ちなみに貴方達はどんな風に感じた? 」
これが他の修道女、大人だったら全く話す気はなかった。
話したところでどうなるか目に見えていたし、それが理解されたいともされるとも思っていなかったからだ。こういった話はティアにもしてこなかったからリスクが大きいのかなとも思ったが、この修道院で一番信頼しているティアだからこそ。彼女がどういう考えなのか確認したかった。
俺は、俺たちが感じたこと、さっき話していたことをティアに伝えた。
「ふーん。そっか、貴方達はそう感じたのね」
だけど彼女の反応はあまりに淡白だった。
「……って聞いといてそれだけかよ」
否定も肯定もせず、少しだけ微笑むと話しを終わらせようとしたから流石にツッコミざるを得なかった。こんな大雑把なところはティアらしいと言えばそれまでだが、全くこの修道女は……。
「あんまりとやかく言いたくないのよ……。そうね、人生の先輩から言わせてもらうと、自分の考えはしっかりと持ちなさい。貴方達の考えは貴方達だけのものよ。他は関係ないわ」
スフレはそれに対してうん! と元気に頷き、ライアーは微笑み返した。
「立場的にいいのかよ。流石に場合によっちゃ不味いだろ」
「う、うるさいわね……。でもね、最近では他種族と友好関係を築くような動きも増えているようよ。ま、領主や司祭に聞かれなきゃ問題ないわよ」
スフレだけは俺達のやり取りにきょとんとしていたが、こればかりは分からなくていい。
「それより折角なんだし外で遊んできたらどう? 子供の特権でしょ」
ばつが悪くなったのだろう、手を払いシッシッという動作をして外で遊ぶことを促すティア。俺とライアーは互いに顔を見ると苦笑いを浮かべ、スフレを連れ孤児院の外のまで出ることにした。
「せっかく時間もあることだし、あの日のリベンジ戦しないか? 」
「リベンジ戦? 」
首を傾げるスフレ。
「以前、アルクに剣の練習に付き合って欲しいって言われてね」
「ライアー君って剣が扱えるんだね。すごいよ! 」
「あはは、ちょっとね。だから最近僕とアルクで木剣の試合をするんだ。前回はたまたま僕が勝ったからアルクはそのリベンジがしたいってことだね」
「なーにがたまたま勝っただよ。いっつも涼しい顔して勝つ癖してさ」
初めて模擬戦をした時は今でも覚えている。
忘れもしない、あの時は木剣を初めて持ったとは言え、それなりに序盤はいい感じで戦えていたと思っていた。
よし、このまま押し切れば勝てると。
だけど、それは俺の浅はかな考えだった。俺の繰り出す剣は尽くライアーに防がれ、流され、躱される。そして何度も何度も剣を打ち合っているっていうのに、その幼い体躯からは想像もつかない程の動き。そして体力。息一つ上がりやしない。
その反面、俺の体力はみるみる減って息が上がって、焦って勝負に出たところに見事カウンターを打ち込まれ、気を失ったのだ。
俺の意識が戻ったとき、『大丈夫? 無理させちゃったね』と心配そうに覗き込むライアーの第一声にはイラっとさせられたものの、前世の記憶が邪魔になることもあると言う事が身に染みた。
単純な話。
俺が彼を子供だからと舐めていた、それだけの話。記憶や知識があろうがなかろうが結局、体が付いていかなければ意味がない。現状自分に出来るのは小手先だけの技しかないのだ。
弱肉強食ということを意識したのはその時が初めてだった。
何処か自分は特別だ。そんな意識がどこか俺を甘えさせていたのだろうか。
このままでは救世主だとしても、いずれ俺は間違いなく死ぬ。
そう思い至ってからは俺は自分の体を鍛えることに本腰を入れた。
効率的な筋トレや体力作り。木剣を振り、空いた時間では走り込み。先のライアーとの練習では足を引っ張った前世の知識は今度は役に立ってくれた。そんな繰り返しを続け、なるべく休まないよう心がけ生活をするようにした。
そして、こんな感じでライアーには自分の成長具合をみるために、こうして模擬戦を挑んでいる。
「じゃあライアー君の方が強いってことなのかな」
「今は確かに僕の方が強いかもしれないけど、アルクは確実に強くなっているよ。そのうち僕を簡単に倒しちゃうんじゃないかな」
「……はいはい」
ライアーが本気で言っていることが分かる。このドが付く程に真面目な少年はオブラートな言葉ではいうものの、こういった嘘はつかない。俺は壁に掛けられていた木剣を投げ渡した。
ひょいと木剣をライアーが受け取る瞬間に俺は走り込み、彼の肩目掛けて真っ直ぐに振り下ろす。だが、ライアーは受け取った木剣で弾かれて瞬時に反撃を受け、無様に尻を地面につけた。
これで俺の負けは何回目になるだろう。