第一章2 スフレ
安定して歩けるようになれるまでには、然程時間はかからなかった。恐らくは前世での記憶があるおかげだろう。
感覚としてはリハビリのようで、実際に歩行の経験があるにしろ少し怖かった。
寧ろ、歩く練習を目撃してしまった修道女達の方が断然肝を冷やしたのだろう。彼女達は真っ青な顔をして、『私たちの居るところでやってよ』と小言をえらい剣幕で言うから、仕方ないわかったよ。とわざわざ修道女の前まで行って練習をしてたら、『ここにくるまで歩いてたら同じじゃない! 』と叱られた。
俺にどうしろと。
それには流石に憤りを感じた。だって俺としては全くもって無茶や無理はしていない。焦ったって仕方がないことくらいわかってる。でも、のんびりとしている暇なんてないんだ。
結局、危険因子と見なされたようでお目付け役が付いたのは言うまでもない。歩行が安定してからは、今度は俺が危ないことをしないか、勝手に何処かへ行かないかとまるで監視のような形で付いていた。だけど、いつまでも小うるさい修道女がまとわり付いて居ては俺に不都合しかない。
なので、隙を付いては修道女の目を掻い潜った。
すると、日に日に修道女が増員されたが、何度も何度もそれを躱すと向こうも根負けしたようで、絶対に危ない真似はしない、と言う約束をして互いに納得した。
そんな取り決めをしたにも関わらず、頑なにティアは俺の見張りをやめなかった。
俺が走ったり言葉を普通に話すくらいの歳になった時、徐々に修道院の仕事の手伝いを一人でさせてもらえるようになった。流石に子供達の中では早い方だったらしく、心配もされたがそこは勝手知ったるラクルスの町。この歳で完璧にお使いを済ませたのが幸いして、何度かお使いを済ませる頃には修道女達も信頼して俺に仕事を任せるようになった。
「こっらーアルク!! 」
いきなり背後から聞こえた声は雷鳴の如く周囲に響き渡った。ぎょっとして後ろを振り返ると、そこには茜色の長い髪をした修道女が腕を組んで仁王立ちしていた。
「ティア、おはよう! だけど今度からは俺の真後ろから大声で叫ばないでくれると助かるよ。驚くからさ」
俺はひと呼吸置いて心を落ち着かせると、ティアに挨拶をした。
ティアは言うほど俺と年が離れている訳ではないというのに最近では少しずつ箔がついていたように感じる。恐怖とも言うかもしれないが。
「うっ、悪かったわ。ごめんなさ――じゃなくて! 何で少しの間も待っていられないのよ」
ティアがプクーっと頬を膨らませ、こちらを睨んでいた。顔立ちが整っている割に行動が少し子供っぽいというか、あぁもうなんていうかさ。
「めっちゃ可愛いじゃん」
「え!? な、何言ってんのよ! ってそうじゃなくって! ポーラさんのパン屋で買い出しに行ってもらうのにお金を持ってくるから修道院の入口で待っててって言ったじゃない!! 」
そう。今日も俺はお使いを頼まれていて、これから俺一人で町のパン屋に買い出しにいってくるのだ。だが肝心のティアはお金を渡すと言って修道院の中に入って行ったきり全然戻らないため、仕方なしに中庭で他の子供達が遊んでいるのをただただ眺めていただけなんだけど……。
「誰かさんが待ってても全然出てこないから、時間潰しに中庭に居ただけなんですがねぇ」
俺がそう言ってジト目を向けると、
「……そ、それは私が悪いわね。ちょっと待って、そんな目で見ないでよー」
やけに慌てるティア。怒ってはいないけど、何か反応が新鮮なんでそれを無視して続けていると、
「で、でもね。院内に入った途端、お姉さま達に捕まっちゃてたのよ。さすがにまだまだ時間がかかりそうだったから半ば強引に逃げ出しちゃった。あははー」
と、てへぺろと舌を出して軽くごめんのポーズをする彼女に俺は嘆息を漏らした。
「……はいはい。修道女様も大変でございますね。――で、その肝心のお金と買い物リストは? 」
軽いジャブを飛ばすが気にもせず、はいっと彼女はお金の入った布袋とリストの書かれた紙を渡してくる。
「ポーラさんにはあらかじめパンの数と伺う時間は伝えてあるから、修道院のお手伝いって言えばすぐに渡してくれると思うわ。後のはリストに書いてあるし、数も大した量じゃないから大丈夫だと思うわ。道は覚えてる? 」
修道院は町外れにあり、湖沿いを歩いた先に町の中心である商店街がある。そこには仕立て屋だとか道具屋、武器屋なんかもあったりする。そこに今回目的のポーラさんのパン屋があるのだが、道中は一本道だから迷うわけがない。
「ありがとう。大丈夫だよ」
「本当でしょうね? 流石に何度もお使いに行ってるし大丈夫よね。あっでも、道中は気を付けるのよ。知らない人について行っちゃダメよ」
オカンか! ……相変わらず心配症だな。
俺はわかってると短く答えると修道院の入口に向けて歩いた。ふと振り返ると、こちらに向けてひらひらとティアが手を振ってくるのを見て少し照れくさい気持ちを抑えつつ、俺もそれに答える。
--------------------------------------------------------------------------
湖沿いを横目に歩いていくと漁師を生業にしている二人の男が何か揉めている。
「夜に白い光だー? 何かの間違いじゃねぇか? 」
「ま、間違いじゃないですよ、船長。俺が一杯飲んだ帰りに歩いてたら、湖の辺が白い光に包まれていたんですよ。それで気になってそっちに向かったら、ふわーとすぐに消えちまいましたが」
「ほれみろ。酔っ払って夢でも見たんだろぉよ。くだらねぇ話しやがって、ったく」
夜の湖に白い光? この世界に幽霊だってありえなくはないだろうけど。もし死霊系の魔物だったら危ないよな。今の俺に何ができるって訳じゃないけど。
「こんにちは、ディナルドさん。どうかしたの? 」
「おぉ、アルクか。このミックがな。昨日の夜にこの湖で白い光を見たんだとよ。俺はただの見間違いって言ってんだがよ。こいつも見たって退かねぇんだ」
「船長信じてくださいよー本当なんですってー。あれは絶対に幽霊か何かですって!! 」
「ミックさん、ちなみにその光どこで見たの? 」
あそこだよとミックは湖の辺を指差す。そこにはいつもと変わらない穏やかな湖が陽の光を反射してキラキラと輝いている。ここに来て以来、いろいろと町の歴史やら噂は人伝に聞いているけど、修道院でも白い光の話は聞かない。
「なるほど。今までに何度も見たことや他に見た人はいるの? 」
「見るのは初めてだね。あれだけの体験だ。絶対に忘れやしないよ。多分俺以外に見た人はいない、と思う」
「初めて……。いやひょっとするとあれかもしれねぇな――」
俺達はディナルドの方を向く、すると彼はゆっくりと伸びた無精髭を撫でる。
「さっきまで忘れてたんだけどな。この町の言い伝えで、夜の湖には乙女がいるって話を先代から聞いた覚えがある。月夜、水面に映るは白銀の乙女。その御目に適なければ泡沫に消え、再び見えること叶わず。と」
「え、そんな言い伝え聞いたことないんだけど」
「アルクは知らねぇのか。この町の子供なら誰でも知っているはずなんだがなぁ」
誰でも? あーこれは修道女に示し合わされてた感じだな。たしかに知れば徹底的に調べるもんな。
そんなことより今はディラルドの話だ。認められなければ、もう会うこと出来ない、か。
「だー!! も、もしかして俺、一度目に数えられちゃってます!? 船長ー!! 」
「知らねぇよ、そんなでけぇ声出すんじゃねぇよ。第一お前なんか見向きもしてねぇってことだろ。さ、仕事だ仕事!! そんな訳だから、アルクまたな」
俺達に背を向けるディナルドは手をヒラヒラとさせて自分の仕事に戻っていく。
「そ、そんなー船長ー待ってくださいよー」
と焦ってディナルドを追いかけるミック。俺は二人の背中に向けてありがとうと礼を言うと再び商店街に向けて歩く。
その後は特段何もなく商店街のパン屋にはすぐ着いた。扉を開けると小麦粉の焼けた香ばしい香りが鼻を駆け巡る。
「いらっしゃーい」
とふくよかな気立ての良さそうなおばさんがこちらに笑顔を向けてくる。ポーラさんその人だ。丁度他のパンを買う人が並んでいたため、その後に続く。
「いらっしゃいましたよ。久しぶりポーラさん。相変わらずの賑わいっぷりだね」
「おっ、来たねーアルク。そうさね。お陰さまで客足が途切れないから動きっぱなしだよ。嬉しい悲鳴ってやつだね。そうそう、注文したの出来てるよ」
はいよっとポーラさんは俺の持ってきた籠にパンを置いていく。俺は布袋から十五枚の銅貨を取り出し、ポーラさんに渡す。ポーラさんは銅貨を数えると、
「確かに、十五ユース丁度あるね。――しっかしその年で計算も出来るんだろ? 立派なもんさね。家のランタにもアンタを見習ってしっかり勉強をして欲しいもんだよ。今日もあのバカはどっか逃げちまってねぇ」
はぁと露骨に溜息を吐くポーラさんは首を横に振る。俺はそれに苦笑いをしつつ、パンを数えるが、どうもおかしい。
「やっぱりおかしい。――ポーラさん頼んでた数より明らかに数多いよね」
俺が指摘すると、ポーラさんは大胆に笑った。
「驚いた! あんたその年で数がちゃんと数えられんのかい!! いいのさ、これはサービスさ。こっちも修道女には世話になってるかねぇ、ほんの気持ちさ気持ち。帰って子供達にあげるも良し、あんたが食べても良しさ。ま、好きな女の子にでもやっておやり」
「そんなのいないよ! 」
「あらあら顔真っ赤にして」
カラカラと笑うポーラさんに俺は何も言い返せなかった。
「それより若いもんが遠慮なんて覚えるもんじゃないよ。そんなの大人になったら嫌でも覚えるんだから! これしっかり食って、いっぱい寝なきゃね。大きくなれないよ! 」
全く、敵わないな。こんな感じでいつも皆にサービスしてんだろうな。若いもんが遠慮なんて覚えるもんじゃない、か。
「それじゃ遠慮なくもらうよ。ポーラさんの焼くパン、みんな絶対に喜んでくれると思う。ありがとう! 」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。またおいで」
俺はもう一度お礼を言い、ポーラさんのパン屋を後にした。
ずっしりとした籠からは芳しい匂いが漂ってくる。昼も近いこの時間では暴力に近い。しかし、こうも変わるもんだな。ここに来た時は、確かに俺の中で黒パンは脅威になり得ると予測していた。それは今まで読んだ漫画では歯が折れる程、硬いという話だったからだ。日の経ったパンは確かに硬い。だが、作りたての黒パンは噛み締めるほどとても味わい深く、芳醇なのだ。
帰ったらティアの目の前で食ってやろ。と胸に籠を抱えルンルンだ。
そんなことを考えながら湖の辺を歩いていた時、遠目で少年達が輪になっているのが目に入った。近づくにつれて薄桜色の髪の女の子を囲っているのだと気が付く。
「だ、ダメだよ! なんでそんなことするの? 花が可哀想だよ! 」
「いいじゃん別に、花が潰れてようが誰も気にしないだろ。どうせすぐ咲くしさ」
「そういう問題じゃないよ! 」
「うっるさいな。関係ないだろ! 孤児の癖に! 」
そう言うと少女を囲うように立つ子供達は、親無し、孤児と大声ではやし立てる。
少女の名前は確か、スフレ。同じ修道院に住む子供だ。彼女は修道女の手伝いを率先し行い、小さな子供達の面倒をよく見ていて明るく前向きな少女だ。そんなことを言われる筋合いのない彼女へのあまりに心ない言葉に、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「こ、孤児かどうかなんて関係ない! この花だって生きてるんだ。そんなの良くない」
俯き拳を握り締める少女。それを見て彼女に対してエスカレートする煽り。少年たちは腹を抱え笑っている。
だがここで出ては間違いなく喧嘩になる。そうなると修道院に迷惑がかかる。それはダメだ。
「お前さ。その目ムカつくからやめろよ」
少年の言葉には負けずスフレは先頭の少年を睨めつける。
「やめろって言ってんだよ! 」
手を上げたのが見えた。
「お前がやめろよ」
やっちまったー。と思うが時既に遅し、居ても立っても居られずにスフレの前に立ち、少年の振り上げたその腕を掴んでいた。
「な、なんだよ、お前」
上ずった少年の声が耳に入る。
「女の子相手にお前ら恥ずかしくないの? あーでも恥ずかしくないからそんな格好悪いことができるのかー」
俺がそういうと顔を真っ赤にする少年。俺の手を振りほどくと手を摩りながら怒りに震えながらこちらを見る。
「お前も所詮親無しだろうが! 騎士気取りしてんじゃねぇよ! 」
そう叫びながら掴みかかろうとする少年の手を俺は躱しながら手首を掴み軽く握る。
「い、いたいいたいたい!! 」
「……お前らさ。たまたま平凡な家庭に生まれて平凡な親がいて平凡な暮らしができているからって全部お前らの力じゃねぇんだよ。いい加減にしろよな」
「いたいいたいいたい! しないってもう、いじめないから! 」
じたばたと暴れのだが、俺の力が強いのか、俺の力が弱いのか分からないが、全く辛くない。このガキがオーバーに痛がっているのだが、俺としては強く握ってないのだから冷ややかな目で見てしまう。
「いやー本当かなー? でもまたやるんでしょ? ねぇ、ライタ君」
「な、なんで俺の名前を知ってんだよ! 」
「俺が君の名前を知っていることなんてどうでもいい。次に修道院の誰かをいじめるようであれば、問答無用でポーラさんに言いつけるからな? いいか、他の奴らも肝に銘じとけよ」
俺がポーラさんの名前を出した途端に、顔を真っ青にするライタは俺の問いにうんうんうんと必死に頷いてくる。他の奴らに目を向けても同じように首を縦に振る。俺はそれを確認するとパッと手を離した。
ライタは俺の掴んだ腕を大袈裟にかばいつつ、いこうぜと、仲間を連れて急いで走ると、
「ばーかばーか! 本気で謝るわけねーじゃん、ばーか」
と大きく叫んで去っていった。あんのガキが。骨の一本でも折ってやればよかったか。まぁでもさすがに問題になるし、これぐらいで良い薬になっただろう。それよりだ。
「あ、あの! アルク君。迷惑かけてごめんね。助けてくれてありがとう!」
女の子は少し俯き加減に言ってくる。
「スフレ」
え? と言うとこちらを無理くり作ったような笑みでこちらを向く。この歳であんな中傷されて傷つかないわけがない。それが例え事実であってもだ。
「ごめん。もっと早く助けてあげられればあんな酷い言葉は言われなかったのに……。本当にごめん」
あの時、俺は様子を見る選択を取った。だがもっと早く助けてあげられれば少しは、違ったのかもしれない。俺は頭を下げた。あの上司に向ける謝罪ではなく、心からの。
すると、スフレの大きく澄んだ緋色の瞳が潤むと、大きな涙を溜め込み、それがダムのように決壊しポロポロと流れ出す。
「え……あれ? どうしたんだろ? 私。お、おかしいなーあはは」
胸が高鳴る。え、っと耳に彼女の声が届いた時には、俺は彼女の柔らかく、ほのかな桜色をした髪を撫でていた。
「ご、ごめん。気持ち悪かったよな」
俺は焦って手を引いたが、彼女は手で顔を何度も何度も拭うと、頭を二回、三回振ってきた。俺は子犬を撫でるように恐る恐る動かした。スフレは俺に体を預けるとそのまま泣き続けた。
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
少し赤く腫れた目にはすっかりと元気が戻っていた。
「そ、そっか! 大丈夫か! 」
じっとこちらを覗き込むスフレに気が付くと俺は気恥ずかしくなって顔を逸らし、ぎこちなく離れた。よく考えればさ、俺物凄い大胆なことしてるじゃん!! 俺、何で子供相手にドキドキしてるんだよ……。
うわーと一人で悶えていると、スフレの視線がまだこちらを見ている。
「ど、どうしたの? 」
「あのね。さっきのアルク君、おとぎ話に出てくる勇者みたいだったよ! すごい格好よかった! 」
スフレは少しはにかみながら笑いかけてくる。あぁ一応助けたことにはなったのかな。
「お、大袈裟だよ。そんな大したものじゃない。俺はむしろスフレの方がすごいと思った。一人で複数の男の子の前に立つなんてなかなか出来たもんじゃない。それに間違っていることを間違っているって言う事ってすごいことなんだよ」
えへへ、褒められちゃった、と少し頬を赤らめる少女はとても眩しく見えた。俺が勇者じゃなくて良かった。もし前世の俺が同じ立場に立っていたとして、間違いなく出来ていないのだから。勇者にふさわしいのは彼女だろう。
「そう言えばアルク君はどうして、複数いた男の子の中から、あの男の子、ライタ君がポーラさんの子供ってわかったの? 」
「あれね。そりゃあれだけ、香ばしい匂いをさせてたら嫌でも気が付くよ。それに服の袖にも若干だけど小麦粉が付いてたし」
丁度お使いの帰りだったし、もしかしてとカマかけたら当たっただけだけど……。
「すごい!! やっぱりアルクは私なんかよりすごいよー」
そんな尊敬の眼差し向けられたら照れるやろ。
「ごほん。そう言えばお腹空かないか? ポーラさんのとこで多めにパンをもらったんだ。スフレも一緒に食べよう」
俺は木の下に置いたパンが入った籠をちょんちょんと指差す。
「ポーラさんの作ったパン!? うん、食べたい! あっ、でもでも私たちだけで食べちゃっていいのかなー」
確かに。でもポーラさんが安定して歩けるようになれるまでには、然程時間はかからなかった。恐らくは前世での記憶があるおかげだろう。
感覚としてはリハビリのようで、実際に歩行の経験があるにしろ少し怖かった。
寧ろ、歩く練習を目撃してしまった修道女達の方が断然肝を冷やしたのだろう。彼女達は真っ青な顔をして、『私たちの居るところでやってよ』と小言をえらい剣幕で言うから、仕方ないわかったよ。とわざわざ修道女の前まで行って練習をしてたら、『ここにくるまで歩いてたら同じじゃない! 』と叱られた。
俺にどうしろと。
それには流石に憤りを感じた。だって俺としては全くもって無茶や無理はしていない。焦ったって仕方がないことくらいわかってる。でも、のんびりとしている暇なんてないんだ。
結局、危険因子と見なされたようでお目付け役が付いたのは言うまでもない。歩行が安定してからは、今度は俺が危ないことをしないか、勝手に何処かへ行かないかとまるで監視のような形で付いていた。だけど、いつまでも小うるさい修道女がまとわり付いて居ては俺に不都合しかない。
なので、隙を付いては修道女の目を掻い潜った。
すると、日に日に修道女が増員されたが、何度も何度もそれを躱すと向こうも根負けしたようで、絶対に危ない真似はしない、と言う約束をして互いに納得した。
そんな取り決めをしたにも関わらず、頑なにティアは俺の見張りをやめなかった。
俺が走ったり言葉を普通に話すくらいの歳になった時、徐々に修道院の仕事の手伝いを一人でさせてもらえるようになった。流石に子供達の中では早い方だったらしく、心配もされたがそこは勝手知ったるラクルスの町。この歳で完璧にお使いを済ませたのが幸いして、何度かお使いを済ませる頃には修道女達も信頼して俺に仕事を任せるようになった。
「こっらーアルク!! 」
いきなり背後から聞こえた声は雷鳴の如く周囲に響き渡った。ぎょっとして後ろを振り返ると、そこには茜色の長い髪をした修道女が腕を組んで仁王立ちしていた。
「ティア、おはよう! だけど今度からは俺の真後ろから大声で叫ばないでくれると助かるよ。驚くからさ」
俺はひと呼吸置いて心を落ち着かせると、ティアに挨拶をした。
ティアは言うほど俺と年が離れている訳ではないというのに最近では少しずつ箔がついていたように感じる。恐怖とも言うかもしれないが。
「うっ、悪かったわ。ごめんなさ――じゃなくて! 何で少しの間も待っていられないのよ」
ティアがプクーっと頬を膨らませ、こちらを睨んでいた。顔立ちが整っている割に行動が少し子供っぽいというか、あぁもうなんていうかさ。
「めっちゃ可愛いじゃん」
「え!? な、何言ってんのよ! ってそうじゃなくって! ポーラさんのパン屋で買い出しに行ってもらうのにお金を持ってくるから修道院の入口で待っててって言ったじゃない!! 」
そう。今日も俺はお使いを頼まれていて、これから俺一人で町のパン屋に買い出しにいってくるのだ。だが肝心のティアはお金を渡すと言って修道院の中に入って行ったきり全然戻らないため、仕方なしに中庭で他の子供達が遊んでいるのをただただ眺めていただけなんだけど……。
「誰かさんが待ってても全然出てこないから、時間潰しに中庭に居ただけなんですがねぇ」
俺がそう言ってジト目を向けると、
「……そ、それは私が悪いわね。ちょっと待って、そんな目で見ないでよー」
やけに慌てるティア。怒ってはいないけど、何か反応が新鮮なんでそれを無視して続けていると、
「で、でもね。院内に入った途端、お姉さま達に捕まっちゃてたのよ。さすがにまだまだ時間がかかりそうだったから半ば強引に逃げ出しちゃった。あははー」
と、てへぺろと舌を出して軽くごめんのポーズをする彼女に俺は嘆息を漏らした。
「……はいはい。修道女様も大変でございますね。――で、その肝心のお金と買い物リストは? 」
軽いジャブを飛ばすが気にもせず、はいっと彼女はお金の入った布袋とリストの書かれた紙を渡してくる。
「ポーラさんにはあらかじめパンの数と伺う時間は伝えてあるから、修道院のお手伝いって言えばすぐに渡してくれると思うわ。後のはリストに書いてあるし、数も大した量じゃないから大丈夫だと思うわ。道は覚えてる? 」
修道院は町外れにあり、湖沿いを歩いた先に町の中心である商店街がある。そこには仕立て屋だとか道具屋、武器屋なんかもあったりする。そこに今回目的のポーラさんのパン屋があるのだが、道中は一本道だから迷うわけがない。
「ありがとう。大丈夫だよ」
「本当でしょうね? 流石に何度もお使いに行ってるし大丈夫よね。あっでも、道中は気を付けるのよ。知らない人について行っちゃダメよ」
オカンか! ……相変わらず心配症だな。
俺はわかってると短く答えると修道院の入口に向けて歩いた。ふと振り返ると、こちらに向けてひらひらとティアが手を振ってくるのを見て少し照れくさい気持ちを抑えつつ、俺もそれに答える。
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湖沿いを横目に歩いていくと漁師を生業にしている二人の男が何か揉めている。
「夜に白い光だー? 何かの間違いじゃねぇか? 」
「ま、間違いじゃないですよ、船長。俺が一杯飲んだ帰りに歩いてたら、湖の辺が白い光に包まれていたんですよ。それで気になってそっちに向かったら、ふわーとすぐに消えちまいましたが」
「ほれみろ。酔っ払って夢でも見たんだろぉよ。くだらねぇ話しやがって、ったく」
夜の湖に白い光? この世界に幽霊だってありえなくはないだろうけど。もし死霊系の魔物だったら危ないよな。今の俺に何ができるって訳じゃないけど。
「こんにちは、ディナルドさん。どうかしたの? 」
「おぉ、アルクか。このミックがな。昨日の夜にこの湖で白い光を見たんだとよ。俺はただの見間違いって言ってんだがよ。こいつも見たって退かねぇんだ」
「船長信じてくださいよー本当なんですってー。あれは絶対に幽霊か何かですって!! 」
「ミックさん、ちなみにその光どこで見たの? 」
あそこだよとミックは湖の辺を指差す。そこにはいつもと変わらない穏やかな湖が陽の光を反射してキラキラと輝いている。ここに来て以来、いろいろと町の歴史やら噂は人伝に聞いているけど、修道院でも白い光の話は聞かない。
「なるほど。今までに何度も見たことや他に見た人はいるの? 」
「見るのは初めてだね。あれだけの体験だ。絶対に忘れやしないよ。多分俺以外に見た人はいない、と思う」
「初めて……。いやひょっとするとあれかもしれねぇな――」
俺達はディナルドの方を向く、すると彼はゆっくりと伸びた無精髭を撫でる。
「さっきまで忘れてたんだけどな。この町の言い伝えで、夜の湖には乙女がいるって話を先代から聞いた覚えがある。月夜、水面に映るは白銀の乙女。その御目に適なければ泡沫に消え、再び見えること叶わず。と」
「え、そんな言い伝え聞いたことないんだけど」
「アルクは知らねぇのか。この町の子供なら誰でも知っているはずなんだがなぁ」
誰でも? あーこれは修道女に示し合わされてた感じだな。たしかに知れば徹底的に調べるもんな。
そんなことより今はディラルドの話だ。認められなければ、もう会うこと出来ない、か。
「だー!! も、もしかして俺、一度目に数えられちゃってます!? 船長ー!! 」
「知らねぇよ、そんなでけぇ声出すんじゃねぇよ。第一お前なんか見向きもしてねぇってことだろ。さ、仕事だ仕事!! そんな訳だから、アルクまたな」
俺達に背を向けるディナルドは手をヒラヒラとさせて自分の仕事に戻っていく。
「そ、そんなー船長ー待ってくださいよー」
と焦ってディナルドを追いかけるミック。俺は二人の背中に向けてありがとうと礼を言うと再び商店街に向けて歩く。
その後は特段何もなく商店街のパン屋にはすぐ着いた。扉を開けると小麦粉の焼けた香ばしい香りが鼻を駆け巡る。
「いらっしゃーい」
とふくよかな気立ての良さそうなおばさんがこちらに笑顔を向けてくる。ポーラさんその人だ。丁度他のパンを買う人が並んでいたため、その後に続く。
「いらっしゃいましたよ。久しぶりポーラさん。相変わらずの賑わいっぷりだね」
「おっ、来たねーアルク。そうさね。お陰さまで客足が途切れないから動きっぱなしだよ。嬉しい悲鳴ってやつだね。そうそう、注文したの出来てるよ」
はいよっとポーラさんは俺の持ってきた籠にパンを置いていく。俺は布袋から十五枚の銅貨を取り出し、ポーラさんに渡す。ポーラさんは銅貨を数えると、
「確かに、十五ユース丁度あるね。――しっかしその年で計算も出来るんだろ? 立派なもんさね。家のランタにもアンタを見習ってしっかり勉強をして欲しいもんだよ。今日もあのバカはどっか逃げちまってねぇ」
はぁと露骨に溜息を吐くポーラさんは首を横に振る。俺はそれに苦笑いをしつつ、パンを数えるが、どうもおかしい。
「やっぱりおかしい。――ポーラさん頼んでた数より明らかに数多いよね」
俺が指摘すると、ポーラさんは大胆に笑った。
「驚いた! あんたその年で数がちゃんと数えられんのかい!! いいのさ、これはサービスさ。こっちも修道女には世話になってるかねぇ、ほんの気持ちさ気持ち。帰って子供達にあげるも良し、あんたが食べても良しさ。ま、好きな女の子にでもやっておやり」
「そんなのいないよ! 」
「あらあら顔真っ赤にして」
カラカラと笑うポーラさんに俺は何も言い返せなかった。
「それより若いもんが遠慮なんて覚えるもんじゃないよ。そんなの大人になったら嫌でも覚えるんだから! これしっかり食って、いっぱい寝なきゃね。大きくなれないよ! 」
全く、敵わないな。こんな感じでいつも皆にサービスしてんだろうな。若いもんが遠慮なんて覚えるもんじゃない、か。
「それじゃ遠慮なくもらうよ。ポーラさんの焼くパン、みんな絶対に喜んでくれると思う。ありがとう! 」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。またおいで」
俺はもう一度お礼を言い、ポーラさんのパン屋を後にした。
ずっしりとした籠からは芳しい匂いが漂ってくる。昼も近いこの時間では暴力に近い。しかし、こうも変わるもんだな。ここに来た時は、確かに俺の中で黒パンは脅威になり得ると予測していた。それは今まで読んだ漫画では歯が折れる程、硬いという話だったからだ。日の経ったパンは確かに硬い。だが、作りたての黒パンは噛み締めるほどとても味わい深く、芳醇なのだ。
帰ったらティアの目の前で食ってやろ。と胸に籠を抱えルンルンだ。
そんなことを考えながら湖の辺を歩いていた時、遠目で少年達が輪になっているのが目に入った。近づくにつれて薄桜色の髪の女の子を囲っているのだと気が付く。
「だ、ダメだよ! なんでそんなことするの? 花が可哀想だよ! 」
「いいじゃん別に、花が潰れてようが誰も気にしないだろ。どうせすぐ咲くしさ」
「そういう問題じゃないよ! 」
「うっるさいな。関係ないだろ! 孤児の癖に! 」
そう言うと少女を囲うように立つ子供達は、親無し、孤児と大声ではやし立てる。
少女の名前は確か、スフレ。同じ修道院に住む子供だ。彼女は修道女の手伝いを率先し行い、小さな子供達の面倒をよく見ていて明るく前向きな少女だ。そんなことを言われる筋合いのない彼女へのあまりに心ない言葉に、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「こ、孤児かどうかなんて関係ない! この花だって生きてるんだ。そんなの良くない」
俯き拳を握り締める少女。それを見て彼女に対してエスカレートする煽り。少年たちは腹を抱え笑っている。
だがここで出ては間違いなく喧嘩になる。そうなると修道院に迷惑がかかる。それはダメだ。
「お前さ。その目ムカつくからやめろよ」
少年の言葉には負けずスフレは先頭の少年を睨めつける。
「やめろって言ってんだよ! 」
手を上げたのが見えた。
「お前がやめろよ」
やっちまったー。と思うが時既に遅し、居ても立っても居られずにスフレの前に立ち、少年の振り上げたその腕を掴んでいた。
「な、なんだよ、お前」
上ずった少年の声が耳に入る。
「女の子相手にお前ら恥ずかしくないの? あーでも恥ずかしくないからそんな格好悪いことができるのかー」
俺がそういうと顔を真っ赤にする少年。俺の手を振りほどくと手を摩りながら怒りに震えながらこちらを見る。
「お前も所詮親無しだろうが! 騎士気取りしてんじゃねぇよ! 」
そう叫びながら掴みかかろうとする少年の手を俺は躱しながら手首を掴み軽く握る。
「い、いたいいたいたい!! 」
「……お前らさ。たまたま平凡な家庭に生まれて平凡な親がいて平凡な暮らしができているからって全部お前らの力じゃねぇんだよ。いい加減にしろよな」
「いたいいたいいたい! しないってもう、いじめないから! 」
じたばたと暴れのだが、俺の力が強いのか、俺の力が弱いのか分からないが、全く辛くない。このガキがオーバーに痛がっているのだが、俺としては強く握ってないのだから冷ややかな目で見てしまう。
「いやー本当かなー? でもまたやるんでしょ? ねぇ、ライタ君」
「な、なんで俺の名前を知ってんだよ! 」
「俺が君の名前を知っていることなんてどうでもいい。次に修道院の誰かをいじめるようであれば、問答無用でポーラさんに言いつけるからな? いいか、他の奴らも肝に銘じとけよ」
俺がポーラさんの名前を出した途端に、顔を真っ青にするライタは俺の問いにうんうんうんと必死に頷いてくる。他の奴らに目を向けても同じように首を縦に振る。俺はそれを確認するとパッと手を離した。
ライタは俺の掴んだ腕を大袈裟にかばいつつ、いこうぜと、仲間を連れて急いで走ると、
「ばーかばーか! 本気で謝るわけねーじゃん、ばーか」
と大きく叫んで去っていった。あんのガキが。骨の一本でも折ってやればよかったか。まぁでもさすがに問題になるし、これぐらいで良い薬になっただろう。それよりだ。
「あ、あの! アルク君。迷惑かけてごめんね。助けてくれてありがとう!」
女の子は少し俯き加減に言ってくる。
「スフレ」
え? と言うとこちらを無理くり作ったような笑みでこちらを向く。この歳であんな中傷されて傷つかないわけがない。それが例え事実であってもだ。
「ごめん。もっと早く助けてあげられればあんな酷い言葉は言われなかったのに……。本当にごめん」
あの時、俺は様子を見る選択を取った。だがもっと早く助けてあげられれば少しは、違ったのかもしれない。俺は頭を下げた。あの上司に向ける謝罪ではなく、心からの。
すると、スフレの大きく澄んだ緋色の瞳が潤むと、大きな涙を溜め込み、それがダムのように決壊しポロポロと流れ出す。
「え……あれ? どうしたんだろ? 私。お、おかしいなーあはは」
胸が高鳴る。え、っと耳に彼女の声が届いた時には、俺は彼女の柔らかく、ほのかな桜色をした髪を撫でていた。
「ご、ごめん。気持ち悪かったよな」
俺は焦って手を引いたが、彼女は手で顔を何度も何度も拭うと、頭を二回、三回振ってきた。俺は子犬を撫でるように恐る恐る動かした。スフレは俺に体を預けるとそのまま泣き続けた。
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
少し赤く腫れた目にはすっかりと元気が戻っていた。
「そ、そっか! 大丈夫か! 」
じっとこちらを覗き込むスフレに気が付くと俺は気恥ずかしくなって顔を逸らし、ぎこちなく離れた。よく考えればさ、俺物凄い大胆なことしてるじゃん!! 俺、何で子供相手にドキドキしてるんだよ……。
うわーと一人で悶えていると、スフレの視線がまだこちらを見ている。
「ど、どうしたの? 」
「あのね。さっきのアルク君、おとぎ話に出てくる勇者みたいだったよ! すごい格好よかった! 」
スフレは少しはにかみながら笑いかけてくる。あぁ一応助けたことにはなったのかな。
「お、大袈裟だよ。そんな大したものじゃない。俺はむしろスフレの方がすごいと思った。一人で複数の男の子の前に立つなんてなかなか出来たもんじゃない。それに間違っていることを間違っているって言う事ってすごいことなんだよ」
えへへ、褒められちゃった、と少し頬を赤らめる少女はとても眩しく見えた。俺が勇者じゃなくて良かった。もし前世の俺が同じ立場に立っていたとして、間違いなく出来ていないのだから。勇者にふさわしいのは彼女だろう。
「そう言えばアルク君はどうして、複数いた男の子の中から、あの男の子、ライタ君がポーラさんの子供ってわかったの? 」
「あれね。そりゃあれだけ、香ばしい匂いをさせてたら嫌でも気が付くよ。それに服の袖にも若干だけど小麦粉が付いてたし」
丁度お使いの帰りだったし、もしかしてとカマかけたら当たっただけだけど……。
「すごい!! やっぱりアルクは私なんかよりすごいよー」
そんな尊敬の眼差し向けられたら照れるやろ。
「ごほん。そう言えばお腹空かないか? ポーラさんのとこで多めにパンをもらったんだ。スフレも一緒に食べよう」
俺は木の下に置いたパンが入った籠をちょんちょんと指差す。
「ポーラさんの作ったパン!? うん、食べたい! あっ、でもでも私たちだけで食べちゃっていいのかなー」
確かに。でもポーラさんのせっかくの厚意だしな。
「じゃあ二人で頑張ったご褒美にってことでどうかな? 」
「ご褒美? ふふっ、そうだね。アルク君も私も頑張ったもんね。それじゃあ食べよー! 」
木の下で俺達は焼きたてと言ったら少し冷めてしまったけど、出来たてのパンを食べた。
明るく屈託のない笑みを浮かべながらまるで小動物の様にパンを食むスフレ。なんて幸せそうに食べるんだろう。
パンを食べ終わって尻に付いた埃を払うと、俺達は修道院へと歩みを始める。
「……花は残念だったな」
こくりと頷く彼女。弱々しい笑顔が俺の胸をチクチクと刺す。
「仕方ないよ。ネアちゃんもミーアちゃん達もここでお花を積むのすごく楽しみにしてたんだけど私から言って別のところにするから、大丈夫! 」
ぐっと自分の手を握るスフレ。その緋色の瞳が金色に燃えるように輝いて見えたが、あれ、と目を擦り再び目を向けると、その瞳は何も無かったかのようにいつも通りの綺麗な緋色をしている。見間違いか。
「咲いてる場所に心当たりがあるのか? 」
修道院に帰ってる途中で俺はさっきスフレが言ったことが気になり質問をした。
「ううん、知らないんだー! でもきっと大丈夫だよ! 町中を探せばきっと見つかるよ! 」
と元気に答えるスフレの自信はまるで根拠がない。ちょっと関わってきて彼女の性格が分かってきた気がする。本当にスフレは強いな。
いつの間にか、修道院の門に差し掛かったところで、
「アルクー!! 」
と、デジャブだろうか。仁王立ちの胸を張ったティアが目の前に居た。
「な、なんでしょうか。ティアさん」
「貴方今まで何してたのよ? 何かあったのかと思って心配したじゃないの! ことと次第によっちゃあ勘弁しないわよ」
おやおや穏やかじゃありませんなー。ティアの威圧に負け、俺は一歩一歩後ろに下がる。それを逃すまいとじり寄ってくる修道女。
「ティアさん誤解です。アルク君は私が男の子達に囲まれて困っていたところを助けてくれたんです。だから責めないでください」
えっ、何それと驚いた顔でスフレと俺を交互に見るティアに俺は全力で首を縦に振る。スフレ本当に助かる。
「わけありなのね。そりゃ私だって? 理由があれば責めはしないわよ。って囲まれてたってどういうことよ? 二人とも怪我はないの!? ちょっとスフレ! 」
ばっとスフレに近寄るティア。
「貴方、目を腫らしているじゃない! 」
囲まれて困ってたね。物は言いようかー。俺にはいじめられているようにしか見えなかったけど。まぁ仕方ないか。
「……心配しなくても怪我はしてないよ。俺達」
俺がそう言うと、はぁ、よかったと胸を撫で下ろすティアに、状況的に仕方ないにしろ、少しだけ申し訳ないと思ってしまう。すると、ティアの顔が歪む。
「アルク。いったい、うちのスフレを泣かしたのはどこのガキよ! 教えなさい。隠すと――わかるわね? 」
と不敵な笑みを浮かべるティアがそう言うと、スーツと場の温度が下がっていく。こうなっては無理だ。庇いきれるわけがない。俺の命が危ない。
「はぁ……ポーラさん家のライタだよ」
俺がそう言うと、ティアは自分の顎をクイッとして続けろと促した。はい。と頷くと俺は状況を説明した。すると、
「あんのガキか。いい度胸じゃない。前々からなんとなーくその気はあったけど、今までうちの子供達に危害を加えなかったから許容していたけど、これはもう許せないわ。ポーラさんに言いつけて灸を据えといてやるわ! 」
ふふふ、とまるで悪魔のような歪んだ笑みを浮かべて言う。ライタ強く生きろよ!
「ティア。あんまりポーラさんには厳しく言わないでください。確かに花を踏んだのは良くないですし酷いことも言われちゃいましたけど、そういう時って誰でもあると思うんです! 私だってたまにお腹すいて動くの辛いなって思うときだってあるし……だから! 」
開いた口が塞がらなかった。あれだけ酷い目に遭いながら相手のことを気遣えるって……。もう眩しいよ。スフレが。
「あんたねー。……まぁいいわ。当事者のスフレがそう言うなら仕方ないわね。ポーラさんには状況の説明だけするわ。最低限それはさせてもらうわよ」
ティアは苦笑をし、簡単に引き下がる。
「いいのかよ。やけに素直だな」
「いいのいいの。それだけのことをされて相手のフォローをするんだから、スフレは本当に心が綺麗ね」
ティアは我慢できなくなったのか、スフレを抱きしめて、その大きめの胸元に寄せてスフレを抱きしめた。苦しいよーとスフレが嬉しそうに言うのを俺は微笑ましいなと指を咥えてみていた。
「それよりなんでこんなところで待ってたんだよ」
俺の問いにティアはハッとしたように、
「いけない! お昼の時間だからよ。あんまり遅いから門まで来ちゃったわ。他の皆も待ってるからさっさと行きましょう」
そう言っているティア。だけど俺達を探す気だったのだろうな。この修道女ならそれくらい普通にやってのけるんだろうな。
「はい! 私もうお腹すいちゃいました! アルク君も早く行こっ! 」
俺に笑顔を向けるスフレの切り替えの速さにも驚いたが、
「……あぁ行こう! 」
俺もその後に続いた。それよりお腹空いたって演技だよね? と俺がスフレの食欲に多少引いていると、あっと声を上げて、スフレが勢いよく俺に近寄ると、
「また、困ったことがあったらアルク君は助けてくれる? 」
耳打ちしてきた。俺はポンっと胸を叩き、もちろん! と微笑んだ。